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【短編小説】五月病ドライブ (前編)

 突然、健吾けんごの携帯電話が鳴った。
 まぁ、電話というのは突然鳴るものだが、未だに電話がなると少しビクッとしてしまう。心臓に悪い。
 画面を見ると恋人の琴葉ことはからだった。
「あのさ、用がある時はまずLINEしてって言ってるじゃん。そしたら俺から電話かけるからって」
「あー、そうだった、ごめんごめん」
 悪びれることなく琴葉は謝った。
「でもさー、もう前の会社からは電話こないでしょ。退職代行使ってちゃんと辞めたんだし。それに番号も変えて、今の番号知ってる人数えるほどしかいないんでしょ?」
「うん、まぁそうなんだけど反射的にビックリしちゃうんだよ」
「わかったよー、ごめんって。仕事終わった?」
「さっき終わって今帰り道だよ」
「そっか、じゃあ家着いたら電話ちょうだい」
「あいよ、じゃああとでね」
 そう言って健吾は電話を切った。

 大学を出て健吾が就職した会社は、絵に描いたようなブラック企業だった。
 典型的なワンマン経営の社長。その王様の社長が暴れん坊だった。
 休日も関係なく電話が鳴る。電話越しに怒鳴るのは当たり前。一番の罪は電話に出ないことで、これに折り返さないことが加わると最悪だった。それをやると、次に会った時に気が狂ったように怒鳴り散らされる。
 入社して一ヶ月後には、健吾は電話恐怖症になっていた。
 そんな会社なので同期の一人が入社後すぐに飛んだ。怒った社長はすぐにそいつに電話をかけたが、当然電源を切っていた。
 すると社長は何人かの同期に「今から家に行ってこい」と命令した。
 そこに健吾も含まれていたのでそいつの家に向かったが留守だった。正確には電気がついていたので居留守だったのだが、それを報告したらヤバいということになり、家にはいませんでしたと報告した。
 すると社長は、これから一週間出社前にそいつの家に行ってから出社しろと言った。
 次の日、そいつに「逃げろ」ということを伝えたくて健吾も電話をしたが、携帯は解約されていた。

 そんなこともあって、健吾は自分も辞めたら電話どころか家にまで押しかけられると恐怖に縛られた。なんとか結果を出して頑張ろうと思ってもみたが、みるみると痩せていった。ただでさえ痩せ型だったのにそこから5キロ痩せて頬はこけていた。
 琴葉はずっと「そんな会社すぐ辞めちゃえ」と言っていた。
「労基じゃなくて一緒に警察行こう」とも言った。
 だが、当時の健吾にまともな判断力はなかった。社長が通す、一見正しそうなロジックと恐怖を植え付ける方法で洗脳にも近い状態になっていたのだ。

 この手の話は、当事者と第三者では見えない壁があるようだ。
 普通に考えておかしいと思えることも、当事者になってしまうとその判断基準も分からなくなる。
 結局、そんな状態の中頑張ろうと思っていた健吾も一年もたなかった。
 最後は琴葉の提案で退職代行を利用して辞めた。いくらか払ったが、自由を手にするには安かったぐらいだと健吾は思った。そしてこんな状態だった自分を見捨てず別れず、一緒に居てくれた琴葉には今でも感謝しかない。 

 家に着いた健吾は、スーツを脱ぎスエットに着替え、缶チューハイを一口飲んでから琴葉に電話した。
「お疲れ様! 家着いた?」
「うん、着いたよ」
「定時に帰れる仕事はいいでしょ? 休みもちゃんと取れるしさ」
 ニヤニヤしている琴葉の顔が浮かんだ。

 健吾は前の会社を退職してから三ヶ月ほど何も出来なかった。
 人間不信と言うのだろう、また働くのが単純に不安だった。
 そんな時も琴葉は寄り添ってくれた。そんな支えもあって再び就活を始めることができ、今の会社に拾ってもらった。

「そうだね、仕事も慣れてきたし皆んないい人だよ、今のところ」
 健吾はそう答えたが、前の社長に比べれば大抵の人は『いい人』になると思った。
「それで、なにかあった?」健吾が訊ねる。
「うん、この前明里あかりに会ったんだけどさ、なんか様子が変なの。変っていうか暗いんだよね。鬱気味なのとか自分でいうし。五月病じゃない? って、私半分茶化したんだど全然笑わないし、仕事も辞めるとか言うのよ」
「そりゃ、修二しゅうじと別れたばっかりだから落ち込みもするし原因はそれでしょ?」
 健吾は答えが分かっているかのように答えた。
「私もそう思うんだけど、それだけじゃない気もするの。暗いっていうか覇気がないっていうか。なんにせよ、次の土曜日三人で飲みに行かない? 明里を元気づけようよ」
 相変わらず琴葉は弱ってる人を見ると放っておけない性格だなと思い、健吾はそれが少し嬉しくなって「そうしよう」と答えた。
「うん、じゃあ明里も誘っておくね。どこ行こうか? 久しぶりに池袋のペンギンBARでも行かない?」
「いいね、じゃあ19時に三人で予約は俺がしておくよ」
「わかった、ありがとう。とりあえず土曜日ね! あっ、明日も仕事頑張ってね」
 そう言って琴葉は電話を切った。


 健吾、琴葉、明里、修二の四人は浦和の公立高校の同級生で、高校時代はいつも四人で過ごしていた。
 元々、健吾と修二は中学校からの友達で、高校に入り健吾と琴葉が付き合って、その後修二と明里も付き合いだした。四人で遊ぶことを何度かしてるうちに琴葉と明里も自然と仲良くなったので、この四人組で一緒にいることがほとんどになった。
 高校時代は地元の浦和でよく遊んでいたが、卒業してからは行動範囲が広くなった。池袋でもよく遊んだし、健吾が免許を取り中古車を買ったので四人でドライブに行ったりもしていた。

 ペンギンBAR当日、健吾にとって池袋は久しぶりだった。前の会社では遊ぶどころではなかったので大学の時以来だ。
 予約の10分前に自分の名前を告げて入店した。二人はまだ来ていない。久しぶりの店内をぐるりと見回す。店長も変わってしまっているし、当時仲良くなった店員も見当たらない。少し寂しい気分になっていたら琴葉が明里を連れて現れた。

「お待たせ!」そう言った琴葉の隣りには明里もいた。心なしか表情も暗く見える。
「わー、久しぶりに来たねぇ。変わらずペンギンちゃんもいるし!」そう言って琴葉も店内を見回した。
 この店では水槽でペンギンを飼っており、それを見ながら飲食できるというのが売りだ。二人が席に着くと男性店員が注文を聞きに来た。
 店員は明里を見ると三秒ほど視線が釘付けになったようだ。無理もない、明里はアンニュイな感じを醸し出すタイプの美人で今日は伏目がちのせいか更にそれに磨きがかかったようにも見える。四人でいる時には全くそんなことはないのだが、黙っていると怖いという評判も昔からよく聞いた。高校時代、明里と修二は美男美女のカップルということでも有名だった。

 ドリンクが来たので三人で乾杯をした。
「みんな、このお店久しぶりでしょ? よく四人で来てたもんねー」
 琴葉はしまったという顔をした。
「いいのいいの。気にしないで、ってかそういうの止めて。私は本当に平気だし、むしろ思い出話でもしたいぐらいだから」明里はそう言って口角を上げた。
「そうだよね、このタイミングでその話に触れないのも不自然か」健吾が合いの手を入れる。
「でさ、健吾は修二から今回のことで連絡あった?」この話題を明里から切り出した。
「いや、本人からは聞いてない。この前琴葉からその話聞いてLINEしてみたんだけど既読スルーの状態なんだよね。そもそもあいつが大阪行って、俺も前の会社で病んじゃったじゃん? その時に何度か連絡とったっきり」
「そっか、私もさ修二が大阪勤務になって遠距離恋愛になったじゃん。変な言い方だけど、遠距離になった時にいつか別れるかもって心の準備みたいのがあったんだよね。もちろん、別れたのは悲しいよ。しかも好きな人が出来たってフラれたわけだからさ。でも連絡が取れなくなったことの方が悲しい。別れの電話の時、もう会えないのは嫌だから友達として会おう、帰ってきたらまた四人で遊ぼうって言ったら『そうだね、また連絡するよ』って言ったのに、あれから電話には出ないしLINEはブロックされるし、なんかね、そのことの方が悲しいんだ」
 放っておいたら今にも泣き出しそうな状態になっている。

 どこかのテーブルで誕生日のお客がいるらしく、ローソクと花火がついたケーキを持って店員が三人のテーブルの前を通り過ぎた。店員と一部のお客のハッピーバースデーの歌が終わった頃、明里が気を取り直して「なんかごめんね、今日は飲もう!」と宣言した。

 三杯目のお酒を飲みおかわりを頼むまでの間、二人は明里を励まし続けた。健吾は正直、何と言ったらいいか分からず定型文のような言葉を発していたが、その点琴葉は上手だった。
 相手と同じ声のトーンで相槌を打ち、決して相手のことを否定しない。そんな風に元気づけていた。
 ずっとハイネケンのビールを飲んでいた明里もおかわりでカクテルを飲むと言い出したので、健吾もハイボールをおかわりした。主役が飲みたいと言っているのに付き合わないわけにはいかない。

「今日はありがとうね。正直二人に会ったらまた修二のこと思い出しちゃうかもって思ってたんだけど、二人がいてくれて助かった」
 ダイキリを一口飲んで明里はそう言った。
「なに水臭いこと言ってんの。寂しくなったりお酒が飲みたい時はいつでも呼びつけてよ。ところで、この前仕事辞めたいとか言ってたのは大丈夫でしょ?」微笑みながら琴葉が訊ねる。
「うん、あの時は何もやる気が起きなくて、いっそ全部放り投げてやろうって気持ちだったけど、よく考えたら仕事を辞めたところで何も解決はしないし、むしろ仕事に没頭してた方が気が楽かなって」
「そうでしょ? だから言ったじゃん、五月病みたいなもんだって。一過性のものだから来月になれば元気になるよ!」そう言って琴葉が笑ったら、つられて明里も笑った。
「よし、健吾も飲むよ! 乾杯!」
 二人が残りのお酒を飲み干したので健吾も飲み干した。
「明里、やりたいこととか行きたいところないの? 付き合うよ」
 今のお酒で目がトロンとしてきた琴葉が訊ねる。
「うーん、海に行きたい」 
「海! いいね! 行こう! もう来週に行こう。今月中に行って五月病を吹き飛ばそう。健吾、車出せるよね?」
 どこでスイッチが入ったのか琴葉が上機嫌になってきたので「もちろん!」と健吾は即答した。

「よし、じゃあ今日はあと一杯飲んで終わりにしよう」上機嫌のまま琴葉は店員を呼んだ。
 正直、健吾はもうお酒はきつかったが、今日は飲まなきゃいけないと覚悟を決めた。
 ふと、水槽のペンギンに健吾は目をやった。ケープペンギンという種類ということは知っていた。確かに見ていると癒される。だが、あいつらは今どんな感情なんだろう。楽しいのだろうか、切ないのだろうか。どうも感情というものが読み取れない。
 修二は今どんな気持ちなんだろう。
 そんなことを健吾は考えた。



〜後編へ続く〜





全8000字くらいの短編小説ですが、今回は前編後編と二回に分けて投稿します。
すでに全部書き終えているので、確認だけして後ほどUPする予定です。

『五月病ドライブ』というタイトルだけあって、やっとこさ後編は海へのドライブから始まります。
後編も読んでいただけたら幸いです。

最後まで読んでくださりありがとうございます。サポートいただいたお気持ちは、今後の創作活動の糧にさせていただきます。