何故新卒採用が廃れつつあるのか

新卒採用の終わりの始まり

 最近話題になったのが3メガバンクの中途採用比率が5割に迫り、特に三菱は6割、との記事。金融機関と言えば、伝統的に内向きの文化の中、中途採用には及び腰なイメージがあり、IT等一部部門を除いては新卒信仰が強かった所が、ここまで来たかという印象がある。私の知る幾つかの業種ではこの数年前くらいから先行して、この程度のこの新卒/中途採用比率が一般化しつつあったこともあり、日本の労働慣行上伝統であった新卒採用について全体とは縮小しつつある様に思う。この背景として一つ言われるのは、そもそもの新卒学生数の減少ということもあろうが、この場合カウントの対象になるのは出生数ではなく18・22・24歳人口なので、ここ数年でそれほど急減したという事実はない。では、何故こんなことになっているのだろうか。

新卒採用という長期投資

新卒採用に係る資金収支イメージ

 新卒採用というのは企業の視点では事業投資に近い。新卒について発生する資金の流れを追ってみると、初年度採用コストで大きな流出があった後に、当初数年の間はあまり役に立たない中でも賃金支払いのみが先行し、後年やっと戦力化することによって少しずつ回収が始まり、良い年なった所でプラスに転じる…こんな流れである。例えば上で適当に書いてみたイメージの中では4年目まではそもそも雇っていることでのコストの方が大きく、5年目でトントン。6年目以降単年ではプラ転するが、累積で黒字になるのは9年目以降…という感じ。(この例はちょっと極端かもだが)

要は最初は赤字であって、中長期でやっと回収・プラ転できる訳である。つまり、例えば上の図では8年目までに辞められるとトータルで赤字になるし、4年までに早期退職されたりした日には目も当てられない…ということになる。新卒採用とは終身雇用が前提のガラパゴス雇用慣行の中で成立していたものであって、これほど転職が一般的になると構造上成立し得なくなってきている、ということはあるだろう。

中途採用の強みとしての職能・即戦力性

 そもそも何故中途採用をするかと言えば、単純なマンパワーもあるが、自社におけるOJT/研修で賄えるスキル/知識以外の職能を取り込む為であって、これによって新しい商品・事業・商流の構築の可能性が出てくるワケである。近時、専門性の深堀、多角化を求められる中では外に人材を求めるのはある意味で自然な流れとも言える。

というのは表向きであって、もう一つストレートな事を言えば上の図で6年目以降の人材をいきなり低いコストで採ってこれればいきなり収支がプラスから始まる訳であって、ネームバリューや待遇の関係でそれが可能な企業であれば、躊躇なくそれを執行する(もうしている)のだろう。

日本における正社員コストの高さ

日本の労働/雇用に関するトピックとしては、よく解雇規制以下、労働者の権利の強力さが言われる。確かに実際の就業規則一つとってみた所で降格等は相当の怠慢などが無ければ行われないし、解雇は元より一度上げた賃金を下げるだけでも雇用側には相当なパワーが要る。要は日本における「正社員」の身分保障の厚さにより、一度正社員としてしてまうと、使える/使えないに限らず社員本人が希望した場合、実質的に終身にわたって面倒を見なければならず、これが全社員の単価にまぶされることによって上記の図で見た所のCOF(=コスト)を押し上げている。

と、なれば企業が正社員の比率を下げて外注/自動化/非正規化を推し進めるのは構造上所与の現象であって、現にそれは起きている。これは、過去には存在しなかった包括で外注を請け負う事業者の存在やシステムによる自動化が実現したことにより、正社員で賄う比率を極小化して、それ以外の部分でレバレッジをかけて事業を拡大することが可能になったのが大きい。この様な環境下で敢えて正社員を用いるのは外注等の方法を採ることが難しい部分に限られ、例えば具体的には意思決定の機構であるとか、収益の根幹に係わる部分、長時間労働/即応性が求められたり、専門性の高さ故に外注が困難な部分等であろう。

環境の厳しさと個人の強さ

 ところで「最近の若いもんは~」とは5000年前のエジプトの粘土板にもその様な書き込みがあったという、人類にとって最も一般的な言説の一つであるが、考えてみればそれは当然かもしれない。巨石を素手で運んでいたエジプト人も結構なものだが、それでも農耕民族な訳であって、その祖先の時代は氷原でマンモスと戦っていた訳である。近代の日本の動きを見ても、曾祖父母の時代は大戦争、その後は焼け野原からの復興、その後GDP2位に駆け上がるモーレツ労働があって、直近では高橋まつりさんの事件の後のホワイト化があり、コロナ禍のリモート導入を経てその流れは極まった様に思う。直近は元より数千年のスパンで見ても人類の労働、あるいは生存環境は常にホワイト化の一途を辿っており、その中で我々は5000年かけて高度化し、同時に個としては不可逆的に弱くなり続けてきた。

底が抜けてしまった人達

 私達も鉄拳制裁が実在した様な上の世代と比べれば十分に弱い。それでも残業でもノルマでも「仕事なので仕方がない」という意識はあったし、だからこそ新卒採用の慣行というのはまだ維持されていたのだと思う。なので、例えば最近トレンドになっている「退職代行」とかには結構唖然としてしまう。要は面と向かって嫌な事一つ言う事もできない、というある意味での新人類が(これまでも世間にはいたのかもしれないが)ついに職場にまで入り込んできたという事実である。他にも「嫌な事だけはできなくなる」という新型うつであるとか、何も終わってなくても必ず定時で帰る、公然と命令を拒否して何かあると全部パワハラを訴えるとか、極めつけは内定式に親が付いてくるとかで、ほんの少し前からしても信じられない様な現象が次々と発現しつつあると聞く。これは上記で述べている企業側から見た正社員としての収支を恐らくは過去にないパワーで押し下げる物なので、これをやる様な人達は正社員として雇用されるボーダーの下に回ってしまった可能性が高いのではないかと思う。

これからの正社員についての予想

 恐らくは、正社員とする人間は主に知識/スキルの観点から厳選が進んで、自動化/外注を軸とした正社員比率の圧縮が益々進むことと思う。すると正社員として採用するボーダーは上がってくるので、新型うつみたいな人達は入口の時点でそれを超える事ができなくなるのではないか。人財市場はボーダーを超えている人間を取り合う事に終始し、どこかの転換点で恐らくは新卒採用という組織的な慣行自体が全体としてのコスト構造の変容により行われなくなり、中途も新卒も一律基準の一本選考が始まるのではないかと思われる。日本国全体としては、これは職能のない人間も一律で強化してきた新卒一括採用という仕組みは正に日本の底力でもあったので、これが失われることは良いか悪いかフラットに考えるのであれば、あまり良い事ではない様な気がする。ただ、「絶対残業しません」と言われてしまうと、もうそれは仕方がないのだが。

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