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スマホ"中毒"は悪なのか?

私は、この動画が好きで、 
チャンネル登録もしているのですが、

先日、非常に考えさせられる内容の動画を見ました。

ある一人の男性が、スマホ中毒を抜け出した方法をいくつか解説しています。

時間を見るときは時計を見たり、
通知をオフにしたり、
画面の色をグレーにしたり、
メールはパソコンのみで行ったり、
返信はまとめてしたり、

様々な方法を紹介していました。

しかし彼は、スマホそのものを悪だとか、そういった事を言っていたのではありません。

Don't get me wrong. Phones have plenty of uses.
(勘違いしないでほしいのは、スマホは非常に便利だということ。) 

ということを伝えた上で、スマホ中毒を抜け出した方法を紹介し、そして、実際のコミュニケーションの大切さを説いています。

これに対するコメントの一部を用いて文法解説をしてもらう流れだったのですが、

コメントを読んでいて、なんだか違和感を覚えたので、そのことについて書きたいと思います。

あるコメントに、

I need to stop justifying YOUTUBE addiction by saying it's educational or valuable and so on…. I'm an addicted.
(ユーチューブを見ることを、教育的とか、価値があると言って正当化するのをやめなければならない。私は中毒者だ。)

とありましたが、かなり刺さる言葉でした。

では、YOUTUBEで得た学びは意味がないということなのか…

ということとはまた違うのかな…と、
私はまだ正当化してしまっています(笑)

そもそも、スマホを使うことのどこまでが悪でどこまでが良いのか…なんてことまで考えてしまいました。


そして、冒頭からまた観てみると、新たな気づきが得られました。

まず、こちらの動画では、

Addictionを、

a strong inclination to do, use, or indulge in something repeatedly 

(繰り返し何かをする 使う 没頭することへの強い思い)

と定義していました。 

どちらも、ネガティブな意味で用いられるという点においては共通しています。

が、そもそも、Addictionと中毒の意味の間に少し違いが見られるということがあります。

Addictionは何かに対する強い思い、なのに対し、
中毒は、副作用を伴うような毒のような意味を含んでいるようなイメージです。


話はずれましたが、  

YOUTUBEを観ているときに、
YOUTUBEに対する強い思い、執着するような思いは1mmもありません。

ただ、面白い、とか、
勉強になるな、楽しいな、とか
そういう感情しかないと思います。

そういった意味では、
長時間スマホを使っているだけの人のことを、
スマホ中毒、ひいてはaddictedと呼ぶのは、

ちょっと違うのかもしれないな…
と思いました。


そうやって私は、noteにかなりのスマホ使用時間を費やしている自分を正当化しています。


ながながと、訳のわからないことを書いてしまい、申し訳ございませんでした。

こんな記事も読んでいただいて、
誠に感謝しております。

ちょっと、今日は頭がおかしいかもしれません。

寝ます。


読んでくださりありがとうございました✨

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