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「家族のために作った料理」なんて、おごった考え方だった

以前友人と飲んでいるときに、ふと、日常に感じていたささやかな悩みを相談した。

「家族にふるまった料理の第一声が “おいしい” じゃなかったりすると、結構凹みませんか?」と。

そうしたら、その場にいたみんなが口を揃えて言うのだ。「そんなのは考えすぎだ」と。


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うちは基本的に妻が食事を作ってくれるのだけれど、妻が仕事で外に出てしまうときや、土日などの休日には、僕が食事を準備することがある。

そんなとき、自分なりにはきちんと頑張る。
別に料理が得意なほうではないし、経験も多いわけじゃない。けれどもせっかく担当するのだから、美味しいものを振る舞ってあげたいと思うわけだ。

特に妻には美味しいものを出したいと思ってしまう。普段「自分が作った料理はおいしくない」とこぼしているので、せめて僕が料理当番のときぐらいは、美味しいと感じられる時間にしてあげたいと思うのだ。

あとは「材料を無駄にするわけにはいかない!」という思いも強い。

家の財布を使って材料を買っているわけだから、美味しくない料理のために家の出費を増やすわけにはいかないと考えてしまう。せっかくの食材、無駄にしてはならない——と。

一人暮らしのときは適当に野菜を切ってフライパンを振り回すだけだった。お腹がいっぱいになれば十分だと思っていた。けれどもいまは、きちんと「料理」を作ろうと努力をはじめたのだった。

その結果、そこそこに料理の感覚もつかめてきたように思う。レシピに書かれた「適量」も、適当な量のイメージがつくようになってきたし、レシピに書かれている工程の意味や理由もなんとなく理解し始めてきた。

日常的にInstagramやTikTokなどで美味しそうな料理はメモを取るようにもなったし、初めて作る料理でも形になる確率が上がってきたように思う。


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そんなわけで、ヘタはヘタなりにぐるぐると考えながら料理を作って、なんとか形にして、食卓に料理を並べている。自分的にはちゃんと納得できたけれど、妻や娘は満足してくれるだろうか。

僕が抱える緊張と不安なんて気づかぬ様子で、「いただきます」と号令がかかる。そして、箸が最初に捕まえたものは——前日に妻が作り置きしていた惣菜であった。

「真っ先に食べてもらえなかった——」なんてことを考えている自分の小ささに、みっともなさを感じてしまう。

僕の気持ちを置き去りにしながら、食卓は進む。そしてついに僕が作った料理に箸が伸び、口元へと運ばれる。

どうだろうか。口に合うだろうか。ドキドキしながら様子を見るが、料理の品評を待たず、箸は次から次へと料理を運び、そして消えていった。

たまらなくなり、聞いてしまう。「どう?おいしい?」と。

すると妻も娘も笑顔をこちらに向けて「おいしいよ!」と応えてくれた。その言葉を聞いて、自分の喉につっかえていた料理が、ようやく胃に落ちていくのを感じた。


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そんな一部始終の揺れ動く僕の気持ちを、飲みの席で友人に話してみる。

「真っ先に箸をつけてもらえなかった」
「自発的に美味しいの言葉を言ってもらえなかった」
「せっかく頑張ったのに、すこし寂しい気持ちになってしまったのだ」

——と。

すると友人は言った。「考えすぎ」と。

「それは期待しすぎだよ。僕の料理は作るけど、それは自分が食べたいものを作っているだけで、そのついでに振る舞っている感覚。だから相手がどう感じるとかは考えてなくて、自分が満足したいものを作って食べてるだけだよ」

その言葉で、自分の中のスイッチがパチリと切り替わったのを感じた。

もっとエゴでよかったのだ。自己中心的に、自分が美味しそう・食べたいと思ったレシピを保存して、それを作って、自分が美味しいと感じられたら、もうそれで十分なのだった。

その結果、妻や娘が仮に「おいしくない」と言ったとしても、僕が美味しいと感じていたのなら「口に合わなかったのは残念だね」ぐらいの気持ちで振り払えばいい。
「正直、失敗したな」と思ったのなら「そうだよね!俺も微妙だと思ってた」と笑い飛ばしてしまえばいい。

人の評価で一喜一憂するのではなく、ただただ自分の舌に対して正直であればいいのだ。

妻や娘が喜びそうなものを献立候補としてピックアップしたり、どうやったら美味しいと言ってもらえるかを考えていたけど、誰かのための料理は苦しいのだと気がついた。

もっと自分勝手に、わがままに。「今日は俺が食べたいものを作って食べられる日だ」と考えたら、献立を考えるのも、包丁を握るのも、なんだかすこし楽しく感じている自分がいる。


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あとがき

もちろん、家族にとって美味しいものを作りたい。その気持ちは変わらなくて、そのために頑張りたい自分もいる。

けれどもそれは、僕が僕自身にとって美味しいものを作った先にあればよくて、まずは自分の満足を優先していいのだった。

逆に、自分が美味しいと思えないものを家族に振る舞ったところで、その食卓に幸せはないのだろう。


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