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いわて里山藝術祭の開催

かねてから夢想していた"いわて里山藝術祭"を今年の秋に開催しようと考えてる。

藝術祭なんて言うとイケてるアーティストやミュージシャンが東京から来て、よくわからない作品がポツンポツンと展示され、なんとなく敷居が高く、なんとなく、一般の市民にはなじみの薄いもののようなイメージがある。

私たちが考えているのはそういうものではなく、誰もが表現して誰もがそれを味わい、楽しむことができる一般市民の藝術祭だ。

※藝と芸の使い分けについては別に書く。

そのアイデアの根本にあるのが宮沢賢治の農民芸術概論綱要の中に書かれているいわゆる"芸術"というものだ。

宮沢賢治の農民芸術概論綱要の中に大好きな一節がある。まさに「農民芸術とはなにか?」を、高らかに謳う部分。ちょっと引用を見てほしい。

農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具体的なる表現である

宇宙の感情と、大地、人、それぞれの個性において具体的に表現されるもの。

そは直観と情緒との内経験を素材としたる無意識或は有意の創造である

直感と情緒との内なる経験による無意識と意図ある表現。

そは常に実生活を肯定しこれを一層深化し高くせんとする

この芸術とは日々の暮らしをより味わい深く、高尚なものにする。

そは人生と自然とを不断の芸術写真とし尽くることなき詩歌とし巨大な演劇舞踊として観照享受することを教へる

「農民芸術概論綱要 "農民芸術の本質"」宮沢賢治

そして芸術によって私たちは、人生と自然を絶え間なく続く写真であり、詩や歌であり、巨大な"ミュージカル"としてそれを眺め味わい受け取ることを知る。

・・・・・

芸術とは何か?という解釈はいろいろな説があるだろうし、人によっての定義もあるだろう。だが、私たちはこの宮沢賢治の"農民という立場から問う"芸術というものにとても共感している。

宮沢賢治はこう続ける。

誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である

「農民芸術概論綱要 "農民芸術の産者"」宮沢賢治

残らず、誰もがみんな芸術家として生きよ。
みんながそれぞれに"やむなき表現"をするのだ。そして、芸術家とは肩書きや職業ではなく、その瞬間瞬間の私たちのあり方なのだと。

私たちの里山芸術祭もみんながそれぞれに自分のしたい表現をしたいようにして、それに誰もが参加でき、楽しみくつろぎ。そして、その背景にあるいわての里山という恩寵・巨大なギフトを大いに受け取る、、、そんな時間にしたいと思っている。

僕の大好きなサンボマスターもこう叫んでいる。

俺達はここに優勝しに来たんだ。
それもただの優勝じゃねえ。
全員優勝するんですよ!!!!

全員!
芸術!

全員!
藝術!


名前がわからないがふと目に留まる佇まい。

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