ぽつーと考えていること 変だなあ って言われることについて

なにものかになりたくてぽーっとしてるおれ
ほんとにわからない、いまなにしたいのかわからない 誰かとバンドとか組んだら絶対人間不信になるよ〜鬱屈としててまいにちが 休みの日だと自分に向き合う時間も多くて見なくて良い現実に直面してしまう 暇が多いってことですいわゆる 前までは大学受験やだなーと思うふつうの学生(今も普通だけどね)
あー普通で思い出したことをかきます 自分しかみないから乱文しても良(よ)いのだ
きのう、ままに「あんたが普通じゃなくてよかった」といわれた (お母さんへ)わたしはずっとふつうですよ と言った そしたらあんたは普通じゃないわよ〜と返された 思い返せば幼稚園や小学生のとき、まゆこは普通じゃない 人よりでかいし感覚が違った?大人びてた?知らんけど。「変」と言われ省かれてた ずっとじぶんの普通を普通だとしんじてて、それが変というレッテルを貼られることがおかしいとこのころからずっと漠然と思っていた 中学生のとき、週に何回も「生きづらそう」と色んな人にいわれた 笑って「そんな事ないよ〜!」と返してたけど 笑えないからな なんでそんなことを言うのだろう なんでわたしが生きづらそうに見えるのだろう とずっと思ってた 高校生になって「変」と言われるのが受け取り手にとって褒め言葉になっていることに気づいた やっとだ クラスメイトが「私変だから〜」「私変わってるから〜」と言っていて死ぬほどビックリした 自称するのか、それを。「変」というレッテルを貼られたいのか と驚いたのです なんで?なんでなんでなんで?わたしの頭のなかはビックリ・ハテナマークで埋めつくされてゆきました。
「変わってる」と言われることは屈辱的で、被害妄想チックで考えると「この世から必要とされていない、レールから外れた人間」ということだとずっと思っていて、考え方は合ってるとしんじてる。人にあわせられない、集団行動が向いてない、人が嫌い、仲間とか欲しくない、秩序が守れない、ルールが守れない 等 どれだけ嫌だー!!って思うことも私は絶対に守ってきた もちろん曲がり通したくないことはたたかったり、こっそり反抗(ダサい)したりしてたけど。だから「変わってる」ということを自称する人がいると知ってとっても驚いたっていう はなしだ。
ここで気づいたけど、私はもう「普通」ではないのか。だって集団行動とか色々ルールとか守れてるし。そうだ、私は普通だ。元々普通だったのだ。だって「普通」の定義が無いじゃないか。お前の基準に押し図られてたまるか、私の行動する全てが私の「普通」ということに、これで、この文章でやっと気づいた

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