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Last Hopeー己自身を見つめ対峙せよー


オープニング

 相互関係をよく見て観察する力が、その人の人生の行方を左右します。これを「自分を信じる」という概念につなげることができれば、大きな原動力となるはずです。

 私たちは、現象の流れの中に多様性を見ながら、統一性を求めています。生命そのものを個々の要素に分解することはできず、現象そのものは内的・外的要因の総体によって左右されます。

 個人の小さな変化が、社会全体の変化につながることもあれば、逆に社会という大きな枠組みを壊すことで、個人の人生を破壊してしまうこともあります。

 すべてのものが互いに影響し合っていることを考えると、一人ひとりに自律的な生活を求めることは簡単なことではありませんが、社会全体には良い影響を与えます。まず、ヒト(ホモ・サピエンス)の特徴を一緒に学んでいきましょう。



悲劇を生む「過剰な献身」

 人間の子供が、他のどんな動物の子よりも長期間無力であり、その間全面的に親に頼らざるをえないという事実から出発する。そしてこの幼児期の依存の体験は、生涯その痕跡を残す。

 われわれ人間が、個人や集団に統御された権威にすすんで服従するのも、教義や道徳規範に盲従するのも、少なくとも部分的にはこうしたことが原因になっていると考えてよいだろう。

 全歴史を通じ、大多数の人間にとって生死をかけて自ら受け入れた思想の体系も、実は自身で創りだしたものでも自身が選択したものでもなかった。

 人類史にみる連綿たる惨状は、たとえ主義・主張が道理に反し、個人の利益に欠け、自己保存の主張を危うくするものであっても、部族・国家・教派・大義に身を投じ、その信条を無批判かつ熱狂的に受け入れてしまう。

 人類の過大な度量と衝動に主に起因している。 人類の苦悩は、その過剰な攻撃性にあるのではなく、その並はずれた「狂信的献身」にあるというあまり耳慣れない結論に到達する。

 ごく少数の金目当ての傭兵やサディストを除けば、戦争は個人の利益からではなく、王・国家・大義への忠誠心と献身から起きている。 己の生命をかけた「没我的動機の殺人」こそ歴史を支配する現象だ。

アーサー・ケストラー「ホロン革命」より


 集団心理の背景には、個人の利他主義を吸収しながら集団のエゴイズムがエスカレートし、理想への傾倒が集団主義になり、集団と自己同一化する過程で、個人の批判能力が排除されていきます。

 そしてエコーチェンバーによって自己主張傾向が強化され、言動や行動が過激になり、排他的集団へと変貌を遂げます。



アドルフ・ポルトマン

「人間の子供が、他のどんな動物の子よりも長期間無力であり、その間全面的に親に頼らざるをえないという事実から出発する。そしてこの幼児期の依存の体験は、生涯その痕跡を残す」

という冒頭のアーサー・ケストラーの指摘に通じるものをスイスの生物学者アドルフ・ポルトマン「生理的早産」と名付けています。



生理的早産

 ポルトマンの「生理的早産」とは、仮にヒトの寿命を80年とすると、妊娠期間9.5カ月は人生の長さに対して約100分の1です。

 ウマなどの妊娠期間に照らし合わせると、ヒトが行動面で成熟するための期間は22カ月であり、生物として十分に成熟する「一年も前に産まれてくる」という主張です。また、誕生後の1年間で、ヒトは大きく成長します。

 特に脳の発達は様々な面で目覚ましく、ヒトは他の種では弱点になりそうな特徴を脳の機能と感情の豊かさを養い、知性と社会性を発達させて環境変化に適応しようとしました。しかし近年、コロナ禍の影響とAIの進歩によって、ヒトの思考力が著しく低下しているように思えます。

 ポルトマンは同じく人類学者であったピエール・テイヤール・ド・シャルダンと接触し、社会学と哲学を含む様々なトピックを扱っています。

 支配層はヒトの特徴をよく研究し、研究成果を管理・支配するツールに用いています。色々、繋がってきますね。

 また、アメリカの心理学者のブリッジスとルイスの研究により、情緒と感情は、異なるものであることが示され、感情が身体的な反応に影響を与えることが判明しました。

 そして情緒は、生まれて間もなく脳の発達とともに親子関係や保育・教育施設でのコミュニケーションを通して分化します。

 つまり、長期間のマスク着用は、感染リスクと比較にならないほど有害であることがわかると思います。次回は脳の性質について考えていきます。



エンディング

 意識の夜明けからその日まで、人間は個としての死を予感しながら生きて来た。しかし、人類史上初の原子爆弾が広島上空で太陽をしのぐ閃光を放って以来、人類は種としての絶滅を予感しながら生きていかねばならなくなった。新しい思想が人の心をとらえるには時間がかかる。

 原子核というパンドラの箱を開けて以来、人類は借り物の時間を生きている。困ったことにいったん発明されたものは、無に帰す事ができない。こう結論するにはふたつ理由がある。

 ひとつは技術的な問題だ。核兵器が強力になり、製造も容易になるにつれ、尊大なる老国家へはもちろん、未熟な新興国へも必然的に核は拡散し、いきおいに核兵器製造の全地球的管理は実行不可能になる。

 この状況は可燃性物質を積み上げた一室に不良少年の一団を閉じ込め、「使ってはならぬ」などとまことしやかなことを言いつつ、彼らに「マッチを与える」のである。

驚くばかりの人類の技術的偉業。そしてそれに劣らぬ社会運営の無能ぶり。この落差こそ人類の病の著しい特徴である。

 はたしてネアンデルタール人が頭骸骨を割るために使った石より現代の戦闘方法のほうが好ましいと言えるのだろうか。

 だが、老子や荘子が説いた倫理基準が、現在のわれわれのものに劣らないことだけは、はっきりしている。

 人間の大脳皮質には、約数百億もの神経細胞があり、それが石斧から飛行機から原子爆弾を、あるいは原始的な神話から量子論を発展させてきた。

 しかしこれと呼応し、自らの行為を改善していこうという本能的側面での発展はない。

アーサー・ケストラー「ホロン革命」より


 自分を見失いそうになる程の言葉の数々。この避けようの無い事実を目の当たりにして、受容と拒絶の葛藤の渦に身を任せながら、何が自分に出来るか?と考えるより、自分に出来ることは何か?と考えながら、心を震わせる「生の衝動」を受け入れていく。


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