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vol.1 アーティストとして、母として、2つの視点から見出した、産地の課題への解決策

「はままつ BABY BOX」が誕生してから約1年。この間たくさんの新聞やテレビなどに取り上げられ、反響の大きさにあらためて遠州織物の魅力と可能性を実感しています。今回は、このプロジェクトを推進した「BABY BOX Supporters」代表の桂川美帆さんにインタビューしました。どんな思いで遠州織物によるベビー用品を開発しようと考えたのでしょうか。プロジェクトの経緯をまとめました。


全国の産地で目の当たりにしてきたこと

桂川さんは、染色作家として活動するアーティスト。日本最古の染色技法の一つである「ろうけつ染」という表現手法で作品を制作しています。その活動を通じて織物産業の現状や課題を感じてきました。

「伝統的な技法による制作には、古くから使われる道具を使います。例えば布を染める刷毛(ハケ)も江戸時代からある物で、職人さんが一つひとつ手作業で鹿の毛を束ね止めています。でもこの刷毛を作る職人さんはすでに数が減っていて、質の維持が難しくなっている状況です」

伝統技法の道具ばかりでなく、作品の土台をなす布、私たちの日常に最も身近な布もまた危機的状況だと言います。

「以前は栃木県足利市の職人さんから直接布を買わせてもらっていたんですけど、高齢のため病気されてから織屋を閉めてしまわれたんです。だからもう手に入らない。京都の生地屋さんでお願いしてた布は今も織っているけれど、最後の仕上げ(練る)の工程を担う職人さんが育っていないのだそうです。反物としてはいっぱい在庫があるのに、それを出荷するまでの作業を分業できる職人がいないために量が出せなかったり、時間がかかったり。伝統的な技法を用いた表現活動をしているからこそ、これまで綿々と受け継がれてきたものが次世代に引き継げないかもしれない現実に、危機感を抱かざるを得ませんでした」

近年、手に入れられる布のほとんどは海外製。どんな産地でどのように織られたかわからない布。それを染めて作品にしてお客さんに届けることは、アーティストとして無責任な行為ではないか……。より良い作品をつくるためにも、繊維産業の現状に目を向けざるを得ない立場だったと桂川さんは語ります。

子育てを通じて、新たに芽生えた問題意識

こうしたアーティストとしての活動を続ける桂川さんには、2児の母というもう一つの顔があります。桂川さんが浜松で暮らすようになったきっかけは、ご主人の転職でした。

元々東京の大学で伝統染色技法を用いたアート作品をつくりながら、教員として学生の指導も行なっていた桂川さん。女性作家としてのキャリアを順当に歩んでいたなかで、2019年浜松への移住が決まりました。

浜松での暮らしをスタートするや否や、母親と言う立場からも課題を感じ取っていたと言います。

「浜松に移住してすぐ第2子を出産したのですが、1人目の時とのギャップを感じましたね。1人目は神奈川でしたが行政サービスは充実していました。例えば、神奈川では保育園を選択するために相談窓口があったんです。そんなの無くても一軒一軒自分で調べて、電話したり直接足を運べばわかることなんでしょう。でも移住してまもなく周りに身内や知り合いも友人もいない環境下で、行政を頼りにできないとなれば心細さもひとしおでした。時期的にコロナ禍だったことも大きく影響しているかと思いますが……」

行政サービスと一言でいってもさまざま。例えば桂川さんの言うように相談窓口がないことや、情報発信の少なさも一つと言えます。身寄りのない移住者であればなおさら情報源はネットに限られているため、情報収集がままならない中での生活は想像以上に心許ないはずです。

産地の課題が自分ごとになる

縁もゆかりもない土地への移住でしたが、ここは「遠州織物」の産地。染色作家として全国の繊維産業を見てきた桂川さんの好奇心が刺激され、すぐに理想的な遠州織物を求め探すように。そこである布と出合います。

「人づてにある布が大量に破棄されてしまうからいりませんか? と声をかけてもらったんです。それは絡み織の布で、その複雑な構成にここまで凝ったものがつくれるなんてと感動しました。でもそれを織る織屋さんが、突然廃業してしまったと言うんです。
 工場のあった場所に行くとすでに更地になっていました。その光景を前に、あの布はもう買えないって思ったら、これほどの技術が廃れていっていいのか。本当にこれはやばいぞ、このままじゃまずいぞって。込み上げてくる想いを感じました」

これまでも全国の産地の課題に接してきた桂川さんでしたが、自ら暮らすまちでの出来事として目の当たりにしたとき、あらためて自分ごととして意識するように。この土地にコミットしていく意義を大きく感じた出来事でした。

ベイビーボックスとの出合い

ところで、桂川さんが開発した「はままつベイビーボックス」は、フィンランド発の育児支援「ベイビーボックス」から理念を受け継ぎ企画されたものです。フィンランドでは、出産を控えた家庭を対象に、育児支援の一つとして育児用品を詰め合わせた「ベイビーボックス」を無料で贈る社会福祉制度があります。現在では、国内でもいくつかの自治体で「ベイビーボックス」を子育て支援事業に取り入れられています。

桂川さんはなぜ、ベイビーボックスに着目したのでしょうか。

「1人目を出産するときに、どの育児用品を買ったらいいのかわからなかったんです。母は私が25の時に亡くなっているので、育児の相談ができる人がそばにいなくて。『これいる?』というような些細な疑問があっても、人によって経験した内容も違うし、出産の方法も違うし、価値観も異なるからなかなか正解がわからなくて。そんな状況に心細く感じる自分がいました。
ただ、私自身もこだわりのあるタイプなので、自分が納得したものを買いたかった。そんな時、フィンランドではフィンランドでつくられた育児用品を詰め合わせた『ベイビーボックス』というものがあると知りました。いいなあ、かわいいなあ。これがあれば迷うこともないし、何より安心。日本にもあったらいいのに……とぼんやり考えていたんです」

浜松版のベビーボックスを!

2人目を出産することになり、再び「ベイビーボックス」を思い出した桂川さん。育児に関する行政サービスへの課題感を抱きながら、1人目の時と変わっていたのは自分を取り巻く環境でした。

浜松には遠州織物というたくさんの上質な布がある。この地で受け継がれてきた繊維産業は、今でも良質な製品を生み出している。一方で、すぐにでも廃業してしまう織屋もある。であれば、産地の課題と育児の課題をどちらも解決できるような、「遠州織物の育児用品」を商品化したらどうか。

例えば、丁寧に織り上げた柔らかい布でつくるおくるみやスタイ、ベビー服。この土地だからこそ生まれる育児用品でなら、パパやママも安心して浜松で子育てができるかもしれない。フィンランドのベイビーボックスのようにいずれは行政サービスとして展開できれば、遠州産地の活性化にも役立てるかもしれない。

「行政サービスがすごく整っていることが大切なのではなくて、ちょっとしたことでも地域の優しさが感じられるものがあったら嬉しいと思ったんです。地元でつくられた育児用品で育った子どもたちが、自分の出生を振り返り、地元に興味を持つきっかけができたら一番いい」

自分が感じた心細さを、次世代のママ・パパ、子どもたちに同じ想いをさせたくない。そのための「浜松版ベイビーボックス」がどうすれば可能になるのか、桂川さんは方法を模索して行きました。

産地全体で取り組むことに意味がある

「遠州織物の産地構造は、他の地域と比べて特殊だと思います。いい意味でも悪い意味でも顔となる製品がない。遠州織物と一言で言っても多種多様。伝統的な遠州綿紬や遠州縞とうたってるもの、反物は広幅と小幅も細幅もある。厚手薄手、綿も麻も。注染や染色加工も強みです。外から見たらきっと遠州織物って何かわからない。でも見え方を逆転させたら、いろんな布、いろんな技術があると言うこと。いろんな顔や強みがあるのだから、それぞれの強みを表現した商品を一つのパッケージとして販売することで魅力が伝わると思いました」

そんな桂川さんのビジョンを胸に遠州織物に関連する事業所へ相談するも、予想に反して渋い反応でした。

「一度にいくつもの育児用品をつくるなんて無理じゃないかって。織屋さんにはいろんな人がいるのだから、横並びに同じプロジェクトをやるなんて難しいと。だから1個だけつくったら?って。でも一つだけじゃ遠州織物の多様な魅力は伝わり切らない。行政や組合に相談してできないなら、自分がやるしかないと思いました」

それまでにも1軒1軒織屋さんを尋ねたり、組合や協会の担当者と話を重ねてきました。そこで印象的だったのは、遠州地域では産地全体でプロジェクトに取り組むことは難しいと言う先入観が共通してあることでした。でもそれこそ遠州産地には足りないことだと確信していた桂川さんは、自らがプロジェクトリーダーとなり、浜松版のベイビーボックスをつくることを決意。

こうして仲間を募り、協力会社を探す日々が始まりました。


文・構成=尾内志帆


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