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輝くひとつ星

「賛美しなさい」
心のどこかに呼びかけられた気がした。
小さなイベントで出会ったゴスペルクワイア。
その歌声に圧倒されて、心がパツンパツンにはちきれそうになった。
一緒に歌いたい。こんな風に大きな声で賛美したい!

私は30年間まったくのヘボいチンピラクリスチャンだったし、ぬるい信仰しか持たなかった。教会での交流に煩わしさを感じたり、後ろ向きになることさえあった。

しかしこのクワイアに参加するようになって、晴れ晴れとした気持ちでまた向き合えているような気がする。
神様、私を呼び戻してくれてありがとう!
とさえ思える。


受洗したのは、長男が小学校低学年のころだった。就学した年だったか?
大事な受洗日もうろ覚え。
8月の第4日曜に、町を流れる一級河川のほとりで、長男と一緒に祝福を受けながら受洗した。
教会の信徒のほかに、夫や次男も立ち会ってくれた。夫はずっと容認していてくれた。


聖書を読み始めた頃、私には、長男が私にとってのイエスのように思えていた。
重い障害という十字架を負って生まれて、すべてを投げ出し、すべてを受け入れる。そうするしかない命。
私の喜びのみならず苦しみや理不尽や、勝手に向けられる怒りの発作や、時として暴力までも。
ひとことも言わず、逃げることも、自分をかばう術も持たず。

そんな存在である長男に出会って、私は自分の心の中の嵐に苦しんだ。
ここからどうやって自分を救い出せるんだろう。こんな横暴でわがままな自分、どうしたら変えられる?

息子は可愛い。愛しい。かけがえがない。
しかし自分よりも?自分の命と引き換えということになったら、それができるか?
答えはNOだ。自分を犠牲にしてまで、この人を生かすことなどきっとできない。逃げてしまうにきまっている。私はそんな者だ。

ああまた、罵ってしまった。叩いてしまった。私の嵐が長男を悲しませる。
しかしその暗闇は必ず、かすかな光が差し込んで、やがてぱあっと明るく暖かい瞬間に変わる。

それは何だろう。
私が泣き止まない長男を持て余し、自己嫌悪に浸っていた時、夫が帰って来てすぐにバトンタッチしてくれた。長男が夫に抱っこされて、こちらを向く。
泣きはらした目で私を見て、にっこり、笑いかける。


そこでなぜ笑う?なんで笑える?
そういう時、私は長男の泣きはらした笑顔の向こうにイエスを思うのだった。

大丈夫、僕はお母さんが好きなんだよ。
また一緒に笑おうよ。

私は長男と一緒に受洗した。
夫もそれを理解してくれた。


30年間、付かず離れずの信徒ではあった。
もうクリスチャンだなんて、言えないなぁと、自分を見捨てることも。
ただ、讃美歌だけは、長男が好きだということもあって、聞いたり口ずさんだりはしていた。

クリスマスシーズンには必ず、「きよしこの夜」を歌う。
長男は、この曲を歌うとにっこり笑ってくれる。
最近の面会日で歌うのは、クリスマスメドレーだ。


一年を振り返る、などということはあまりしたことがなかった。
忘れてしまうことも多くなり、よかったことも、そうでなかったことも
あまり思い出せなくなった。


もつにこみさんの「アドベントカレンダー」を知って、参加してみたいと思った。
アドベントは待降節というキリスト教の行事で、例年なら「そうか、待降節か」程度でスルーしていたのだけど、今年は振り返ってみると、キラキラと輝いているものがあった。
イエスの誕生を知らせた星のように、たった一つ、鮮やかに。

それはゴスペルに参加したこと。
そこでお腹の底から、神様を賛美する機会がもらえたこと。
声が嗄れても、息が途切れても、歌いきる清々しさ。

明るくキュートな先生の指揮でみんなで歌いまくりながら、
「賛美しなさい」と招いてくれた神様に感謝する。
退屈だった世界の色が塗り替えられたような気がする。

ゴスペルクワイアは、自分たちが1曲歌うたびに拍手をする。
賛美を捧げる神様をほめたたえて、拍手する。


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