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ようこそテレビ

デカイテレビが来た。
一昨日午後、玄関のピンポンが鳴って、腰を伸ばしながら「へーい」と出て行くと、わっ!となるようなカッコイイお兄さんが立っていた。
家電屋のお兄さん。
折からの風に長い前髪をなびかせて、光る君。

多分、うちの息子たちくらいの年齢でしょう。
おーい、イケメンさんだぞー!
私の中のおばちゃんがピシッと姿勢を正す。
はい、口角引っ張り上げて!
しわ伸びろ!(むり)

二人組でテレビを運び込んで、さっさと組み立てて
テレビ台の高さを調整して、WiFi設定も教えてくれる。
「もう一回やってみます、あ、これで、こうなって、こうね。
できましたぁ~!」
オバカンは何かと若い人に絡みたい。
息子年齢のイケメンさんにはなおのこと(笑)

彼らがおそらく逃げるように帰って行き、リビングに納まったテレビ。
恐れたほどには、デカくない。
ふふーーーん。やるな父さん(もうお空は見上げない笑)。
大きさがクリアできれば、あとは嬉しさが100%なのだった。

リビングに鎮座ましますテレビ。
明るい空間に、ぽっかりと浮かぶ黒い長方形。
なんか、いきなりそこに夜のプールが現れたみたいな気がする。
あ、液晶だから、まあ親戚みたいなもんか(違うと思う)。

次男が仕事から帰り、テレビに反応する。
いつも平熱の反応の人だが、今回は自分がYouTubeを見ようと思っているからなのか、すこし、高温な反応をしていた。
それでもつけようとはしなかったが。

夫が帰宅し、テレビを発見。
「やったね母さん、今日はホームランだね!」
というド昭和なノリはなかったが、早く見たいなー!といいながら
楽しみを先延ばしにするようにして、ゴルフ練習とビールのために自室へ行った。(スイングの研究がビールのつまみなのです)

新しい家電は心が高揚しますな。
あまり踊らされまいとしている私でも、さんざん文句言ったくせに
目の前にあればワクワクする。
誰もいない時につけて、YouTubeでゴスペルソングの動画を見る。
わー、大きい画面で見るとすごいや!なんて。
画面きれい~~!!なんて。
げんきんなもんで(笑)

さて、デカいテレビが来て、我が家の晩御飯の食卓に変化がきざしている。
応急処置的に私の部屋の隅にある小さなテレビをつけて、遠く眺めるように食事していた頃。テレビはラジオみたいな存在だった。
夫はなにか話題がないと落ち着かないので(黙々と食べるのは苦痛な様子)、むりやり話を絞り出す。
言いたくもないであろう愚痴になることが多かった。
仕事の、町の役員の、ゴルフ場での。
そんないやな記憶を食卓に乗っける方も、乗っけられる方も、気分がいいものではなかった。
そこに方向違いの合いの手を入れてくる義母。
的外れにいらつく夫。
私はささっと詰め込むように食べて、逃げるように席を立っていた。

それが、この二日間の晩御飯の和やかなことと言ったら。
夫が画面を眺めて、穏やかだ。
きれいに映っているからなのか、ニュースに対しても寛大な反応なのだ。
〇民党にも優しい(笑)
ラジオ代わりだった時は、音声だけだった(画面が遠すぎて見えない)から、その言葉尻を捉えては上げ足をとるような感じだった。
よくない言葉がよくない反応をひっぱってくる。
おもしろみのない食卓になっていた。
夫なんか、目をつむって食べていたりした(ただのへんな人?)。
今は、クリアで大きな画面を眺めながら、ストレスなく食事時間が経過する。私も大急ぎで食い逃げしなくてもよくなった。
デカテレビ効果だなぁと感じている。

子ども達が成人し、次男以外は家を離れたとはいえ、もともと食事時は家族でテーブルに着くような家ではなかった。
長男の散歩が3時間もあったので、交代で食事するような状況だったから。
個食の気楽さがすっかり定着していたもんで、長男の手が離れ、さあみんなで一緒に〇〇、というのが、意外なほどに苦手になってしまった。

十数年ぶりに新調した新品のテレビは、そのデカさの存在感をいかんなく発揮して、個食好きな家族をむりやりにでも集めてくれている。
・・・ような気がする。
慣れてくればまた戻るのかなぁと思わなくもないが、こういう時間を経てなにかの変化は生まれるかも知れない。



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