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『パパのバカ』 B side

 B面 「パパのパパ」


○  蟻塚家・トイレ(1ヵ月後、夜)

    便器に座り、パジャマ姿でコミックを読む恵。

    薄く開いたドアの隙間から親の声が聞こえてくる。

 育雄の声 「じゃあ、切るね。……おやすみ」
    と、受話器を下ろす音。

○  同・リビングルーム

    テーブルで肩を並べるパパとママ。

 蟻塚伸子 「……よかったんじゃないの」

 蟻塚育雄 「親だけ、夏休みに海外へ行っていい思いするなんて皮肉言わ
       れちゃったよ、こっちはNPOの活動でそれどころじゃない
       のに。まあ向こうは孫と長く一緒にいられ、もっけの幸いと
       思ってるかもしれないが」

 蟻塚伸子 「あの子たちも喜ぶんじゃないかな。もし私たちについてきた
       り体験教室へ行っても、つまらない思いをするに決まってる
       もの。こっちだって恥ずかしい思いをしたくないし、収まる
       ところに収まったと思う」

 蟻塚育雄 「そういうことだよな」

 蟻塚伸子 「でもあの子たち、ちゃんと行けるのかしら。二人だけで旅行
       するの初めてだったはずよ」

 蟻塚育雄 「おいおい京都だぜ。新幹線に乗ったら二つ目なんだ。塾へ行
       くより簡単さ」

 蟻塚伸子 「そうね」

 蟻塚育雄 「それより、あいつらに夏休み中の勉強プランをしっかり立て
       させないといけない。放っておいたら、まるまる一ヵ月遊び
       ぼけてしまうんじゃないか。ひそかにそれを狙ってるかもし
       れん」

 蟻塚伸子 「まるで自分のことのように気がつくのね。そういう心配なら
       恵は必要ないでしょうし、徹は家にいても勉強なんかちっと
       もしてくれません。それはそれで大切ですけど、せっかくの
       機会だからもう少し社会性のある課題を与えてみたらいいと
       思うの。たとえ実家であっても、いつもと違う場所で何か発
       見してくれたらこれにまさる学習はないはず」

 蟻塚育雄 「そりゃそうだ」

 蟻塚伸子 「同じ時期に私たちがボランティア活動にいそしもうとしてる
       んだから、あの子たちにもそうした縁や取っかかりをつかん
       でほしいの。一人の人間としてこの時代を生きていくため、
       それはいずれ身につけなければならないことでしょ」

 蟻塚育雄 「いいこと言うなあ、おまえ」

 蟻塚伸子 「体がもうそうなってるんでしょうね。こういう話、考えなく
       てもぽろぽろ出てくるの」

○  同・トイレ

    コミックを閉じる恵。

○  新横浜駅・乗り換え通路

    ワンピース姿にバスケットを提げる恵と、半ズボンとTシャツに小
    さなリュックを背負う徹。

    その後ろにはカメラ小僧のような格好をした雨宮章夫。

 蟻塚徹  「(振り返りながら)まだ、ついてくるのか」

 雨宮章夫 「きみらは新幹線のことよくわかってないだろ」

 蟻塚恵  「ここまできたら仕方ないよ、撮り鉄なんだし」

 蟻塚徹  「団地の廊下で見送るだけだったのに」

 雨宮章夫 「(カメラを掲げ)操車場へ行くついでさ」

○  同・ホーム

    乗車位置に並ぶ恵と徹。

    なぜかそれにカメラを向ける章夫。

    恥ずかしげにうつむいたところへ列車がやってくる。

    乗り込もうとしたとき、徹の頭をこづき、駆けていく章夫。

 蟻塚徹  「章夫のやつ、これが目的だったのか!」
    と、乗車口を背に地団太ふむ。

 蟻塚恵  「しばらく離れ離れになるのが寂しかったんだよ、たぶん」

 蟻塚徹  「夏休みが終わったら覚えてやがれ」

 蟻塚恵  「無理よ。きっと徹が忘れちゃうもん。早く、乗って乗って」
    と、その肩を押す。

○  新幹線・指定車両

    チケットを手に指定座席を探す恵と徹。

    やっと該当の番号を見つけると、そこには赤ら顔の中年夫婦。

    幼い姉弟をちらちら見やり赤味を増す顔。

 中年男  「ああ、あれはどこかな」

 中年女  「あっちだったかしら」
    と、落胆した様子で立ち去る。

    すかさず窓際につき、忘れ物の塩せんべいをかじる徹。

○  同・車窓の風景

    浜名湖の穏やかな湖面。そこに浮かぶ白いボートやヨットの帆。

 徹の声  「うなぎアイス、うなぎジュース、うなぎチョコ、うなぎキャ
       ラメル、うなぎまんじゅう、うなぎおこし、うなぎドーナッ
       ツ、うなぎバハロア」
    と、唱えるような文句。

    高速ですれ違う対抗車両。

○  同・指定車両

    はっと目を覚ます恵。

    隣に徹の姿はないが、腕時計を見てまたうとうとする。

○  同・車窓の風景

    大小のビルが林立する街。垣間見えるエビフライの看板。

    まもなく名古屋駅に到着するというアナウンスが聞こえる。

○  同・指定車両

    再び目を覚ます恵。まだ戻ってきていない徹。

    と、乗務員がだれかを捜しまわるように通路を行ったり来たり。

    心配になり席を立ったとき、自動扉の向こうに喜色満面の徹。

    通路にふさがる人をかきわけ、身をくねらせてやってくる。

 蟻塚徹  「やったぜ、お姉ちゃん」
    と、うれしそうに声をひそめる。

 蟻塚恵  「どこへ行ってたの? ずっと前に頼んだ私の飲み物は?」

 蟻塚徹  「あ、そうだ」
    と、半ズボンのポケットからつぶつぶオレンジの缶ジュース。

 蟻塚恵  「わ、生ぬる。全然戻ってこないから、自分の席がわからなく
       なっちゃったのかと心配してたんだ。トイレから出られなく
       なっちゃったとか、変な人にさらわれて名古屋で降りちゃう
       とか、売店でお金が払えなくなり奴隷にされるとか、可能性
       はいくらでもあるから」

 蟻塚徹  「なにそれ。言っとくけど、ぼくはすごいんだぜ」
    と、喋りたくてうずうずした様子。

 蟻塚恵  「わかった。また変身していたんでしょ。みんな同じ方向に座
       ってるから、自動扉の先頭でやればいっせいに注目してもら
       えるもんね」

 蟻塚徹  「ああ、わかってないなあ。そんな恥ずかしいまねできるわけ
       ないじゃん」

 蟻塚恵  「言っちゃいなさいよ。いったいなんなの?」

 蟻塚徹  「グリーン車で麻生綾乃ちゃんと会ってたんだ」

 蟻塚恵  「それって、あの」

 蟻塚徹  「甘納豆のCMで有名な、チャイドルの麻生綾乃ちゃん」

 蟻塚恵  「へえ、同じ新幹線に乗ってるんだ」

 蟻塚徹  「大阪まで行くみたい」

 蟻塚恵  「会ったんじゃなく、見たってことでしょ」

 蟻塚徹  「ちゃんとお話ししたもん。ぼくのウルトラキャンディあげた
       もん」

 蟻塚恵  「サイン、もらわなかったの?」

 蟻塚徹  「えっ」

 蟻塚恵  「だから、会ったという証拠は何かある?」

    沈黙する徹。

○  同・グリーン車(回想)

    麻生綾乃の横を通り過ぎ、近くの席から様子を窺う徹。

    雑誌をめくりながら何やらつぶやく綾乃。

    耳をそばだて、その後ろへ移動する徹。

 麻生綾乃 「(小さな声で)私も、こんなふうに男の子とデートしてみた
       いな」

    そのせりふを聞き逃さなかった徹は、さっそうと座席の横に立つ。

 蟻塚徹  「こんにちわ、蟻塚徹です。よかったらぼくのウルトラキャン
       ディ、なめてみませんか」

    驚いて、徹の顔をまじまじと見る麻生綾乃とマネージャー。

 麻生綾乃 「どうもありがと」
    と、ねばついたキャンディを受け取る。

 甘粕律子 「(徹の手を持ち)だめよ、ぼく。さあ自分の席へ戻ろうね」

 蟻塚徹  「(それを振りはらい)がんばってね、綾乃ちゃん。ジャンル
       は違うけどぼくのパパも芸能界の関係者だから」

○  同・指定車両

 蟻塚恵  「そんなウソついちゃだめじゃない」

 蟻塚徹  「パパは怪獣と戦ってたって、自分で言ってたじゃないか」

 蟻塚恵  「あれは芸能界といわないわよ」

 蟻塚徹  「もう一回行って、サインもらってこれないかな」

 蟻塚恵  「そのマネージャーがいたんじゃ、無理ね」

 蟻塚徹  「そしたら、お姉ちゃんが行ってくれない」

 蟻塚恵  「なんで私がそんなことしなくちゃならないの」

 蟻塚徹  「つぶつぶオレンジ、飲んじゃったでしょ」

○  同・グリーン車

    教えられた座席へしずしずと向かう恵。

    手には徹の怪獣スケッチノート。

    ロングヘアの綾乃とボブカットの女性マネージャーが見えてくる。

 蟻塚恵  「(頭を下げ)あのう、麻生綾乃さんのサインいただけません
       か」
    と、ノートとペンを差し出す。

 甘粕律子 「あら」
    と、値踏みするように恵を眺める。

 甘粕律子 「こういう場所ではお断りするけど、あなたには特別にしてあ
       げるわ。綾乃ちゃん、この子ったら妙に雰囲気あると思わな
       い?」

 麻生綾乃 「お名前、なんていうんですか?」

    どぎまぎしながら綾乃を見る恵。

 蟻塚恵  「あ、ありづか……」

    いきなり、徹の片足が伸びてくる。

 蟻塚徹  「ありづかとおる、です。こういう字です。Tシャツにも書い
       てください」
    と胸をはり、スニーカーに書かれた自分の名前を指さし、姉の横に
    立つ。

    バランスが悪いため、その体を支える格好の恵。

 甘粕律子 「(驚いて)えっ、きょうだいだったの?」

 麻生綾乃 「(顔をほころばせ)さっきのキャンディくんね」

 蟻塚徹  「(誇らしげに)うん、ウルトラがつくけど」

 蟻塚恵  「あのう、ありづかめぐみ、私の名前もお願いします」

    そこへ、まもなく京都駅に到着するというアナウンス。

    顔を見合わせる恵と徹。

○  同・別の車両

    込み合う車内をダッシュする恵と徹。

    列車はすでに駅の中。

 蟻塚徹  「まかせてよ」
    と、すばしっこく先を行く。

    恵がやっと自分たちの車両へ入ったとき、座席にたどりつく徹。

    荷物を両手に掲げガッツポーズ。

    すぐに乗降口へ向かって走る。

    発車ベルが鳴るなか、出口の手前で徹を待ち受ける恵。

    徹が現れると、襟首をつかんで思いきり外へ飛び出す。

○  京都駅・ホーム

    ぐったり倒れこんだ恵と徹。

 蟻塚徹  「ぎりぎりセーフ」

 蟻塚恵  「徹のおかげだ」

 蟻塚喜一郎「おお、出てきはった。いったいどうしたん?」

 雨宮章夫 「みっともないなあ」

 蟻塚恵  「あ、おじいちゃん。(狐につままれたように体を起こし)ど
       うして章夫くんがここにいるの?」

 蟻塚徹  「(目をぱちくりさせ)あれ、ほんとに雨宮章夫なの?」

 雨宮章夫 「驚いたでしょ」
    と、にっと笑いながら新横浜駅の入場券をひらひらさせる。

 雨宮章夫 「こんなのちょろいもんさ。途中、しつこい乗務員のおっさん
       がいて名古屋あたりでは危なかったけど、このスリルがたま
       らないな。京都でびっくりさせてやろうとぐっとこらえてた
       んだぜ。ちっとも降りてこないから乗り過ごしちゃったんじ
       ゃないかと心配したよ。せっかくの思いつきが台無しになっ
       ちゃうからね。でもその顔を見たら、もう夏休みすべての痛
       快さを味わったくらいすっきりした」

 蟻塚恵  「章夫くん、そんなことのために二時間半も新幹線に乗ってた
       んだ」

 雨宮章夫 「違うよ。帰らないといけないからその倍はかかる」

 蟻塚徹  「おまえ、バカじゃないの。そんなむだなことに夏休み最大の
       喜びを感じるようじゃ一生女の子にもてないぞ。そっちが新
       幹線の中に隠れてるあいだ、こっちはもっとすごいことがあ
       ったんだ」

 雨宮章夫 「負け惜しみを言うな」

 蟻塚徹  「へへ、これを見てみろ」
    と、ホームに尻をついたまま胸をはる。

 雨宮章夫 「あっ、麻生綾乃のサイン。グリーン車にいるのをぼくも見か
       けたけど、話しかけられなかった」

 蟻塚徹  「これも見てごらんよ」
    と、得意になってスケッチノートを開く。

 蟻塚徹  「ほら、ここにもサインあるだろ。彼女、この怪獣が好きだっ
       て言ってた。ぼくはもう綾乃ちゃんと友だちになったから、
       東京へ帰ったら一緒に会わせてやるよ」
    と、立ち上がってズボンのほこりをはらう。

    さっきまでの自信ありげな表情がかげる章夫。

 雨宮章夫 「上りのひかりがくるからそろそろ行くよ」

 蟻塚徹  「まあ、元気を出せ。綾乃ちゃんと何か進展があったら教えて
       やるからさ」

    ベンチに腰かけ二人のやりとりを眺める恵とおじいちゃん。

    気持ちに余裕のできた徹は反対側のホームへ章夫を見送る。

 蟻塚喜一郎「小学生のうちから三角関係でもめとるんかいな。徹も大きく
       なりよった。友だちは大切にせなあきまへん」

 蟻塚恵  「(きっぱりと)大丈夫だって」

○  同・反対ホーム

    気の合う小学生同士のうるわしい風景。

    やがて新幹線が滑り込んできて発車ベルが鳴る。

    と徹へ頭突きを食らわし、車内へ駆け込む章夫。

 蟻塚徹  「チクショー、覚えてろ!」

〇 アリヅカ薬局・外観(夜)

    人通りもまばらな路地。

    いかにもな古くさいお店。

○  同・居間(夜)

    焼きとうもろこしを頬張りながらおじいちゃんの話を聞く恵と徹。

    表のほうでおばあちゃんが店じまいの準備。

 蟻塚喜一郎「人助けなんちゅうのはあらたまってするもんやあらへん。お
       じいちゃんのこの店を見てみい。人さまの命を救おう、苦し
       みを和らげよう、少しでも困っている人のお役の立とうとす
       るもんばっかりやろ。商いいうんはみんな人助けやで」

    首を伸ばして表の薬局の様子を見やる恵。

 蟻塚喜一郎「それにおじいちゃんはみんなが平和で安全に暮らせるよう町
       内会の役員もやっておるさかいな。おまはんらの両親が血道
       あげとるボランティアっていうやつや。わざわざあらたまる
       ことなんかなんもあらしまへん」

    歯の間に食い込んだ焼きとうもろこしの皮をとる徹。

 蟻塚喜一郎「レンの会だかランの会だか知らんが、坊さんが代表の会でお
       まっしゃろ。京都にたくさんおるからようわかる。あのお人
       ら、ただじゃなんも動いてくれまへんし、名誉とか体面に人
       一倍うるさいたちや。ええように利用されるのが関の山やな
       いやろか。おじいちゃんは心配しとるんやで」

    食べ尽くした焼きとうもろこしから、汁をちゅうちゅう吸う徹。

 蟻塚なつえ「(店から顔を出し)看板の時間、過ぎとりまっせ」

    鍵をとり、ゆっくり腰を上げるおじいちゃん。

○  同・店の玄関

    カーテンを締めると、ドスン、ドスンとガラス戸を叩く音。

    知り合いの男らしく、店へ招き入れようとするおじいちゃん。

    だが、ガラス戸の外の奇怪な姿に息を呑む恵と徹。

    下駄にステテコ、サラシを巻いた身にアロハシャツをはおり、頭が
    ちょんまげの中年男。

    何かを訴えかけようと顔をくしゃくしゃに歪めている。

 蟻塚喜一郎 「(居間を振り返り)ちょんまげ健さんや」
    と、こともなげに告げる。

    店に入ってくるやいなや、うわずる声で叫ぶちょんまげ健さん。

 安藤健吉 「お、お、女の子はねてしもうた。助けてんか!」

    あわてて外へ出るおじいちゃん。

    恵と徹もその後を追いかける。

○  付近の四つ角(夜)

 蟻塚喜一郎「どこや」

 安藤健吉 「こっち」

 蟻塚喜一郎「ケガは」

 安藤健吉 「わては大丈夫ですわ」

 蟻塚喜一郎「アホ、女の子や」

 安藤健吉 「そこですわ」

    電柱の影で膝を抱える、赤いキュロットスカートの少女。

    地面につけたお尻から白いパンツがのぞき、子どものくせになまめ
    かしい。

    はねたのは健さんのチャリンコらしく、塀にもたれかかる。

 蟻塚喜一郎「(ざっと診て)とりあえず薬局まで運ぶさかい」
    と、少女をおんぶする。

○  アリヅカ薬局・居間

    膝に大きな絆創膏をし、黙ったままうずくまる少女・鮎川めい。

    傍らに調剤室から持ち込まれた消毒液や塗り薬や湿布薬、そしてい
    かにも苦そうな煎じ薬、薬草、不思議な色のついたドリンク剤。

 蟻塚喜一郎「(途方にくれた様子で)おい、こっちゃこい」
    と、ちょんまげ健さんを店のほうへ連れ出す。

 蟻塚なつえ「さあ、みんなで食べとくれやす」
    と、ちゃぶ台にスイカを置く。

 蟻塚なつえ「ちょうど東京からきた孫のために用意してありましたんえ」

    その言葉に恵を見つめる少女。

 蟻塚徹  「(すぐ平らげたあと)あっちにも持ってってあげよう」
    と、三人分の皿を手に店のほうへ消える。

○  同・店内

    カーテンを下ろした店内で将棋を指す、おじいちゃんとちょんまげ
    健さん。

    スイカを手に健さんのまげを興味深そうに眺める徹。

○  同・居間

 蟻塚恵  「(スイカを口にしながら)おいしいよ、これ」
    と、すぐ横へ体をずらす。

    少女は含み笑い。

 蟻塚恵  「その傷、痛い?」

    少女は首を振り、足を恵のほうへ伸ばし絆創膏をはがす。

    傷口の皮膚がめくれピンク色の肉。

    薄い皮がひらひらと揺れたので恵はあわてて手にあったスプーンを
    添え、用心深く持ち上げる。

    くすぐったそうに動く少女。

    神経を集中させ、傷口に収める恵。そしてスプーンで軽く叩く。

 鮎川めい 「全然、痛いことあらへん」

    やっと口を開いた少女。

 蟻塚恵  「……でも絆創膏、貼っといたほうがいいよ」

 鮎川めい 「あの薬草、貼ってもええよ」
    と、冗談とも本気ともつかぬ表情。

 蟻塚恵  「……おじいちゃんのおかげかな。名前はなんというの?」

 鮎川めい 「めい、鮎川めい」

○  同・店内

    笑い声がし、そこへ顔を覗かせる恵。

    手拭いを手に丸椅子へ片足を乗せ、見得を切るちょんまげ健さん。

 蟻塚恵  「なにやってんの?」

    男たちの動きがいっぺんに止まる。

 蟻塚喜一郎「(しどろもどろに)こ、こっちでこれからのこと話しとった
       んや。どうやあの子、なんか喋ってくれはったか。このまん
       ま黙っとられるとこっちの立場もないさかい、やっぱ交番へ
       連れてったほうがええかもしれへん。健さんに言わせるとあ
       の子が突然、道へ飛びだしてきたようやし、一応の手当ては
       しておいたはずやから。まあ、交番の人にはちゃんと説明せ
       んならんやろ。親御はんがわかったら、なんやかんや言われ
       るまえにわしも健さんと一緒にあいさつに行くつもりや。あ
       んまり遅うならんほうがええやろ。今そっちへ戻ろうと思っ
       とったんやで」

    その横で視線を泳がせる健さんと、口をすぼめる徹。

 蟻塚恵  「もういろいろ聞いたよ。家は近くみたい」

 蟻塚喜一郎「ほうか。ほんならわしと健さんとで送ってくわ。そのほうが
       やっかいごとにならんでええこっちゃ。そや、母親がおらん
       ときのためあの子に手紙を持たせたほうがええかもしれへん
       な。先方さんも恐縮しまっしゃろ」

○  古めかしい講堂

    まばらな客を前に催される大衆芸能の公演。

    奇術ショーのあと、いよいよ太鼓党の登場。

    客席から精いっぱい拍手を送るおじいちゃんと恵。

    勇ましい男性陣に囲まれ、紅一点の鮎川糸が和太鼓を打ち鳴らす。

    あっという間に次の演目へ移り、席を立つおじいちゃんと恵。

○  バスの中

    後部席で、西日とおじいちゃんの鼻息に挟まれる恵。

 蟻塚喜一郎「糸はんはほんま、人間としての気品があるわい」

 蟻塚恵  「うん」

 蟻塚喜一郎「こうやって知り合うことができたんも、運命ちゅうもんや
       なあ」

○  マンション・鮎川家の玄関(回想)

    ドアの前に立つ三人。

    おじいちゃんとちょんまげ健さんは緊張気味。

    鍵を開け、入ろうとした途端、膝を抱えしゃがみこむ鮎川めい。

 蟻塚喜一郎「ありゃ、どないした」

 安藤健吉 「どっか痛いんやろか」

    玄関に立ったまま、狼狽する二人。

 鮎川めい 「(上がり口に腰を落とし)牛乳、買うてくるの忘れた」

    いくぶんほっとする二人。

 安藤健吉 「すぐ近くにコンビニがあったさかい、わて買うてきますわ」
    と、サラシの下から財布を取り出す。

 蟻塚喜一郎「ああ、頼むわい」

    あらためて周囲を窺うおじいちゃん。

    母親のハイヒールやサンダル。壁には和太鼓を叩く女性の写真。

 蟻塚喜一郎「(独り言っぽく)これがお母さんかいな」

    めいは膝の傷をなでている。

 蟻塚喜一郎「あかん、あかん、めいちゃん。いじくったらあきまへんで」
    と、思い出したように母親へ渡す手紙をめいのポケットに入れる。

    そこへドアが開き、息を切らした健さんがビニール袋をおじいちゃ
    んに手渡し、おじいちゃんはめいに差し出す。

    彼女は中をじっと見つめる。

 蟻塚喜一郎「おやっ、どないした」

 安藤健吉 「なんか違うんやろか」

    いぶかる二人。

 鮎川めい 「これ、500ミリリットル」

    袋の中を覗くおじいちゃん。

 蟻塚喜一郎「ほんまや。ふつうは1リットルやもんな」

 安藤健吉 「なんでや?」

 蟻塚喜一郎「なんでやって、そら当たり前やで」

 安藤健吉 「当たり前?」

 蟻塚喜一郎「わしかてそう思うくらいや。理屈やあらへんがな。もうひと
       っ走りして、1リットル入りの牛乳パック買うてきてんか。
       金なら、わしが出しとこか」

 安藤健吉 「めっそうもない。ほかに聞いとくことあるやろか」

 蟻塚喜一郎「たかが牛乳パックやで、そんなやいのさいのあるかいな。い
       や、ちょっと待ってんか」
    と、しゃがんでめいの顔色を伺う。

 蟻塚喜一郎「それでええんやねえ。ほかに聞いとくことないねえ」

    うなずくめい。

 安藤健吉 「よっしゃ。まかしとくれやす」
    と、再びアロハシャツをひるがえしてドアを出る。

    喉が渇き、手に牛乳を持つことに気づいたおじいちゃん。

 蟻塚喜一郎「今、1リットルのを買うてくるさかい、わしがこれもろうて
       もええかいな。喋りすぎて喉が渇いてしもうたわ」
    と、開け口を広げてがぶがぶ飲む。

 蟻塚喜一郎「おまはんも飲むかえ」

    首を振るので後ろを向いて飲む。健さんにも少し残しておく。

    ドアがガチャガチャしたので、すました顔でもうひと口飲む。

    だが、現れたのは女性。

    目が合い、一瞬の沈黙。そして悲鳴。

 鮎川めい 「(駆け寄りながら)マ~マ~」

 蟻塚喜一郎「(唇の上を白くし)あ、いや、その、ぎゅ、牛乳をもろうと
       りましたんや」
    と、なぜそうするのか飲みかけの牛乳を差し出す。

    そこへちょんまげ健さんが下駄を鳴らしてやってくる。そして脇に
    挟んだ牛乳パックを見せびらかす。

 安藤健吉 「これ、濃厚らしいで。ボインな牛ちゃんのお乳が、たっぷり
       入っとるそうや」

    その意味不明の風体と言葉に腰を抜かす、めいの母親・鮎川糸。

○  バスの中

    おじいちゃんは鼻の穴を膨らませて昼寝中。

    あんまり暑苦しいので反対側の席へ移動する恵。

○  鮎川家・リビングルーム(回想)

    めいはソファで横になり、恵は床に足を組んで本を読む。

    ドアホンが鳴り、顔を見合わす二人。

    あくびをしながらめいがインターホンへに向かう。

    束の間の沈黙。そしてドアが開く音。

 男の声  「めい」

 めいの声 「パパ」

○  同・玄関(同)

    思わず顔を出す恵。

 足立達也 「あ、友だちといっしょか?」
    と、恵へ軽い会釈。

 鮎川めい 「うん。勉強してた」

 足立達也 「そうか」

 鮎川めい 「彼女も東京の子や。夏休みの間、おじいちゃんとこに泊まっ
       てはる」

 蟻塚恵  「(小さな声で)蟻塚恵です」

 足立達也 「私も東京から帰ってきた。めいの父親です」

 鮎川めい 「パパやあらへん」

 足立達也 「……ちょっと急いどる。これをママに渡しといてんか」
    と、ボストンバッグを床に置く。

 鮎川めい 「直接、言えへんの」

    男はとまどった様子でめいを見つめる。

 足立達也 「(ドアを開け)じゃ、頼むよ」

 鮎川めい 「(その後ろ姿へ)もうおらんことになってるんやよ、パパ」

    バッグをにらむめい。

    声をかけられない恵。

 鮎川めい 「(ふと振り向き)アイスを食べる時間や」
    と、何事もなかったようにリビングへ戻る。

○  バスの中

    突然、手をつかまれて目を覚ます恵。

 蟻塚喜一郎 「降りるで」

    恵はおじいちゃんを見上げる。鼻の穴はふだんの大きさ。

○  町内の道

    バスを降り、背伸びする恵。

 蟻塚恵  「ああ長かった」

    馴染みの街角をぶらぶら歩く二人。

    おじいちゃんが和菓子屋へ寄るあいだ、横の駄菓子屋で糸引きアメ
    を買う恵。

○  アリヅカ薬局の前

    店の近辺へくる喜一郎と恵。

    反対側からやってくる変なものが、恵の目に入る。

    自転車に乗るちょんまげ健さんと、荷台でプラスチック製の刀を振
    り上げる徹。

    同じ柄のアロハシャツを着て、ちょうまげまでとうとうお揃い。

 蟻塚喜一郎「おや、健さんと徹やおまへんか」

    徹たちは恵を見つけるとスピードを上げ、ひと足早く家の前へこぎ
    つける。

 蟻塚徹  「わ~い、勝った、勝った」
    と、ちょんまげ健さんとハイタッチで喜ぶ。

 蟻塚喜一郎「なんかええことあったんかいな」
    と、奇異に感じるそぶりはまったくなし。

 蟻塚恵  「そういうことじゃなく……」
    と、孤立感を深める。

 蟻塚徹  「あ、お姉ちゃん、ぼくと同じや」
    と、近寄ってくる恵を指さす。

 安藤健吉 「ほんまや。やっぱきょうだいやなあ」
    と、相づちをうつ。

 蟻塚恵  「へ、変な言いがかりは……」

    そう言いかけ、徹の口元から垂れているたこ糸を発見。

    自分がしゃぶる糸引きアメのものと似ており、唇が震えはじめる。

 蟻塚徹  「そや健さん。これも撮っとこう」
    とチャリンコのかごから写ルンですを取り出し、健さんに渡す。

 安藤健吉 「ほな、そこに並んだらええわ」

    刀を差したちょんまげ頭の徹が、恵の横にきてポーズ。

 安藤健吉 「ほな、いくで」

    パシャという音。

 蟻塚徹  「これでバッチシや」

    ショックで茫然と立ち尽くす恵。

 安藤健吉 「ほな、拙者はこれにて先へ」
    と、大仰なせりふを吐いて帰ろうとする。

 蟻塚徹  「ほな、拙者もこれにて家へ」
    とせりふをまねるが、お辞儀をした途端ちょんまげが地面に落ち
    る。

 安藤健吉 「特製のかつらや。大切にせなあかんで」
    と、チャリンコにまたがり去っていく。

 蟻塚徹  「健さ~ん」
    と、なごり惜しそうに手を振る。

○  図書館・自習室(午前)

    ドリルを放り出し、窓の外をぼうっと見つめる蟻塚恵。

    夏の陽射しが照りつけている。

○  同・書庫

    書棚の間を歩く恵。

    立って本を読んでいる鮎川めい。

 蟻塚恵  「ねえ、お昼が終わったら市民プールへ行かない?」

 鮎川めい 「午後は用事があるん」

 蟻塚恵  「(つまらなさそうに)そうかあ」

 鮎川めい 「徹ちゃんと行ったらええ。有名になったんやし」

 蟻塚恵  「えっ?」

 鮎川めい 「町娘と若侍になったんやって」

 蟻塚恵  「あ、あれは映画村のそういう見学コース。でもどうして知っ
       てるの?」

 鮎川めい 「ニュースで言うとったらしい」

○  映画村・アトラクションコーナー(回想)

    武士に扮したちょんまげ健さんが恵と徹を茶屋へ連れてくる。

    恵は町娘、徹は若侍の格好。

 安藤健吉 「(二人の耳元でこっそり)特別サービスやで」
    と、いきなり複数の忍者が襲ってくる。

    たちどころにそれをやっつける健さん。

    周囲で巻き起こる拍手。

○  アリヅカ薬局・居間(昼)

    落ち込んだ顔で帰ってくる恵。

 蟻塚なつえ「おかえり。冷蔵庫に冷やそーめんあるさかい」

 蟻塚恵  「いらない」
    と、そのまま二階へ上がる

○  同・恵用の部屋

    かばんを下ろし、机に伏せる恵。

    パパが昔使っていた机はいたるところに傷や落書き。

    ふと襖のほうを見やる。

○  同・徹用の部屋

    襖を開け、徹の部屋へ足を踏み入れる恵。

    文机の上に描きかけのスクラップノート。

    麻生綾乃へ宛てた絵日記だ。

 蟻塚恵  「(ぽつりと)ちゃんと覚えてるんだ」

    そこには宇宙服を着た健さん、刀を操る怪獣、ちょんまげ姿のお姫
    さまの絵。

    さらに侍の格好をした自分の勇姿、ロケ場所として希望するただの
    路地、岡っ引きや下手人や死体を演じるちょんまげ健さんの凛々し
    い写真の数々。

    そしてつ現れた、姉弟そろって口からたこ糸を垂らしたあの写真。

 蟻塚恵  「ああ、もうだめだ」
    と、さらに引き出しや本棚を検分する。

    怪獣カード、麻生綾乃のブロマイド、駄菓子屋で入手したおまけ、
    手裏剣や小判、ちょんまげ健さんの昔の写真が出てくる。

 蟻塚恵  「(それを取り上げ)若いころもちょんまげだったんだ」

    ほかに探すところはないかとファンシーケースに目がいく。

    下着や靴下の入ったそれをひっぱると微かな異臭。

    怪訝に思って覗き込むと中からラッキョウの壜詰め。

 蟻塚恵  「オエ~、やっぱ見るんじゃなかった」
    と、窓を開け放つ。

○  健さんのアパート

    モルタル塗りの二階建てアパート、下のいちばん奥。

    マジックで書かれた安藤健吉という表札と奇妙な紋章。

    脇に寄せられたチャリンコを見て、ノックする恵。

 健吉の声 「ちぇっ、家賃ならもう払いましたやろ」
    と、健さんのいかつい声。

 蟻塚恵  「あ、蟻塚恵です」

 安藤健吉 「なんや恵ちゃんかいな。ドア、開いとりまっちぇ」

    ノブを引くとすえたような匂い。

 蟻塚恵  「こんにちわ」
    と、鼻から息を吸わないよう中を見る。

    目の前にステテコと腹巻きだけのちょんまげ健さん。

 安藤健吉 「いらっちゃい。ま、上がっちょくれやす」
    と、酢こんぶを噛みながら話す。

    あとずさる恵。

 徹の声  「(奥から)お姉ちゃん、何してまんねん」
    と、すだれの前で扇風機にあたる。

 蟻塚恵  「あっ」

 蟻塚徹  「これ、健さんのやもんね。ここ、健さんちやもんね」
    と、ラッキョウをつまんで口を動かす。

 蟻塚恵  「(吐きそうになりながら)この前の写真のネガ、ここにある
       の?」

 安藤健吉 「(にっこり笑って)ああ、よかっちゃら恵ちゃんもどうぞ。
       青汁もあるんや」
    と、冷蔵庫の扉を開ける。

    そして猛烈な匂い。

    気を失う恵。

○  アリヅカ薬局・恵用の部屋

    いつのまにか二階で寝かされている恵。

    すべてが夢のように思われ、頭を振る。

    と、階下からの声にどきっとする。

 徹の声  「お姉ちゃ~ん。お姉ちゃ~ん。パパが呼んでるよ」

 蟻塚恵  「(独り言で)パパがここにいる?」
    と、体を起こし周囲を見まわす。

 徹の声  「早くしないと電話切れちゃうよ~」

○  同・階段

    降りていこうとする恵。

 蟻塚なつえ「(下に立って)何やってますの。早くおいでや」

○  同・居間

    居間へ入ると全員が恵を見る。

 蟻塚喜一郎「ああやっと降りてきたわ。ほんなら」
    と、受話器を恵へ差し出す。

 育雄の声 「もしもし、恵か。ずいぶん苦労してるらしいな」

    なぜかみんなくすくす笑っている。

 蟻塚恵  「ううん、全然。勉強にはうってつけ。歴史の自由研究も進ん
       でるし、仲のいい友だちもできたよ。地域ボランティアを手
       伝ったり、地元の芸能に触れたり、食事する暇もないくらい
       忙しい。もちろん、ちゃんと食べてる。お菓子なんてそんな
       食べてないもん。ああ、あそこの駄菓子屋ね。あんな不潔な
       店で買うわけないじゃん。変なのばかり口にするのは徹よ」
    と、ちらっと振り返る。

    みんなで草もちを食べている。

 蟻塚恵  「うん、盆踊り大会って伝統的なボランティアなんだ。パパと
       ママだけじゃないんだから。そう、ふれあいだね。いろんな
       人がいるから。おじいちゃんとおばあちゃんも大好き。見た
       目だけで判断してないよ。徹だってああだけど、たった一人
       の弟なんだもん。だんだん体がそうなってくみたい。わかっ
       てる。じゃあ、おやすみ」
    と、言葉が勝手に出てくる感じ。

    受話器を置くと、伏し目がちに咳をする恵。

○  盆踊り会場(午前)

    町内会のはっぴを着た人たちが校庭でやぐらを設営中。

    テントの下で指示するおじいちゃんと、それを眺める恵。

 蟻塚喜一郎「まだ準備中やから、こんなもん見とったかて暑いだけやろ」

 蟻塚恵  「どんな様子か確かめたかったんだ。お昼に帰って、夕方にな
       ったら浴衣に着替えてめいちゃんと一緒にくる」

 蟻塚喜一郎「それがええ」

 蟻塚恵  「太鼓党の人たちはまだきてないんだね」

 蟻塚喜一郎「荷物は届いとるけど、みんなきはるのはもっとあとや。ちょ
       んまげ健さんならあっちにおるで」
    と、片隅のパラソルを指さす。

 蟻塚恵  「(ため息をつき)でも、どうして健さんたちが特別ゲストな
       のかな」

 蟻塚喜一郎「そら、地元のアクションチームやからな」

 蟻塚恵  「あれ、まるでバーベキューパーティみたいだよ」

 蟻塚喜一郎「ほや、あそこで何かもらったらええわ。徹もおるし、わしら
       もあとでごちそうになるつもりや」

    おじいちゃんの携帯が鳴り、恵はあらためてパラソルを眺める。

 蟻塚喜一郎「恵、うちにめいちゃんから電話があって、直接こっちで待ち 
       合わせしたいそうや」

 蟻塚恵  「へえ、どうしたのかな」

○  貸しスタジオ(回想)

    稽古する太鼓党の面々。

    片隅でめいも見守っている。

    終盤、栄養ドリンクの差し入れを持って訪れるおじいちゃんと恵。

    そこへ鮎川糸が頭を下げて駆け寄る。

○  喫茶店の前(同、夜)

    鮎川糸、めい、蟻塚喜一郎、恵の四人が歩いてくる。

 鮎川糸  「ママ、蟻塚さんと話があるから、先に帰ってええよ」
    と、千円札を渡す。

    憮然とするめい。

 蟻塚恵  「行こ」
    と、その手をひっぱる。

○  ゲームセンター(同)

    プリクラの前でポーズをとる恵とめい。

 鮎川めい 「あたしたち、ずっと友だちでいられるん?」

 蟻塚恵  「もちろん」

 鮎川めい 「そやかて、もうすぐ東京へ帰っちゃうんやろ」

 蟻塚恵  「手紙も電話もあるし、お正月にはまたくるつもり」

 鮎川めい 「あたし、そのとき京都におらへんかも」

 蟻塚恵  「どういうこと? 転校でもするの?」

 鮎川めい 「ううん、まだ ……」

 蟻塚恵  「そしたら住所教えて。どこにいたって友だちは友だち」

 鮎川めい 「うん」

 蟻塚恵  「ほら、このプリクラが証拠になるよ」
    と、頬を寄せて笑顔のポーズ。

○  盆踊り会場・砂場付近

    健さんたちの仲間がなぜか鉄人レースを始めたようだ。

    ちょんまげにふんどしだけで校庭のサーキットをまわっている。

    パラソルの風上に立ち、徹をつかまえる恵。

 蟻塚恵  「ねえ、あれなんなの?」
    と、走る男たちに目をやる。

 蟻塚徹  「え、なんのこと」

 蟻塚恵  「とぼけないで。みんなちょんまげじゃない」

 蟻塚徹  「そりゃあ、ちょんまげ健さんの仲間だもん」

 蟻塚恵  「だから、なんであんなふうに走ってるの?」

 蟻塚徹  「そんなの知らないよ」

 蟻塚恵  「不思議に思わないの?」

 蟻塚徹  「どうして?」

    二の句が継げない恵。

 安藤健吉 「なんや恵ちゃん、おったんかいな。ほんなとこで遠慮しとら
       んと早うこっちへおいでや」

    その声にぎくっとする恵。

 安藤健吉 「牛肉に魚に鶏肉、焼きそばにソーセージ、イカにホタテにタ
       コ、ピーマン、ニンジン、タマネギ、しいたけ、にんにく、
       じゃがいも、なんでもあるで。ほれともあれかいな、わてら
       の好物、豚の臓物がええやろか」

    体がこわばる恵。

 蟻塚恵  「うん、ありがとう」

 蟻塚徹  「もう昼休みのはずだから、おじいちゃんも呼んでこよう」

 蟻塚恵  「(はっとして)私が行く」

○  同・やぐら付近

    おじいちゃんが太鼓の位置を若者に指示する。

 蟻塚喜一郎「あんまりのんきにやっとると昼休みがなくなっちまうで」

    その横へ並び、やぐらのてっぺんを見上げる恵。

 蟻塚喜一郎「(恵に向かい)どやった、健さんのほうは?」

 蟻塚恵  「みんな待ってるよ」

 蟻塚喜一郎「わしも腹がへって倒れそうや」

    そこでまた携帯電話を鳴る。

 蟻塚喜一郎「ほう、(じっと耳にあて)なんやて!」
    と、へなへなと尻もちをつく。

 蟻塚恵  「おじいちゃん」

 蟻塚喜一郎「………… 糸さんが、鮎川糸さんが心中しはった」

 蟻塚恵  「えっ!!」

 蟻塚喜一郎「別れた旦那はんとや」

 蟻塚恵  「ウソでしょ。めいちゃんは?」

 蟻塚喜一郎「彼女が通報したそうや」

    放心状態の恵。

○  鮎川家・寝室

    アップで一瞬、無表情の鮎川めいが振り返る。

    その向こうに横たわる両親。

○  プノンペンのカラオケ

    美女に囲まれてご機嫌の阿久津豊。

    マイクを握り、みんなにVサインする蟻塚育雄。

<終>






○  クレジット及びそれぞれの15年後


 蟻塚徹:陸上自衛隊に入隊し、南スーダンへ派遣されるも行方不明。

 ちょんまげ健さん:京都の居酒屋チェーン『うなぎのぼり』で掃除夫に。

 雨宮章夫:大学で交通工学を専攻するが、仮想通貨で自己破産する。

 阿久津一家:一昨年、中央高速にて豊の飲酒運転により全員事故死。

 鮎川めい:九州の施設で過ごした後、ドイツ人画家と結婚。ケルン在住。

 蟻塚育雄:妻と離婚後、実家の跡を継ぎ『アリヅカ模型店』を開く。

 穴水伸子:企画開発した推し活グッズが当たり、マスコミの寵児に。

 蟻塚喜一郎:その年、息子と孫が住む団地から落ちて入院、他界。

 蟻塚恵:この春、小説新人賞に落選するも、晴れて相原隆昭と婚約。



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