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多様性社会に生きる私たちはみな、猛獣使いである【わたしの中の虎】

毎週火曜日は、「書くンジャーズ」として、お題に沿ったnoteを投稿。
今週のテーマは…

…と、普段は書き出さないことにこだわっている。
でも今回は、そうでもないと書けなくって…

…なんてくだりも、ちょっとおなじみになりつつある。
これがたぶん、3回目だ。いや、3.5回目ぐらいかな?

で、今週のテーマは、【わたしの中の虎】…なのだ。

今月のテーマ決めのミーティングに参加できず、どういう経緯でこうなっったのかはわからない。
でも、たぶん元ネタというか、出典というか、あるような気がする。

そう思って調べたら…これだこれだ。中島敦『山月記』

いや、『山月記』、聞いたことある。高校とかで習わんかった?記憶がない…危険だなあ…

『山月記』がどういう話かというと、すごく雑にまとめると、「李徴という人が虎になっちゃう話」なんだけれど。
今回改めて、このnoteを書くために全文読んでみた。

▼青空文庫で全部読める。ありがたや!

こういう文章を読み慣れている人でないと、ちょっとしんどいと思う。
私はしんどかった。でも読んだ。
そして、読んでよかったと思っている。これ、むちゃくちゃ深い…!

※どうしても原文で読みたくない場合は、「山月記 あらすじ」とかで検索していただくと、上位にヒットするのはおおむね内容的にあっている気がするので、そちらをぜひ(自分では要約しないという…)。

李徴は、身体から先に虎になって、内面が徐々に虎化(?)していく。
でも、李徴の心のなかには、以前から虎がいた。
その虎とは本文中のことばを借りるなら、「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」。

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。(『山月記』より)

人によっては、ライオンかもしれないし、クマかもしれない。
プライドが高い私の心にも、李徴同様、虎に近い生き物がいると自覚している。

そう、猛獣を飼っていることまでは、「みんなそう」なんだ。
問題はここから。李徴の姿や存在そのものが、虎になっちゃったこと。

理由はいくつか考えられる。
自分の能力を過信したこと、人との交流を避けたこと、自己顕示に偏り家族を顧みなかったこと…などなど。

飼いならせないほど「ふとらせた」虎に、食べられちゃった感覚だろうか。
そのことにいよいよ虎になってしまう間際に気づき、旧友に思いを語るという…切ない。
一番虎に近い姿で、一番人間らしさを発揮する、じんわりくるラストだった。

『山月記』から、私が虎化しないために必要なことを2つ学んだ。

ひとつは、「私の中には虎がいる」という自覚をもつこと。
「私の心にはハムスターしかいない♡」みたいな思想のほうが危険!
なるべく正確に猛獣の姿を知っていれば、奴の暴動を最小限に抑えられる気がする。

もうひとつは、猛獣使い同士の異文化交流が必要だということ。
嫉妬深いジャガーとか、攻撃的なミーアキャットとか、「自分とは違う、想像もしえない猛獣を心に飼う人がいるんだ」という前提をもって、他者と接していくことだ。

これって…多様性社会を生きる我々にとって必要なこと…じゃないだろうか。
李徴は時を越えて、身体をはって教えてくれたんだなあ。



改めて、書くンジャーズ今週のテーマは【わたしの中の虎】
このnoteを書くために「猛獣」の種類を調べてみた火曜担当・みねは、『山月記』に多様性社会を見ながら、心のなかの虎と仲良く生きていこうと思いを新たにしました。

メンバーの皆さんは、【わたしの中の虎】をどう書くのか?楽しみです。
日刊「書くンジャーズ」マガジン、今週も要チェック!


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