オッペンハイマー
咥えタバコに中折れ帽
「俺のしたことは、なんだったのか?」
と、問いかけるような目。
今日は映画「オッペンハイマー」を観てきました。
この映画は「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーが、量子物理学の自分の理論を原子爆弾に応用し、実際に広島と長崎にそれが投下されてしまう、また第二次世界大戦後アメリカでの共産党員の公職追放政策(レッドパージ)の煽りを受け、査問に掛けられ厳しい尋問を受け、"自分のやったことの意味を自問するまで"の話しとなります。
時は第二次世界大戦前夜、ドイツではヒトラー率いるナチスの全体主義が台頭し、ソ連ではスターリンがソ連を共産主義国家としてアメリカの民主主義とは相容れない、きな臭さを醸し出していました。
そんな中、オッペンハイマーは優秀な量子物理学者でしたが、研究以外のことについては無頓着というか、「浮世離れしていて地に足がついていない」という感じがしました。
オッペンハイマーはユダヤ系アメリカ人、ナチスでは迫害の対象、留学先のイギリスのケンブリッジ大学でもきっとその出自はあまり歓迎されたものではなかったのでしょう。
そこで精神を病んでしまいます。
また彼自身の性格も、女癖が悪くアメリカに居ながら大学で労働組合の結成を行ったり"共産主義者の思想を受け入れている"と思われても仕方のないことを行っていました。
しかし、「ナチスが核分裂に成功した」というニュースを受け、アメリカもこれに対抗するため、核の権威であるオッペンハイマーに原爆製造の責任者として白羽の矢が立ちました。
実験は成功。
そして、ヒトラーは"敗北"。
投下の目標は「日本へ」と。
その後は、"歴史のとおり"です。
オッペンハイマーは、原爆がどれほどの威力なのか理論的に知っていました。
原爆作製に携わった科学者たちも、すでに原爆を使わずとも"アメリカの勝利は約束されている"と「原爆の使用を禁止する署名」をしていました。
オッペンハイマーはその署名を「拒否」します。
「その威力を知らしめることで、それが『二度と使われることがない』」ことを"予見"したからでしょうか?
しかし、オッペンハイマーが同じ出自の友人の物理学者から
「300年掛けた"物理学の成果"が、『これ』(原子爆弾)なのか?」
と。
そのときは、
「ノーベルは"ダイナマイト"を作った」
と返します。
しかし、戦争が終わり「原爆の父」として称賛される中、"原爆の実際の威力"が明らかになっていきます。
トルーマン大統領との表敬で
「私の手は、血塗られたような気がします」
と弱気な発言をします。
大統領は
「広島・長崎の人たちに恨まれるのは、誰だ?」
「それは"落としたヤツ"だ!」
「それは『私』なんだよ!」
と叱責し、二度とオッペンハイマーとは会わなかったそうです。
その後、オッペンハイマーは反りの合わなかった者のやっかみを受け、戦前の共産党員との接触をネタに、公職から離れざるを得なくなります。
彼は、"時代に翻弄"されました。
署名を拒否したのも「もう歯止めは効かない」と諦めたのか、それとも「ここまでやったことを無にしたくない」と思ったのか。
それは"彼のみぞ知る"ことです。
ただ、「彼がやらなくても、誰かはやっていたこと」です。
きっと。
そして僕ら人類は、それ以降、その"ダモクレスの剣の下"で、生きながら得ています。
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