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哲学的ななにか

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”哲学”というとおこがましいのですが、なにがしかの考察をしています。
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目抜き通り 椎名林檎とトータス松本

目抜き通り 椎名林檎とトータス松本

椎名さんとトータスさんのアグレッシブさが際立ってますね😆

「さいたま〜っ❗️❗️」

って椎名さんが叫んでいるので、これはさいたま新都心にある「さいたまアリーナ」でやってますね😄

たまに「さいたま新都心駅」で降りると、近未来的な半円筒状のコンコースに凄く人がたくさんいるときがあって、そんなときは「誰かコンサート開くんだな」と思いながら降ります。

「ああ まだ見ぬ仲間達が まばゆく光誘って

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神は「正義の執行者」ではない。

「正義」という概念が、"人類全てが全く同じ"であるならば、おそらく人類はここまで存えることはできなかった。

人間の心の中にある「やましさ」を許せなければ、生きる事に負い目を感じて"それ自体に意味を見出せないから"だ。

そんな気がする。


「シン・仮面ライダー」鑑賞。

そこで感じたこと。

自らを幸福に導く方法は、人に委ねてはならない。また、自分の不幸を人に転嫁するのは許されない。

自分が孤独感に苛まれていても、他人の幸せは願うことができる。

人は誤解の中でも、繋がろうとする意志があればそれは可能。




「形而上学」的正義(3)

人間は、常に「変化」します。

身体のみをとっても、代謝の程度により「成長」と「老化」が科せられています。

思考についても、経験や知識の蓄積により、より「深化」していきます。

それらが"相互に作用"しながら人間は「行動」しているのです。

僕が考える「正義」とは、変化する自分を持ってしても"譲るべきものでないもの"を見つけ、それを"護ろうとする"「意思」と「行動」のことをいいます。

ですので

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「チ。−地球の運動について−」

「チ。−地球の運動について−」

仕事帰りの電車の中、ふと見上げた先にあった広告。ある漫画の展覧会の物でした。

僕はその広告に描かれた人物の「目」に惹かれて、この漫画を購入して読んでいます。

読んだ感想は、「買ってよかった」

舞台は未だ「宗教の呪縛」から逃れられない"15世紀頃のヨーロッパとみなされる地域"での、「地動説」を巡る話しです。

その地域では「C教」と呼ばれる宗教が「地球は"神"が作られた物だから"世界の中心"で

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『気概』

この幻の影がなんであるかと言っても、真相をそう簡単には尽くされぬ。
水面に現れた泡沫のような形相はやがて水底へ行方も知れず没する

ルバイヤート 万物流転

自分のやっている事の「意味」は、"この世"では多分"分からない"。
それでも、"ここ"で生きていく。




日曜出勤のルーティン「こころの時代」視聴。

元陸上競技選手の為末大氏が、仏教の「戒律」について語る。

「心は手で掴めない。なので体の方を整えることで、心を向けさせ歩んで来てもらうのだ。犬を散歩させる時、リールを持って此方に来てもらうように」

戒律は「自分自身のリール」。

もし、皇帝と皇弟が「董卓」ではなく「孫堅」に"保護"されていたら・・・。
あるいは「孫堅」の進言を受け入れ、「董卓」が"処刑されて"いたら・・・。

「偶然」は「その後の結果」を伴う。

しかし、「その後の結果」は当然「変えられない」。

「三国志」は「孫堅立志伝」にはならない。

休日出勤のルーティン「こころの時代」視聴。
「戯論(けろん)」とは「無意味な言論」番組曰く「心の拡張機能」。
嫌な事悲しい事が「第一の矢」それに"心が反応"して「第二の矢」するとそれに囚われ「心が拡張」してしまう。
「第一の矢」で止まれば、またそれを繰り返せば「客観的」になれる。

とりあえず「一区切り」

とりあえず「一区切り」

8月の終わり頃から足掛け3ヶ月。「項羽と劉邦」という題で書いてきました😊

書くきっかけとなったそもそもの理由は、「異動辞令は音楽隊」という映画を見て、刑事としてバリバリ働いていた主人公の移動先が音楽隊で、納得がいかなかった日々を過ごしていたのに、「貴方の演奏に胸を打たれた」という一言で"人生が変わるきっかけを得た"というものからです。

劉邦は"人相"を見られて、

「貴方の顔は、物凄い『貴相

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二河白道

二河白道

日曜日に出勤する時は、NHKの「こころの時代」を見てから家を出ています。

この番組はさまざまな宗教においての教えを説いたり、実践している方々について丁寧に伝えてくれるので、とても勉強になります。

「じゃ、出勤しない時も見れば?」と思われるかもしれませんが、自分はまだ"眠い"という「煩悩」に囚われているので、ご容赦のほどを😅

今日は歎異抄での「不条理の向き合い方」についてのお話しでした。

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2人でジャンケン。

出す手は互いにグー、チョキ、パーの3×3で「9通り」。

"自分で出す手を決めた"ら、相手が出す手の「3通り」に"収束"する。

そして"相手が出す手を決めた"ら「1通り」。

運命は「自己と他者との決定により収束された事象」といえる。










「ある点から、最短で最も遠い」

ユーグリット幾何学での直線の定義。

「非ユーグリット幾何学」では、"最も遠いある点とある点が最短"という"可能性"もある。

ソクラテスが"もし後ろを振り向いていたら"世界のあり様はどうなっていただろう?

世界が"もっと優しかった"かも。

「クローン」の「人間」を作る。

技術的にはもう出来る可能性まで、きていると思う。

「出来るのにやらない」は「怠慢」か?

僕たちは「命」については「何も分からない」。

まだまだ人間は「訓練」を怠らず、「準備」しなければ、"その域"に到達出来ないのではないか?