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DSDsの話.2-性別に強いこだわりがあるのか-

はじめに

DSDs当事者としてのお話もいくつか記事を書けたらいいな、と思っています。本記事は全文無料にて公開しておりますが、何かしら参考になりましたらご支援頂けると助かります。

女性という性別をどう捉えているか

 DSDsは男女どちらかである、と言うと、何故か男女としてのアイデンティティが強固で性別に対するこだわりが強い、と誤解されることがある。しかし、少なくとも私については、そのようなこだわりは存在しない。むしろ自身が女性であることを誇らしく思うどころか、時に恥じ、煩わしく感じる瞬間さえある。主に感情を表に出してしまった時など、女であることに甘えていると自覚し己を恥じる。私は常に冷静であることを望み、論理的であることに努めたいと考えているからだ。優しさとは共感ではなく正しさであると信じている。当然女性=感情的、共感力という雑な等式が全ての女性に対して成立するわけではないが、私の知る限りではそのような傾向はやはり見受けられる。納得できる姿で出歩こうと思えば、社会規範も無視できない。着飾ることや化粧をすることは必ずついて回り、季節毎に出費も嵩む。なるべく楽しむよう心がけてはいるものの、身なりについて無頓着であることを大っぴらに許され、そのお金でひたすら趣味に没頭できたら人生はどれだけ楽しいだろうか。男同士のコミュニティに異性だからと気を遣われることなく対等な立場で混ざり、ゲーム対戦などで大いに盛り上がれれば人間関係はどれだけ豊かになるだろうか。月経についてもDSDsである私にとってはありがたくもあるが、特別に楽しい日でもない。つまり、月経があることに感謝はしつつも月経そのものを極端にポジティブに捉えてはいない。もちろん女性であることの利点も社会的な立場という形で享受しており、専業主婦という名のニート生活を堪能させてもらっていることには深く感謝している。
 このように自らの女性性に対してネガティブな発言をすると、何故か性自認があやふや、トランス願望があるなどといった誤った解釈をされることがある。私の女という性別は解剖学的見地から考えても確固たるものであるが、そのことを伝えようとすると何故か性自認を根拠にしなければトランス差別だと罵られ、あるいは女性であることに誇りを持っており、女性であることに対するこだわりが強固であるが故にそのような発言をするのだと勘違いをされる。私については前述の通り、むしろ逆である。女性であることで誇れることは特に無いと考えている。扶養してもらいやすいというメリットこそ捨て難いのだが、稼げるなら性別なんてどちらでも構わなかった。化粧をしたりして女としての生活をそれなりに楽しく送っているのは、あくまで私が女に産まれたからそうしているに過ぎないのだ。私が突然男になったなら、今度は髭を伸ばして楽しむのかもしれない。その程度には自身の性別に対してこだわりが無い。だが現実の私の身体は解剖学的見地から考えても女であり、自身を女以外だと思ったこともない。

それでも身体性別グラデーションを否定する理由

 それでは何故DSDsは男女どちらかです、私は身体が女性です、性自認は無関係ですとわざわざ言って回るのか。性別がアイデンティティでないのなら、DSDsは中性、無性、両性だと言われても構わず放ってはおけないのか。あなたの性別も性自認が根拠です、と言われても身体もグラデーションです、と言われても肯定しておけば差別も無く先進的なのだし、わざわざしつこく否定して回るのは男女二元の性別に強くこだわっている証拠ではないのか。一部の人はそう言いたいのかもしれない。だが私としてはただ単に、七星をナナホシと誤読されればナナセと読みますと訂正をする、それと同じことをしているだけなのだ。事実ではないから訂正をする、至ってシンプルだ。
 ちなみに私は名前に対してはある程度強いこだわりを持っており、本名については明確に気に入っていない。一時期は下の名前について改名裁判を本気で検討しており、実際に提出用の使用実績まで収集していた程だ。だが気に入っていようがいまいが、あるいはどうでもよくても、自身の名前を誤読されれば訂正くらいは当然するだろう。安西(ヤスニシ)さんをアンザイさんと呼び、ヤスニシですと訂正されたとしよう。世間ではアンザイ読みがメジャーなわけだし、漢字の読みとしては間違っていないのにわざわざ訂正までしてくるなんて、何かすっごい名前にこだわりがある人なんだな〜、なんて思うだろうか。私はそうは思わない。直近ではDeNAから中日へのトレードが決まった砂田毅樹について、中日公式がツイートした画像に書かれた名前が穀樹になっていることが話題となった。その後当該画像がわざわざ修正されたのは、砂田投手の名前に対するこだわりの有無とは関係なく、単純に誤記のままでは失礼だからだろう。身体中性や無性、両性、あるいは身体性別スペクトラムも同じく誤りであるから、それは違います、身体については男女どちらかですと訂正しているに過ぎないのだ。
 私の性別の根拠についても性自認が女だから女、というわけではない。私の性別は出生時に医師が私の身体を見て、女であることが確認された事実に基づいている。私の場合は非DSDsの女性と同じく、Y染色体を持たないためにそうなっているのだ。DSDsは必ずしも性別に対する強いこだわりのために男女二元に固執しているわけではない、ということは是非知っておいてもらいたい。もちろんDSDsの中には男女二元の性別に強いこだわりを持つ人も居るのだろうし、Twitterを見れば特殊性別としてアピールしているXジェンダー、ノンバイナリーの例は枚挙に暇がない。あるいは身体とは逆の性別に対して強いこだわりを持ち、トランスするに至る方も存在はしている。しかしDSDsの中で性別違和を持つ人々はたったの1.2%であり、これは非DSDsと同じか少ない数字だという事実は知っておいてもらいたい。繰り返すが、この性別違和についてDSDsとは無関係である。

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