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[エッセイ]【‘‘紡がれ、捧ぐ’’】

どのような破片や欠片、断片であっても、元通りのかたちにはならないように、それぞれの言葉には異なる意味を持ち状態が当然違うからである。
破片とは、壊れた物のかけらを指す言葉であり、欠片とは、物の欠けた一片を指す。
そして、断片は、あるまとまったものの、一部分、きれはしである。
ニュアンスとしては、外観的に似ていても、内観は全く違っていたりする。
人も同じく、それぞれが個性というものを誰もが持ち合わせており、多様性の時代だからこそ、マイノリティに属する人たちの一部を軽視するところも見受けられることもある。
朝井リョウさん原作の『正欲』の映画を見る機会があった時に、小説を読んだ時と映像化された時に見た時の感覚はだいぶ違うものが私の中ではありました。
小説や映画で描かれた世界を通して、尊厳を拒絶されることは当事者にとっては一番の苦しさや悲しさでもありながら、彼ら彼女らにとっては普通という言葉はあまりにも曖昧な表現だと思えると感じられました。
これまで生きていると、社会から、あるいは他者からも無視され続けられている感覚は私も時々、思うことがある。
だが、それは人によっては重みは違ってくるだろうし、意味さえもまた変わってくるものだと考えたりもしました。
普通であることの定義が一番、難しいように思えると、異端という定義はどこからどこまでの基準で異端と呼べるのか、分からなくなってしまう。
だからこそ、劇中での桐生が放った‘‘命のかたちが違っとるんよ’’という言葉は胸を痛めた。
生のあるべき世界には、いくつもの私たちが想像も出来ない生と性の狭間に問題を抱えながら自分を問い続ける人たちの存在を決して忘れてはいけないと思いました。

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