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【感想】映画『花腐し』

GW中に『花腐し』という映画を見たのがとても面白い作品であり、‘‘愛惜’’という言葉を考えさせられる映画でもありました。
栩谷と伊関という二人の男性と祥子という一人の女性を巡り、彼らの愛した女とはどういう人だったのかということを回想する愛を描いた物語でした。
ピンク映画業界で生きる監督の栩谷という男はなかなか自分の映画を撮れずにいて、もう一方で伊関という男は脚本家を目指していた。
二人はあるきっかけで出会い、お互いに会話していくうちに、自分たちが過去に愛していた女性がいて女優である祥子だということを知ることになる。
栩谷と伊関、祥子の人生は次第に絡まり始め交錯し一つの新しい人生として生まれ変わっていくところが本作の見所でもあると感じられました。
タイトルにもある‘‘花腐し’’に込められた意味とはなんなのだろうか。
卯の花腐しの通り、哀愁さや退廃さを象徴しながらも、そこには不確かな愛があり、愛した女性(祥子)に対する愛惜の念が映画の中で浮き彫りとなっていく。
祥子は栩谷や伊関、二人で過ごす日々の中で後に残像として浮かび上がってくるこの感覚は何だろうかとふと考えさせられるものがありました。
幻想的な日常の中に、愛を巡る愛ゆえに、哀情だけが沈殿するこの一瞬は、誰しも経験するものであってもおかしくはないだろうと感じました。
劇中において、場面毎のモノトーン調にみる、世界そのものを包み込むかのような漂う哀傷さが何よりも素晴らしいものがあり、そうした感情を抱かさせる力こそが「花腐し」の魅力なのではないかと思いました。
愛惜が漂うこの世界観は、純粋な愛の形が内在している。
何故、人は人を愛するのか、愛についての思念についてより深みを与えてくれたものに違いないと本作から感じられました。
そして、何よりも「花腐し」の一番良いところはラストでもあるし、栩谷と祥子が居酒屋で山口百恵さんの「さよならの向こう側」を一緒に歌うところには恋人関係を腐らせてしまった愛惜さだけがスクリーン上に残っていくだけで終わる。

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