「やめたいねこ」という男

院長です。

幸いな事にnoteを再開してからTwitter(意地でもXとは言わない)のフォロワーさんから「おもしろい」「気づきを得た」との声を頂く。
本当に感謝である。

突然だが、このエッセイを読んでいる貴方に質問がある。

覚醒剤を止めるという行為は立派なことだろうか?

俺は立派な事だとは思わない。

普通の人はシャブをやらないからだ。

日本では覚醒剤を所持していたり、オシッコから陽性反応が出ると逮捕される。逮捕されることで社会的な信用を無くすだけでなく、金も健康な身体も失うことになる。

覚醒剤は社会的、金銭的、身体的にもデメリットの塊であるというのはもはや日本においては常識といっても過言ではないのではなかろうか。

だから、俺は覚醒剤の断薬は決して立派な事だとは思わない。
リスクを知りながらクスリに手を出し、金と人生を”シャブ”り尽くされるのは自業自得だ。

前置きが長くなってしまったが、俺の覚醒剤に対するスタンスはこんな感じである。

Twitterに「やめたいねこ(以下やめねこさん)」という男がいる。

やめねこさんは、モーニングルーティンとして、ほぼ毎朝、知性と人間味に溢れたエッセイをツイートする文豪である。

エッセイの末尾(冒頭の可能性もあり)は「今日も一日だけやめます」で終わる。

そう、やめねこさんは覚醒剤の断薬中なのである。

彼は「今日も一日だけやめる」を毎日繰り返し覚醒剤と完全に決別しよう奮闘しているのである。

ハンドルネームの「やめたい」に込められた意味が分かる。

口説くなるが、俺は覚醒剤の断薬が立派だとは思わないが、やめねこさんという人間はカッコいいと思っている。

やめねこさんは俺より幾つか年上。
三十後半の男の決断だ。

断薬を決めたキッカケはよく分からないが、このままクスリに”シャブ”り尽くされて死んでいくことよりも、人間として生きることを選んだ。

「覚醒剤やめますか?人間やめますか?」で覚醒剤をやめたわけだ。。

彼は他人の役に立とうとはせず自分自身の断薬のために日々の思いを綴っている。

自分のためにTwitterをやっていたら、その文豪振りと人間味ある人柄に魅了されてファンが増えていき、今では結構なフォロワーを抱えたアカウントになっている。

「ポン中」は弱さとカッコ悪さの塊だが、やめねこさんはプライドを捨ててそれらを曝け出し「強さとカッコ良さ」に変えた。

人間は良い習慣を身につけるよりも、悪い習慣を止める方が難しかったりする。罪悪感や後ろめたさに感じながらも悪習から抜け出せないのが人間だと思う。

人間が変わるにはそれなりの覚悟と責任が必要だ。

それが「覚醒剤」というある意味で悪習の王者ともなればなおさらだ。

俺は基本的に他人がどうなろうと知ったこっちゃないというスタンスの人間だが、やめねこさんの断薬がスリップしたら悲しいし、ネットで変な奴に絡まれてるとピキっときてしまう。

それくらいには、彼に魅了されているし俺と似たような人はいっぱいいると思う。

覚醒剤の依存度がどの程度か俺は知らない。
彼が「やめたねこ」になることがあるかはわからないが、その日が来るまで「今日も一日だけやめる」を積み重ねて欲しいと願っている。

長々とヒト様の事を知ったように語らせて貰ったが、俺はやめねこさんのツイート(エッセイ)を搔き集めて書籍化するべきだと思っている。

シャブの恐ろしさを伝えるだけでなく、「ポン中」から抜け出し人生(人間)を取り戻していく姿からは読者も得るものがあるはずだ。

立ち上がろうとする人間から出ているエネルギーはある意味、立ったまま何もしない奴よりもすごいと俺は思う。

帯の推薦文と後書きは任せてくれ。



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