院長

院長です。

院長

院長です。

最近の記事

「身内ノリ」は良くないのか

若い頃、身内ノリが嫌いだった。 閉鎖的に仲良い者同士で集まって固まってるのがなんだか寒く見えて嫌だった。 人見知りが激しくコミュニティに踏み入ることが出来ない俺は対外孤立していた。 そんな「身内ノリ」が嫌で20代は殆ど”そういう場”に出ることはなかった。 35歳になった今ではイベントにもたまに顔は出すし考え方も変わった。 「身内ノリ」なんていう蔑称的なモノが付いているが、そもそも仲良い者同士(身内)ですら盛り上がれない奴がいつ盛り上がることが出来るという話だ。それを

    • 自分が嫌いで仕方なかった

      院長です。 久々のエッセイです。 「自分が好きか?」という質問にYesと答えられる人は自己肯定感がクソほどに高いか無理をしている人だと思う。 そんな俺自身、自分の事を好きかと聞かれたら返答に困る。 ただ、俺は自分の事が嫌いではない。 以前はそうじゃなかった。 無能で、人付き合いが下手で、球技音痴で頭の悪い自分が嫌いで仕方なかった。 別にこれらを克服した訳じゃない。 今でもアホでトロいのは変わっていない。 受け入れたからだ。 若い頃の俺は無能な自分が嫌で有能ぶ

      • 人生とは何か

        "人"として"生"きる。 シンプルですね。

        • 意識高い系の言葉は心に響かない

          院長です。 そういえば最近コテコテな意識高い系を見なくなった気がする。 日頃から仕事に対して無駄な感情を入れ込み、自己啓発書を読み漁り、休日はセミナーやらサロンのメンバーと交流する。 そんなコテコテな意識高い系を見なくなった。 なぜだろう? 俺の予想ではまず、一時期ブームだったビジネス系インフルエンサー界隈がオワコン化しつつあるからではなかろうか。 それと、養分たちも気づいてしまったのではないか。 「こんな活動してても何も変わらない」という現実に。 自己啓発本

        「身内ノリ」は良くないのか

          「やめたいねこ」という男

          院長です。 幸いな事にnoteを再開してからTwitter(意地でもXとは言わない)のフォロワーさんから「おもしろい」「気づきを得た」との声を頂く。 本当に感謝である。 突然だが、このエッセイを読んでいる貴方に質問がある。 覚醒剤を止めるという行為は立派なことだろうか? 俺は立派な事だとは思わない。 普通の人はシャブをやらないからだ。 日本では覚醒剤を所持していたり、オシッコから陽性反応が出ると逮捕される。逮捕されることで社会的な信用を無くすだけでなく、金も健康な

          「やめたいねこ」という男

          非不幸な人付き合い

          院長です。 前回は「幸福追求」よりも「不幸ではない状態(非不幸)」に気付き、その状態を維持する事が大切と書かせて頂いた。 有難い事にTwitter(未だにXとは言いたくない)の方では高評価だった。俺の事を下ネタと大喜利の人として認識してるフォロワーさんは驚いたかもしれない。  俺は今年で35歳になるが、恥ずかしい事に32歳になるまで性善説でしか他人を見られずに時間や尊厳を踏みに焦られてはストレスを溜めてきた。 自己肯定感の低さもあったんだと思う。 我慢や自己犠牲に見

          非不幸な人付き合い

          幸福追求権は要らない

          院長です。 しばらくこのnoteを放置していたが、twitterのフォロワーさんに「面白いのでもっと更新してほしい」とのありがたい言葉を頂いたので、久々にエッセイを書こうと思う 突然だが、このエッセイを読んでいる貴方は幸せだろうか? この問いに対してはっきりと「Yes」と答えられる人は少ないと思う。 俺もぶっちゃけ幸せかどうかはよく分からない。 では、質問を変えよう。 貴方は今、不幸だろうか? よっぽどの事がない限りこの問いに対して「Yes」と答える人は少ないと思う

          幸福追求権は要らない

          他人の時間を食いつぶすという大罪

          極論だけど、ええ歳してドタキャンやバックれが出来る奴は今すぐ人間をやめた方が良いと思う。いや、もはやそんな糞サイコパス野郎は人間じゃない。人の姿を借り、人語を話す畜生だ。 それくらいドタキャンやバックレというのは大罪なのである。 なぜか? 人様の時間(命)を自分のエゴで浪費させてしまうからだ。 浪費させてしまった時間は謝罪しようが、死んで詫びようが戻すことは出来ない。過ぎ去った時間は二度と戻すことは出来ない。 時間だけじゃない、バックレやドタキャンという行為は相手の

          他人の時間を食いつぶすという大罪

          他人を見下すということ

          他人を見下すという行為は麻薬に似ている。 悪意を以てヒト様の心を踏みにじったり、金銭を搾取したり、時間を食い潰したりするとちょっとした優越感に浸ることが出来る。 不当な事をしているのにも関わらず、お咎めを受けない自分が特別な存在に思えてくる。 そして、不当な事を繰り返す内に自分が「悪い事をしている」という自覚も無くなってしまう。 常識的な善悪の区別が無くなるからだ。 麻薬中毒者も最初は「法律を破っている」という罪悪感を持っているらしいが、気づいたら「法律を破っている

          他人を見下すということ

          プペルンルンやオンラインサロン、意識高い系について

          おは養分 露骨に「感動しました(´;ω;`)」アピールする奴、大体養分 あずにゃん♂です🐱 某お笑い芸人信者の御一行が教祖様原作の映画を幾度も幾度も視聴することがtwitter上で話題になっている。 ヒト様の金と時間の使い方に文句を言うつもりはない、俺も好きな映画は何度も観るし気に入った漫画は読み返す。ただ、彼らからは違和感というか一種の嫌悪感を感じる。 先にも述べたが、同じ映画を何度も視聴することはオカシイことではない。しかし、彼らのやたらと「○プペ目」などという新し

          プペルンルンやオンラインサロン、意識高い系について

          シャツのボタンやパーカーのジッパーがめんどくさい

          若い頃、ボタンシャツを上2個ぐらい開けて着るのが好きだった。今はどうかと言うと、丸首Tシャツ一枚でいることが多くなった。 なんだろうか、「ボタンを留める」というほんの数十秒くらいの作業がめんどくさい。 仕事でスーツを着る機会が無くなった影響も大きいのかもしれないが。 それと、ボタンがついていると保管も面倒だ、畳む際も一度ボタンをすべて留めてからでないと上手く畳めない、その作業もまためんどくさい。 ボタンが外れた時のショックも意外と大きい、今ではシャツを着る際は「フルオ

          シャツのボタンやパーカーのジッパーがめんどくさい

          俺も年取ったなぁ~って話

          早いもので2021年が明けて、10日が経とうとしている。 「25過ぎると一年が早く、重くなるぞ~」という人生の先輩方の言葉、聞くたびに理解したつもりではいたが、最近になってこの言葉が胸に突き刺さる。 そう、私は今年で32歳。平成元年生まれの私も立派なオッサンの領域に入りつつあるのだ(「平成生まれ!?」なんていわれてた時期が懐かしい…) 32にもなると色々と「変化」が生じてくる。見た目の劣化も著しい、自分の顔を鏡で見るとほうれい線が深くなってきている。少しでも抗うため、風

          俺も年取ったなぁ~って話