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自分史上最も他人事じゃない映画「Winny」

映画は基本ファンタジーです。空想上の出来事に恐怖、歓喜、感動し興奮するものです。一部ドキュメンタリー的な事実ベースのものもありますが基本はファンタジーでしょう。

さて、このWinnyという映画はどうなのか。この映画は自分にとってはファンタジーではなく、他人事ではなく、未来の自分が遭遇し得る現実です。予行演習といってもいいでしょう。事実として知ってはいたもののそれでも迫りくる恐怖のようなものを感じました。開発者にとってこれは空想ではなく現実です。

ということで自分史上最も他人事じゃない映画である「Winny」について感想とかを残しておこうと思います。

社会を技術でより良くしていきたい

映画の中で印象的なのは以下の主張でしょう。

「悪用するためにプログラムを作るのではない。そこに山があるから登るように、興味があったから作る。」
「目立ちたいわけではないし、社会に迷惑をかけたいなどとも思っていない。」

もちろん例外で悪いことをする人はいるのですが、大半の開発者はこんな感じだと思います。別に悪用するためにプログラムを書いて公開するわけではないです。警察の取り調べに協力できることがあるなら何でもやると金子さんが序盤で言っていましたが、自分も心としてはその方針です。興味があるから実装するが、そもそもそれが最初から悪だとわかっているならやらないです。社会を乱したいわけでもなければ、むしろより良くしていきたい。科学は、技術は、世界をより良くするものだと心から信じています。そしてその技術を発展させていくのは、興味に他ならないと思います。

戦う覚悟

しかりやはり現実とはひどいもので、無理やり犯罪を作り出して何かを悪者にしたがる場合があります。直近ではCoinhive事件があるでしょう。明らかにおかしさや無理がある内容で開発者達が苦しむような時代となっています。実際Coinhive事件の頃にそれと絡めて親に話したことがあります。自分はいつ逮捕されてもおかしくないと思ってる。逮捕されたとしても心配しないでくれと。悪いことをしてなくてもですよ?そんな開発者たちの気持ちがわかりますか?いつ勝手に犯罪を作られ、悪人にされてしまうかわからないこの状況が。その自白ベースの正義は胸を張って主張できるものなのか?正義はお前が決めることなのか?と。

この事件があったからこそ開発者は取り調べでは黙秘し書類にサインしないようにしないとないとはめられる。ちゃんと戦わなければ多くの開発者が悪人とされ、未来を良くしていくと信じる技術の発展が阻害されてしまう。という共通認識が生まれたと思います。そして自分がこの立場になってしまったら戦わなければならないと思うし、実際その立場になりかねないと日々恐怖し、世の中の(特にIT関連の)事件や動向をちゃんと追わなければならないと感じています。

だからこその恐怖がこの映画にはありました。裁判で主張を読み上げる金子さんを見ているだけで、自分があの場に立ってたどたどしく、震えながらも文章を読む姿が想像できます。というかその恐怖が実際の何分の一かであるのはわかっていても、緊張感で心臓が嫌な動きをして震えました。この映画は本当に自分事なのです。決して他人事ではなく、自分に降りかかりうる未来。予行演習です。裁判のシーンは何度かありますが、そのたびに嫌な緊張と震えが来る。本当に自分はこの立場になって戦えるのかと不安になる。そんな恐怖が常につきまとっていました。
映画を見るだけの立場の自分でさえこれです。金子さんは本当にぼくらと変わらない興味のあるプログラムを嬉々として実装する開発者なのに、こんな重すぎる戦いを背負うことになって、本当になんといっていいかわからない重い苦しみがしっかりと伝わってきました。

純粋な開発者

苦しみや恐怖の中で時折挟まれる日常のシーンは、ものすごく癒やしでした。特に学生時代等お馬鹿なプログラムを書いて笑いあったりいろんなことを試して感心し合ったりといった空気感がありました。あぁ、こんな風にプログラムを書いてたことあったな。こんな風に目を輝かせていたやついたなとか。開発者として身に覚えのある純粋さの中でも特別強い技術に対する純粋さが表現されていて、金子さんにとって本当に開発は楽しい時間だっただろうなと思いました。だからこそエンディングで示される文言の残酷さが本当に際立ち、心が締め付けられるようでした。もっともっとプログラムを書いていてほしかったなぁ。と心から思わざるを得ません。

特にほんの少し手を入れれば脆弱性をどうにかできるという状況ですべてを封じられたあの日々は本当に苦しかっただろうと思います。よく使われるツール等に脆弱性が発見されると、開発者にはたとえ無償でも頑張って直すような方が多いのは、そもそも社会をより良くする意識があり、問題を放置できないからでしょう。(持続可能ではないその状況はなんとかしないといけないものの)やはり開発者の根底には金子さんのようによりよい社会を実現する、それを破壊するような何かがあれば迅速に対応をする。という意識があると思います。こういった善意の開発者を身動きできないような状況にするのは本当にどうかしてると思います。

まとめ

この映画はドキュメンタリーのようなものではなく予行演習であるという意識は初めからありました。特に裁判はリアルとのことなので見る側としても真剣そのものです。

ですが想像以上の恐怖が待ち構えていて映画の後もしばらくはプルプルしてました。だいたい普通の映画は終わった時に終わったすっきり感があるのですが現実と地続きであるという認識が強いのか終わった後も震えるとは思いませんでした。ですが本当に見て良かったです。

また技術者としての金子さんに関しては今までよく知らなかったのですが、どういう方向性の人だったのか、技術に対してどのくらい紳士で純粋なのかがものすごく伝わってきました。こういう方とものづくりできたら幸せだろうなと思います。

そして最後に重要なのは、人間は使えるものは何でもどのようにでも使う応用力があります。だからこそ道具を作る人間ではなく使う側の人間にすべてが委ねられてしまいます。このような状況だからこそ安易に作る側が悪にならないような社会に、技術がより良い世界になるよう改良し続けられるような社会になってほしいなと思います。

お礼

WinnyやCoinhive等の事件で最後まで戦われた皆さんには本当に感謝しかありません。金子さんにいたっては本当に他の開発者のために人生を使うことになってしまったのは残念でなりません。しかし、そんな皆さんのお陰で100%安心とまでは行きませんがちまちまと個人開発を続けていられます。上にも書きましたがどこまでいっても本当に油断ならない状況です。最近だとAI絡みで色々ありそうです。自分が悪人に仕立て上げられて逮捕される未来なんて本当にすぐ隣にいます。恐怖はありますが自分の番になったとしたら頑張って戦おう。映画でこれだけ怖くとも、未来のよりよい社会のために、より良い技術のために、自分なりに微力ながらも協力していこうと改めて思えた良い映画でした。映画を作ってくださった皆様も本当にありがとうございました。


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