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随想好日 第四十七話『俺流・R40指定』

さて、この2カ月ほどになるだろうか。わたしの勉強対象となっているクリエーターさんがいらっしゃる。カナダ在住、英語でも小説を発表しておられる千本松由季氏がその人だ。つい先日、三島由紀夫についての原稿とYouTube動画をリリースされているので興味がある御仁はぜひ訪れてみて欲しい。

 氏の書かれた原稿の中、わたしには、とても興味深く読むことができた箇所があるので以下に紹介しておきたい。

『女性と恋愛できることを証明したい。しかし、恋愛は成就しない。』
この一文が、わたしにとっては、本稿の急所となった。
もう充分にこの一行だけで晩飯が食えるのである。
それは真柄(さながら)キムチ明太だ。

 ここの一文。躓ける年齢というものがあるだろう。
 別の書き方をするのなら「オモシロガル、楽しめる」年齢となる。それが概ね40才以上だろうとの判断に至った次第。考えて頂ければ合理的であること理解いただけるだろう。
 わたしにするなら話を省けるに通じてくるのだから。

乱暴に聞こえてしまったら申し訳ないが、書く方にするならここの部分を端折れるか否かは大きいのである。

さて諸先輩諸氏にお尋ねしてみたい。
皆さんにおかれては、恋愛における「成就」とは如何な姿形を留め見せた状態なのか。
 申し上げておくが、この言葉をあげつらい、クリエーターの千本松氏を何とかしようなどという気は毛頭ない。その底の浅いレベルで読まないで欲しい。
 わたしは寧ろ千本松氏に感謝してるのである。
"やっとわかった"と。
 私にとって三島が可愛らしく思える理由がやっと腹に落ち、第三の新人たちが口々に唱えた、女は子宮でものを考えるという彼らの都合がやっと既視感を伴い、眺め観ることが出来た思いがするのだ。
瀬戸内の婆様の気持ちも、なんとな~く分かり始めた気もする。

少なくとも、あの当時の小説家たちには「恋愛における成就」という概念はは存在しない。吉行にしろ、野坂にしろ、ドクトルマンボウにしろである。ただ、三島には成就という概念は存在したのではないだろうか。それがわたしに三島を可愛いと感じさせているのではないだろうか。
寧ろ、三島は両性具有的ポジションを取ることが可能な人間だったのではないか。芸術家の両性具有論は横尾忠則氏の十八番である(笑) 瀬戸内の婆様は横尾氏のこの論を随分面白がっていた。

さて、「お前にとっての恋愛の成就とは如何な形態を留め見せるのか」と聞かれたら、丁度、今書いている作品のテーマとして相応しいので落とし込んでみたいと留めることにするのではないだろうか(笑)
今の時代、おそろしくて、迂闊なことは書けないのであるヨ。
クワバラクワバラ

千本松さん、有り難うございます。
とても大切な気付きを戴きました。
感謝

世一


 

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