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随想好日『誰にも教えたくない作者』

随想好日『誰にも教えたくない作者』

またね、色々と物議を醸すタイトル付けとなるのだが_______。かと云って他に書きようがあるかといえば"ない"のである。この様な心の動きが何に似ているかと考えてみると、恋愛と神への懺悔ぐらいしか想い浮かべることが出来ないのだが。ここにお運び頂ける皆さんはどうだろう。誰にも教えたくない作者というものをおもちだろうか。

わたしにはここnoteに数人いる。中にはここで紹介させて頂いた作者さんも含まれるのだが、紹介してはみたものの余計だったか… そう反省することも屡々。紹介される方も言葉として選択するかどうかは別として「有難迷惑」という気持ちが働いても不思議はない。目指すところ、求めるところがマッチングしての紹介であれば良いのだろうが、そこは中々難しい。

その誰にも教えたくない作者がある日、突然に陽の目を見たとしたら間違いなく嬉しいであろうし、間違いなく心から良かったと思えるはずなのだが、なんだろう…… わたしにするならヤキモチに近い感覚なのだろうか。
但し、誰か特定の人物に向けられたヤキモチというわけではない。遠くなってしまう感じなのだろうか。いい歳して、何やら乙女チックなメランコリーが見え隠れするようだが。

どう書けばいいだろう。
そういう人達の作品を読んでいると、わたしの場合は共通項を見出すことが出来るのだが。読んでいるだけで、わたしの体の中の琴線がかき鳴らされるのだ。使う言葉、登場人物、舞台装置…… 読んでいるだけで泣けてくる。短編、掌編、長物の別は関係ない。泣ける話か泣けない話しかも関係ない。
小説、詩、短歌、俳句、エセーなどのジャンルも関係ない。
 これを選べるか…… これを選択できる人間なのだなぁ…… ここでこう来ちゃうんだァ ! ! そう感じるともう駄目だ。我が魂は感動に打ち震え、そうだよね、そう来るよね、貴方ならそういう選び方するよねとなる。するってぇと平気で泣けるのだ。正直なところそういうものを読んじゃうと"溜息"しか出ないのであるよ。きっと理解できる人はいるはずなのだ。多数派ではないにしろ。

読み方感じ方は千差万別、十人十色。
ここのような読み方をする人間は多数派では無かろう。
インフルエンサーなる存在が有難がられる時代においては、役に立つこともない読者の一人に過ぎないが、ひっそりと応援するという姿勢もありかもしれないねえ。

本日、チョイと強い痛み止めを入れている関係もあり
副反応で頭がブワブワ、目もブワブワ。
申しわけないが、放病記 3-3のアップは明日30日夜か、31日夜に持ち越しとなりますことをお知らせ申し上げます。       世一





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