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小説 『 秋 涙 』③

注意) 人様の迷惑も省みず、一度に5本も上げて本当にごめんなさい。どうか皆さんのスキは大事にお使いください。スキは無くても私大丈夫です。読んで頂けることだけでうれしいので。有り難うございます。

小説 『秋 涙(しゅうるい)』・夢殿 ファイナルトランスフォーム 

            飛 鳥 世 一

その三 鉄さんの憂鬱

「お義母さん、大丈夫ですか? しんどいんちゃいます? 無理しんと休んでくださいねぇ」嫁の松枝がよう面倒みてくれはりましてえ、私もこうして鉄さんの描いた画を眺めに来ることができまして。それはもう本当に有難いことですわ。

「松枝はん、ゴメンねぇ… いつもこうして摑まらしてもろて。あんた大丈夫か? 重たいことあらしまへんか? 」

「何いうてますのん。手綱引いてもろてるだけですやんか。なーんもしんどいことありません。あっ、お義母さん、いい席が空きましたで~ あそこに座って眺めさしてもらいましょ」

不思議なものです。こういう時は足がこう… シャシャシャシャいうて動きますねん。丁度画の正面。少し距離はありましたけど、座ってみることが出来るベンチシートが空きました。

「あ~ これはいい按配だねぇ。これで少しは落ち着いてみられそうやねぇ」そういいながら松枝を眺め観ると、私が摑まっていた腰回りのゴタゴタを直しておりました。

鉄さんの描かはった夢殿さんは、秋の長雨の中に佇む夢殿さんを描かはったものなんやけどね、太~い雨が幾筋も幾筋も画面いっぱいに垂れ堕ちてましてなぁ… それが按配寂しそうに見えるのです。ただね、扉障子にほんの少しだけ中からの明かりが挿してましてな、その明かりがそりゃ可愛らしゅうて、可愛らしゅうて… 。

「あぁ… あの明かりは鉄さんの魂なんやろなぁ… 早くに奥さんなくしはって、寂しい気持ちを顕した鉄さんの魂なんやろなぁ」そう思えたものでした。

夢殿さんの南の空には雲を割るように横一条の光明が射してましてな、それがまた打ち立ての真綿のように柔らかでやさしい光でした。

「松枝はん… いい画やねぇ~私この画を鑑ているとなんか泣けてきますわ。ねぇ?」

「お義母さんは鉄さん贔屓やからねぇ~ 私なんかこの画を観てると、葛きり思い出しましてん(笑) はぁ… なんや葛きり食べとうなってきますわ」

 私は吃驚しましたよ。この子に読まれたんちゃうやろか… 思うて。

「松枝はん… あんたなぁ… 似てきはったねぇ~ 」

「誰にですのん? 」

「私にやないの(笑) 私もな、さっき平宗さんの葛きり思い出しましてん… 」

「(笑) お義母さん… ほな、帰りに食べて帰りましょ。晩ごはんに柿の葉寿司をこうて帰りましょ… 」

長いこと一つ屋根の下、苦楽を共にして来たお蔭でしょうか、観音さんの粋なお計らいでしょうか。考えることは寸分違わずを思わせます。

「そうそう… たしか家に鉄さんの画が一枚だけありましたなぁ… 、富士山を描かはった立派な画。お義母さんあの画はどこに直しましたん?」
もう二十年以上前に鉄さんから私が買うた画のことを松枝は思い出したようです。

「あのな、私の柳行李わかるか? そうそう… あの柳行李や。何いうてますのん捨てますかいな。お婆ちゃんに祟(たた)られるわ。私の部屋の押し入れにちゃぁんとはいっているから… あんたぁ、ちゃんと引き継いだってなあの行李」

「はいはい」ほういうと松枝は私の隣に座りながら足を優しくさすってくれてます。

人の手ってな… 、なんでこうして温かくて柔らかいんですやろ… 。
 私は孫やらひ孫やらそしてこの松枝やら… 、たくさんの温かくて柔らかい手に囲まれて過ごせてますけどな、鉄さんを想うとねぇ~ 自分の手しかあらしまへんやろ… なんぼお坊様の修業したゆうても、そりゃぁここまで寂しかったですやろなぁ… … 。

                ◆

「ごめん下さい… ごめん下さい」

「はぁい… おや、鉄さん。どないしはりましたのこんな寒い日に」

今から二十年以上前… 昭和二十年の師走も半ば。鉄さんがうちの店を訪ねて来ましてん。最初に対応に出たのは早くに逝去した次男の嫁の松枝でした。

「やぁ、松枝さん。ご無沙汰してます。面目ない。じつは年末を迎えるに窮してしまい、ついては画を一枚かたに預かってもらえぬものかと… 」

「わかりました。ほな、お義母さんを呼びますからチョットだけまってくださいねぇ」

 松枝が奥の私の部屋に来るや早口で仔細を告げるのを聞くと、私は「ありがとう」と一言発しお店まで転げるように出てゆきました。シャシャシャシャ… と。

「鉄さん、寒いところわざわざ来てくれて有り難う。なんか松枝の話しでは画を一枚預かって欲しいとか… 」

取り次いだ松枝は店に顔を出しません。このあたりは本当によくできた嫁でした。

「お千代さん、申し訳ない。恥を忍んでなのですが、この年の瀬、なんとも窮してしまい、無理を承知でお訪ねしました」

さぞや居心地が悪かったのでしょう。鉄さんは顔を赤く染めながらそういうのでした。

「鉄さん… 私とこのお商売は、値打ちがはっきりついているものにしかお貸しすることは出来しまへんね。せやから、美術品や工芸品という文化的付加価値を評価する物差しは恥ずかしながら持ってませんねん。まずそこを許したってくださいねぇ」

「そうですかぁ… 」鉄さんは肩を落としていました。

「でもね鉄さん… もしも鉄さんが良ければ、私がその画を買わしてもらいましょ」

「ええっ! 買ってくれるのですか、私の画を」

「お友達の画を一枚買うぐらいがなんですの… チョット遅いぐらいですわ。はい、ほななんぼで買わしてもろたらええのんやろね」

 鉄さんはモジモジしてました。言いにくそうにモジモジと下を向いて。意を決したようにお顔をあげると… 

「では、お千代さんの好意に甘えて八百円で… いや、七百円で… 」

「珍しいお人やなぁ(笑)」

「はぁ… 」

「うちとこ来るお人は皆だんだんに高向(たこう)なっていかはるのに… 鉄さんは安うなっていかはる… そんなお人聞いたことありまへんわ(笑) わかりました。ほな、これで買わしてもらいましょ」

 私が番頭席の上に用意したお金は「千五百円」でした。これでも高いか安いか分かりません。ただ七百円、八百円はギリギリですやろ。年の瀬を迎えるに窮しての七百円… 、ほな新年を迎えるには足らしまへんなぁ。私はそう云いながら鉄さんの手に千五百円を握らせました。

「お千代さん… あなた画をまだ鑑てないではないですか。鑑てからにしては如何ですか」

「鉄さんがお客はんなら、勿論みさせてもらいます。せやけど鉄さんはお友達です。私はお友達の画を買わしてもろただけ。その風呂敷に包まれた画は、あとでゆっくりみさしてもらいます… 、松枝はーん、はいな悪いけどね、あったかーいお茶を一杯いれてここまで持って来てくれるか。ほして、この包みを仏間へ持っていておいてな… 」

「あんなぁお千代。よーく覚えておくんやで。お商売先からものを買うときはな、絶対に値切ったらあかん。びた一文たりとも値切ったらあかん。」
祖母のうねの教えでしてん。

「でも… みんな闇市で買い物するときに、まけてくれまれてくれっていいはるよね」

「そや。でもな、うちとこのお商売はな逆なんや。もっとくれ、もっと貸してくれ云われるやろ?」

「うん… 皆言うなぁ」

「仏さんが教えてくれる世界にはな、餓鬼道ちゅう世界があってな、この世界はとにかくもっと、もっと… もっと、もっというて欲しがる世界でな、もっとまけろ、もっと高く… それは欲のキリのない世界なんや」

「お婆ちゃん… 私もなぁお母さんに時々言うてるわぁ… もっとお飴さん頂戴て… 」

「ほうか… ほしたらなお千代、お母さんにお飴さんもろたらな、今度はもっと頂戴って云わんときや。ほしてなお爺ちゃんのところへ行ってな、お飴さん頂戴て云うてみ。きっとお爺ちゃんもくれるから。ほしたらお千代、倍に増えるやろ。お飴さん。ほしたら誰からも小言いわれんですむやろ」

「ほな、お婆ちゃんにお飴さん頂戴云うたら… わたし… 大儲けやね(笑)」

「あかん… この手はお婆ちゃんには通用しまへん(笑)… 」

「ええか、闇市で買うものいうたらな、大概値段ははっきりしてるもんが多い。高かろうが安かろうが高々知れたものや。要はお商売先の儲けちゅうこっちゃな。だから値切ったらあかんのや。私らが値切らずに買い物したらな、お商売先がうちの質屋に来た時に、もっとくれ、もっと出してくれ… 云えんくなるやろ。人様の声いうもんは千里を走るいうてな、ほれがお商売の評判ちゅうもんになるねん。せやからな、まけてくれとは言うべからずが鉄則なんや」

 事実、祖母が買い物先でまけてくれという言葉を使ったところは見たことが無かった。
逆にうちの店にきはったお客はんは、みな、祖母の顔を見るとあきらめたように自分で金額をいうことは無く、祖母が提示したお金をもって帰りはった。

 昭和二十一年正月の松もまだとれぬ頃… 鉄さんからの年賀状が届きましてなぁ。
ハガキの裏には朗々とした感謝の言葉と共に縁起物の画が微に入り細にわたって描き込まれてました。

「お義母さん、大切に… 画と一緒に直しておきましょうか。将来、もっと(・・・)値打ちが出るかもしれまへんから(笑)」
松枝が楽しそうに言葉にしました。その年から年に二度、鉄さんからのハガキが届くようになりました。

私が鉄さんの画の秘密に気が付いたのはこのハガキの画を観るようになってからでした… 。


その四につづく

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