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小説『 秋 涙 』あとがき

小説『 秋 涙 』あとがき 夢殿・ファイナルトランスフォーム
                                                                                                  作 飛 鳥 世 一

最初に全編通しで読んで頂けた読者に聞いてみたい。
どこかで笑うことは出来ただろうか
どこかで怒ることは出来ただろうか
どこかでモヤモヤすることは出来ただろうか
どこかで嫉妬することは出来ただろうか
どこかで泣くことは出来ただろうか

どれでも良い。一つでも感じて頂ければこの作品はその意味を刻める。
わたしは書きながら凡てを体感している。
分かりやすいところでは、最終節のお千代の臨終シーンは書いている時から涙が止まらなかった。
信じるか信じぬかは人それぞれである。自分の書いたもので泣けるのか、自分の書いたもので笑えるのか…… 。一つだけ確かなことは、逢ったことも無い自作の小説の主人公を愛せるとするのであれば、泣き笑うことは造作もないことである。
 寧ろ、自分の創り出した主人公を愛せぬものは人を感動させることは絶対に出来ないと考えている。

最後の臨終シーンについて申し上げるなら、一発書きである。てにをはぐらいか。言葉、そして文章ここは一発書きである。
 バカバカしいことを書くようだが、凡てあの臨終シーンの文章は"降りて来た"ものだ。
「出たよ…… 狙って書いたくせに」
それは否定をしない。
何故なら、私はこの作品に人間の持つ凡ての感性を封じ込めようとしていたのだから。

■何故この作品をこのタイミングでアップしたのか

実は、この作品は126枚ものだった。それをそのまま太宰治賞へのエントリーとするつもりでいた。
しかし、どー-してもその長さであることの必然性が見いだせなかった。弛むのである。例えば、お里とのエピソード、お千代の死に別れた旦那さん、松枝の旦那さんであり、松枝の子供たち、そして鉄とお千代の交流が深まったシーン。
 これらを凡て入れ込み作品としてしあげてはいたものの、沸々と腹が立ってきた。
 月末締め切りの短編50枚ものに変えるか ! ! そう考え、削り始めたのは二日前。前後の繋ぎの整合性に難をおぼえることは無かった。
 これは谷崎潤一郎先生の『吉野葛』の果たした役割が大きい。
本作の中でもサラッと"葛切り"の話しは使わせて頂いているが、谷崎フアンであれば、全体の構成、そしてクズ噺から谷崎先生をイメージされても不思議ではない。
 もちろん同じ使い方はしていない。言うなればオマージュということも云える程度の使い方ではある。

そんなこんなで、本当は月末の『文藝短編賞』へのエントリーをする予定としていた…… していたのだが、私の中のインナーチャイルドがわたしを唆すのであった。

【はん…… 何々なにぃ~ 高々じゃないの♬ この程度ぶら提げて何をしたいの ? よいちぃ~ とぶとりせかいいっしゅう ? 笑わせてくれてるんじゃないよぉ。おまえ、嫉妬してるだろ ? 人の書いた素晴らしい作品に触れて、60年生きてきて、感じたこと無いような嫉妬してるじゃん】と、まあ、わがインナーチャイルドはそうの給うのである。

この二日ほどだが、セミプロ、プロの作品を乱読させていただいた。
誤解を恐れず書くのだが、ここで紹介した御仁の作品と、とある詩人の作品に強烈な嫉妬を憶えたのである。
 いや寧ろ、恐怖と云った方が分かりやすいかもしれない。その方が誤解は生じないかもしれない。
 自分のところのブログでも書いたが、原稿を読もうとすると「お前、読めんのか」と原稿がわたしを威圧する。言葉が立ち上がるそれは、エジプトはルクソールにあるメムノンの巨像を想わせるのだ。
 人の書いた作品、原稿を読んで震えたことなどナイ。頭にこびりついて離れない。ずっとその作品のことが行き来する。

わたしはエントリー、応募を捨てることを選択した。
この「小説・秋涙」。
間違いなく今のわたしのすべてが凝縮された作品だ。
たとえ嗤われようと、唾棄と扱われようとこの作品の空気感、書こうとする世界観に立ち鑑みたとき今のベストである。

が、ここから書き続けることを選択した今となっては、それは分からないのだ。良くなるかもしれず、悪くなるかもしれず…… 。である。


■何を書きたいのか。どういうものを書きたいのか。

と問われたならば、私はゴスペルと即答するだろう。
実名をお出しすることをご寛容願いたいのだが、今から十四カ月ほど前のこと。私は朝日カルチャー講座が主催する二つの小説関連の講座を受講した。

一つは、池田先生の文藝道場だった。
開講の初回だったろうか。書くことも不慣れで(私もね)何を書いて良いかもわからずに悩みながらであろうが書きあげた作品があった。私はこの作品も講評する役割をあたえられていたことから事前にこの作品を読み込んみ当日の講座にむきあったのである。
 正直な話し、私はこの作品から途轍もない刺激を受けている。
「おわらい」に取り組んだご自分の話しだったと記憶しているが……。
私は氏の作品を「ゴスペル」という言葉を用いて評してている。
この言葉の意味を根っこから理解して頂けたのは、あの講座に参加していた人たちのうち、池田先生を含めて片手に足りていない。
 私の講評を受けた書き手の青年も戸惑っている様子が見られたが、けして褒められているとは思っていなかったようだ(笑)
 私にするのであれば、最大級の賛辞なのだ。
 氏の書いた作品からはエネルギーが迸っていた。「正負」「陰陽」「表裏」「泣き笑い」凡ての表裏のエネルギーが迸っていた。
出来不出来などどうでも良いのである。
 何が書きたいのか、どっちなのか、感動させたいのか、共感させたいのか。氏の作品は「感動させること」を選んでいた。

私は池田先生にその場でそれをしっかり伝えることは出来た。
「いいんじゃないですか、わたしはいいと思いましたよ。ゴスペルなんですから、共感なんか最初から求めてない作品でしょう。ゴスペルはそもそも共感は求めませんからね」
私と池田先生の関係値はここからはじまったと思っている。
その後この青年がどうしておられるかは分からない。
本当は、二回目も申し込みたかったが、母の危篤などが重なり、ワンクールで終わってしまっている。

小林先生にも感謝したい。
このクラス。書ける人物がたくさんいた。中でも取り分け私が気に入っていたのがH.J 氏の作品なのだが、良く書けていた。
小林先生に最後の作品でかけて頂けた言葉は、今も私の支えになっている。
その時に提出した作品が、夢殿第二形態である。

小林先生には、この第三形態と、第四形態(ファイナルトランスフォーム)を読んでいただき感想を聞きたいところだった。

さて、ダラダラと書いていても仕方がないのである。

私はこのやり場のないメラメラとした嫉妬の炎の始末をつけねばならない。
生まれて初めて感じた、作品に対する嫉妬。
あ~。わたしね人間に嫉妬は覚えないのよ(笑)
ロクなこと無いの知ってるからね。そういうのはどうでもいいのよ。
やばいヤバイ…… インナーチャイルドが喋りたがっている(笑)

さて、これで私はスッキリしたわけである。
あとは、来年春までにあげりゃいんでしょあげりゃ。
一つの断捨離かな。

しかし……、うまいと思わん ? 質屋と古道具屋を向かい側におくなんてさ。
谷崎先生でも褒めてくれそうな気がするわ(笑)
時代考証も概ね落ち着きはある。大幅なずれは感じない。

文藝賞の短編部門…… どうしよっかなあ。
てか、短いの、全部ここであげちゃったしなぁwww
でさぁ、わたし…… やっぱり純文系書きたいのよねぇ。
どうしても。絶対に。
尊敬する先生達は何人かいるのだけどね、なんかなぁ。

了  


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