見出し画像

小説 『秋 涙(しゅうるい)』②

注意) 人様の迷惑も省みず、一度に5本も上げて本当にごめんなさい。どうか皆さんのスキは大事にお使いください。スキは無くても私大丈夫です。読んで頂けることだけでうれしいので。有り難うございます。

小説 『秋 涙(しゅうるい)』・夢殿 ファイナルトランスフォーム 

            飛 鳥 世 一

その二 錫(すず)メッキのブリキ缶

この画を眺めていると、描いてはった情景までも思い浮かべることが出来ますねん。

それは去年の秋のこと… 昭和四十一年の九月も半ばを過ぎた頃… 。

毎年のことやけどなぁ、斑鳩の地を濡らす秋の長雨は夢殿さんを朧(おぼろ)の中に包み込みますねん。伽藍周辺さえもけぶるようにうつります。

境内に敷き詰められた玉石は水にふやかした黒豆さんの様子を見せながら、伽藍の一部になったようにピクリともしまへん。

中秋の柔らかな陽ざしさえあれば、白地に薄く藍を溶かし込んだ石の姿は、訪れる参詣者の足元に心地よい旋律を奏で響かせるに一役買ったことでしゃろう。

さながら天と地が繋がった合図を想わせるようで、雨をおとすお空も同じ色を見せています。それは黒豆さんをふやかした後の水で塗りつぶしたようですねん。

 太く、切れ目なく堕ちる雨垂れは、吉野の平宗(ひらむね)さんの葛(くず)きりをお空から突き出したようにみえ、それは救世観音菩薩の功徳の顕しのようにも思へ、数多(あまた)患い事(わずらいごと)からの救済を試みる蜘蛛の糸にも見えるようで、時には下から上へ降っているようでもあり、昇ってゆくようでもありと映るのです。

 まるで足元から踏み板を外されたように、心細く頼りなくも感じられます。

「お千代。さて、この先どうする。進んでみるもよし、退いてみるもよし」と突きつけられてもいるようで、些かハッとさせられたものでした。

【あぁ… 何でしょう、思い出したら平宗さんの葛きりが食べたくなってきましたよ。こんな歳になっても食べたいは衰え知らぬもののよう。あぁ… 今夜の夕餉は平宗さんの柿の葉寿司にしましょうか。松枝と帰りに買ってゆきましょうか… 】

私がここにお参りに来るようになってから幾度の秋を迎え送ったことでしょう。秋雨に眺め入ると現(うつつ)と夢を行き来するようで些(いささ)か心もとないのでございます。

境内を埋める玉石の隙間は地面からの雨水が浮かびあがっています。雨は間断なく木立や伽藍、地を打つものの、境内を取り巻く仏性が幸いしてるのでしょう静寂に馴染みをみせているようです。

今また一人の老男がいつもの様に長靴を履き、纏わり(まとわり)憑く(つく)雨水すら慈しむように、伽藍むこうへやってきました。

この御仁、名を不染鉄というそうで、どうやら画描きを生業とするそうで足しげく通い来ては法隆寺や夢殿の画を描いてはったようです。境内で顔を合わせるようになってから既に四十年が経ちましたか。毎日毎日、雨の日も風の日も片道一里半(6キロ)の道のりを歩いて通っていたようです。

しばらく見かけぬなと思へば、長野に行っていたと善行寺土産を私のお店まで届けてくれる心優しきお人… 私が数年前に大病を患ってからというもの、顔を合わせるたびに私を気遣い声をかけてくれるのですが、どうにも私よりも鉄さんの方が儚(はかな)げな按配を感じさせるのでした。

聞く処によると、東京小石川(現在の文京区)にある浄土宗の寺、光円寺の住職の倅ということではあったものの、そのくせ背筋のシャンとしたところは覗えず、とても仏の道と近いとは思えなかったものです。

ところが人は見てくれではわからないものでございます。話は聞いてみなければわからぬもの。なんでも昭和のはじめ頃には僧侶になるための検定試験である、律師なる試験も修めていると聞かされたのには随分驚かされたものでした。

第二次大戦後の混乱期には女学校の校長も務めていたようで、とき折、地元の女学生数名を従えてお参りする姿を見受けたものの、境内で私を見つけた途端、その気配、引率からは甚だ遠く俯き加減に歩く様子からは、引率されている気恥ずかしさが滲んで見えたものでした。

「よう降りますなぁ…… 」

「はい。本当に…… 」

どうということもない当たり前の挨拶が毎度のこと交わされます。

鉄さんは風呂敷包を開くと道具箱を取り出しイーゼルを立てます。そこに古新聞で何重にも挟み込んだ画紙を置くと画を描き始めました。粗末な空き缶を降りしきる雨の下に何個か並べますと、立ちどころに仏性がかき消され缶を打ち付ける雨音が広がります。

缶の大きさがそれぞれ違うせいでしょうか。凡ての缶から流れる音が違うのです。
それはまるで声明(しょうみょう)のように境内に響きました。

【あ… 、かき消されたと思った仏さんの声は姿を変えただけなのだ、缶を打つ雨音さえ愛おしく思えるのは、観音さんの成せる御業(みわざ)なのでしょう… 】

カン、キン、コン、カチャ、ヒチャ… 缶の中に水がほどほど溜まりだすと音が止みはじめます。

雨のかからない庇(ひさし)の張り出した下、鉄さんは夢殿を描いてはりました。

「いやぁ… これはやはり描きにくいなぁ… カンバスが湿気を吸って鉛筆が走らない」

誰に云うとは無く鉄さんが肩を落として呟きます。

「下色だけ入れておくとするか… 」

雨を受けていた空き缶を軒下に運び込むと、三十分も経っていないのに一番小さな缶には水が溢れんばかりに溜まってはりました。

「随分溜まりはったね… お水… 」

「そうですねぇ。チョット薄めすぎですが、まぁ、下塗りなのでやれるでしょう」

鉄さんがはにかんだ笑顔を見せ答えます。

「あら、鉄さん、絵の具は入れしまへんの? 」鉄さんは四つの缶にそれぞれ絵筆を放り込むと、グルグル水をかき混ぜてはったのです。

「荷物になるし雨が降っていますからね、絵の具チューブをダメにしては大変なので、予め缶の中に絵の具を塗りつけて乾かしておいたんですよ」

水がたまった四つの缶は、一つの缶を除いてどれも同じように黒豆さんをふやかした水のように薄黒く見えているのです。

「どれも同じ色に見えるけど、鉄さんに違いは判るの? 」鉄さんはニコリとすると、缶の側面を指さし「ほら、お千代さん、ここ見えますか? 」といいました。

杖を頼りにチョイと前屈みになり眺め観ますと、缶の側面は「赤」「黒」「青」「白」と、釘か何かの鋭利なもので彫られているのが判りました。

銀色の缶の肌が少し錆びつき、所々茶色くザラついて見えています。そこに傷つけられたところだけがピカピカと金彩を放って観えました。

「鉄さん… ごめんなさいね、うるさくて。白っぽいお水は缶の横腹に白って彫ってはりますけど、これも下塗りに使いはるんですか? 」

「使いますよ… 今日は雨が強いですから画紙が湿気を吸っているので判り難いですが… 半乾きの処にポツポツと白を置くと滲(にじ)みや暈(ぼか)しが花火のように広がるんです」

鉄さんは嫌な顔を一つも見せず、この歳よりの質問に機嫌よく答えてくれるのでした。

「なんだか綺麗ですねぇ… 缶の彫ったところだけがピカピカ光ってはりますねぇ… 」

「今では珍しくなりましたからね、錫(すず)メッキのブリキの缶は… 」

「錫メッキのブリキ缶ですか… そんなものがあるの… 」

そこまで云って、私は思い出しましたよ… 私は錫メッキを知っていたのです… 。

                ◆

私が十三、四のころでしたか、その日の店番は祖母のウネがしていました。

「お千代、茶の間の戸棚の上から二番目の引き出しを開けておくれ… そうそう、そこを開けるとね、鋏なんかがあるだろ? 」

祖母の云う通りに戸棚を開けると、そこには裁縫道具の針や糸、そして鋏やら篭手などが几帳面に整然となおされて(・・・・・)いました。

「そこに針が引っ付いた、まぁるい平べったい石みたいなものがあるかい? 」

「うん。ある… 」

「そこの針箱に針を外して入れたらそのまぁるいのをこっちに持って来ておくれ」

そこには確かに針が引っ付いたまま散らばることのない、まぁるい平べったい石のような物がありました。

針を外しお店の祖母のもとへ持ってゆくと、西洋風の立派な身なりをし口ひげをたくわえたおじさんが立っていました。

「はい、ありがとさん… 」

 私は何が始まるのかと好奇心が抑えられず、店の番頭席を離れることが出来ずに祖母の手元を正座をしながら凝視するのでした。

 ふと目をお客さんのひざ元の上がり框(あがりかまち)に移すと、そこには綺麗に銀色に輝く「茶道具一式」が整然と並べられていました。

【綺麗… おてんとうさまの光を受けてピカピカ光ってはるわぁ】

とも箱もあり、筆字で箱書きが書いてあるところを見た私は、なにか途轍もないお宝が持ち込まれたと思ったものです。

祖母は平べったいまぁるい石の玉を自分の前に置くと、急須を手に取りそのまぁるい石のようなものの上にかざしました。

「カチン! 」

 するとどうでしょう。その平べったい石の玉は急須に飛びつくように張り付いたのです。

「あちゃぁぁぁ… あかんかぁ… 」

「あきまへんかぁ… 」

声を発したのは祖母とおじさんが同時でした。

私はその光景を見ていて何のことか皆目でした。なにがどうなっているのか、なにがあかんのかが気になって仕方がありませんでした… 。

せやけどね、そのお客さんの落胆の様子を見ていると、その場で祖母に聞くことが躊躇(ためら)われたのです。

「お千代、これを元あった場所に戻しておいてちょうだい」

その言い方からは、戻したらお店には戻ってくるなという調子が感じられましてん。

程なくすると、お店から呼ぶ声が聞こえてきました。

「お千代、さっきの石の玉を持っておいで… 」

「はぁい」私はこの瞬間が大好きでした。祖母や母は、ことある毎に新しい知恵を授けてくれました。

「お千代、これはな、磁石云うてな、鉄ととても仲がええねん」

そういうと、先ほどのお客さんが置いていかはった急須に近づけると、それは祖母の指先から飛び出すように急須に張り付いたのでした。

「お婆ちゃん、私もやってみたい… 」

「よしよし、ほなな、こうして下に置いて… こうして急須を近づけてみなはれ」

祖母は質草に傷がつくことを懸念したのでしょう。急須の底をかざすことしか許してはくれまへんでした。

「… せやけどな、この磁石っちゅうもんはな、値打ちの高いもんとの相性は良くないねん。せやから金や銀との相性は今一つちゅうこっちやな… 。ほれ、そこからその簪(かんざし)を持って来てごらん、幾つか並んでる箱がありますやろ… そうそう、それをここへ… 」

箱を祖母の前に届けると、祖母はその磁石というものを簪の上にかざしはじめました。

「これは銀やな… これは鉄、これはええもんやねぇ… 金細工や… 」

そう云いながら磁石をかざして真贋の見立てを教えてくれるのでした。

「さっきのお客さんのこれはなんやの? 磁石が引っ付いたちゅうことは鉄なんやろう? なんでこんなにピカピカ光って綺麗なん? 」

「錫(すず)メッキいうてな、鉄の上から錫でメッキをかけてはるねん… せやから、磁石が吸いついてしもうたんやな… 」

祖母はそういうと簪の並んでいる箱から金細工の施された簪を取ると、私の潰し島田に足りない結髪(ゆいがみ)に刺しながら「お千代な覚えておきなはれや。人の相性云うもんはな、得てして磁石みたいなもんと思うて惹きつけられるもんを有難く思いがちやけどな、そうやないで… 結局は目を養わなあかん。澄んだ目をもちなはれや… お千代が金や銀のように値打ちの高い人間になれば、磁石は寄ってきいへんから安心やけどな… 」そう言いながら優しく笑うのでした。

あの簪が祖母の形見となるまでに、それほど時間はかかりまへんでしたなぁ。

あら… 鉄さん… そういうたらあんたも鉄やないの、ほな、私が磁石かい? あんたが引き寄せるんだか、私が引き寄せられるんだか… どちらにしても引っ付きたがるんやろうなぁ… あんたも私も大事な人を早くに見送ってるから… なんや他人ごとちゃうねんやろなぁ… きっと… 。

その三につづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?