貯金について

唐突だが、私は去年心身を壊したことにより、一昨年の年末から1年あまり、社会人になってから申し訳程度ではあるが続けていた月々の貯金を一切しなかった。お金は心療内科の診察費、薬代に消え、さらにはすっかりぐちゃぐちゃになった自律神経を少しでも改善しようと保険適用外の鍼灸にも通ったりした。そしてここまでやって、諸悪の根源であるストレスがあっては元も子もないと、気になる事、興味があることには惜しみなくお金を遣うのを許したのだ。言い換えれば自分を甘やかす年だった。
して、1年ほど経った今年の年明け、幸いにも大分心身の不調は改善されてきた。もっとも完璧に治った訳ではないし、未だ心療内科に通い、漢方は飲み続けているけれど(鍼灸には3か月ほど10日にいっぺんほどの頻度で通っていたが高い金額に加えて、イマイチその効果が微妙だったためにやめてしまった)8割型元の自分を取り戻した時、この1年一向に増えなかった預金残高について漸く気持ちが向いた。そして今年からまた貯金をしようと決めたのだった。遣うだけだった去年を鑑み、今まで貯金していた額より5千円ほど増やして行こうと考え、この5月の時点で毎月達成できている。
えらーい!私!!
しかし、未だ心身不調がふんわり纏わりついている私に度を超えた我慢は禁物であることはもう身に染みている。我慢し過ぎて再び心身を怖し元の木阿弥になるのは絶対に嫌だ。けれど、ビルゲイツどころか同じ業務の社会人と較べても平均年収がほんのり低い私の収入では本来やりたいこと欲しいものがあったとしても我慢しなければならない方が圧倒的に多いのだった。そうしてどうしてもやりたいこと、欲しいもの(必要なもの)を厳選するところまでは思考が行きついたが、それによって生まれる空白、そこでの虚無、結局のところそこから発生するストレスをどうするのか。正直ここが一番問題だと思われた。貧乏人は外出にも出来ず、結局休日は引きこもることになる。別にそれでいいじゃんと言う根っからインドアの人もいるだろうが、晴れた休日、懐に余裕がないばかりに窓越しの美しい青空を見つめるほど虚無なことはない。そもそも私のような自律神経が失調ぎみな人間は家に引きこもることは健康的にもわかりやすくよくないことであって、普通に回避するべき点であった。
じゃあ別に外に出ればいいじゃん。近所に散歩ならただじゃん。
そう思われるだろう。そうだよね。私もそう思うよ。歩くの大好きだし、別に交通費掛けて出掛けなくったって、その辺歩くだけでストレス発散になるよね。
でもね。
私は大人になってから気付いた。外に出て、1円もお金を遣わないでいるのって結構、かなり難しいって。
重度のうつ状態で家から数歩出て速攻引き返すならともかく、ある程度普通の精神状態で散歩がてらと近所を歩くとしても、そこから何だかんだ遠くまで行ってしまう。せっかく外に出たんだからという気持ちもある。女の人なら化粧してたりもするしさ。そうして駅前だの何だの、ちょっと賑やかな通りなど来たら、ウインドーショッピングを決め込むつもりがミイラ取りにならないと断言できるのは相当意志の強い人に思う。
例えそこはぐっと堪えたとしても、つい遠くまで足を延ばしてしまったことで覚えた疲れやら空腹やらでその辺のコーヒーショップに入っちゃうんだよ。
私にはわかる。
でもここで我慢するのは服や化粧品を諦めるより惨めに思うし、何よりストレスを刺激することなのも私はわかるのだ。
だから休日外に出てコーヒー一杯を自分に許すだけのお金は必要経費だ。
休日全くお金を遣わないということは私はしないというか遣ってもよいということにしている。
人生の豊かさを捨ててしまったら人間として生きる価値がないしね。
でもじゃあどこで節約してるの?と聞かれたら、私は自炊と答えるのが一番適当かも知れない。
自炊をすればある程度美味しいものがしかも量を気にせず食べることが出来る。けれどTwitterでも最近話題になっていたが、自炊が必ずしも節約になるとも限らない。寧ろ一人暮らしの一食分だけなら総菜を買った方が安いとかそういうのはあるけれど、美味しいものを好きな時に好きなだけ食べられると言うのは何より余裕を産み、メンタルにいい。休日安いコーヒー一杯だけで帰って来ても、家に帰ったら好きなものを好きなだけ食べられるとわかっていれば我慢や惨めさもない。無理せず余計な外食費が減る。それが一番のメリットだと私は感じている。
雨の日は図書館で借りて来た本を読んで、奮発して買った少しだけいいお茶で贅沢して、夜は安い食材で作れる好きな料理を食べる。それで結構満足している。
勿論、化粧品等は必要経費だし美容院なども行かないと気持ち悪い。友達と遊びにいくのも大事だ。
推し活なんかもしているからお金はやっぱり必須で、大きく貯金は出来ない。けれどこの小さな、いじましさの滲む積み重ねを意識することによって、対価の真価は深まる。お金を遣うことでしか得られない価値は絶妙な清貧からしか生まれないのだ。

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