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11歳でギャンブルに脳が焼かれた話

日本におけるギャンブルは、公には競馬や競輪、競艇などだが、もっともメジャーなギャンブルはパチンコパチスロだろう。
店で出している特殊景品をたまたま隣接もしくは併設された古物商が買い取ってくれるだけで、あくまで遊戯ですとかのたまっているが、あれはれっきとしたギャンブルだ。遊戯で自殺者は出ない。

いきなり悪しざまに遊戯業界をディスったが、そこは本題じゃない。
僕はパチンコが好きだし、パチスロも嫌いじゃない。

しかし、今回の主題になるのは、競馬でも競輪でも競艇でもなければ、遊戯の皮を被ったギャンブルでもない。

僕が11歳にしてギャンブルという行為に脳を焼かれた想い出話であり、舞台となったのは粗末な外観の駄菓子屋だったのだ。

駄菓子屋にはギャンブルがあった


僕が小学生だったのは20年以上前、まだ駄菓子屋が生き残っていた時代の話だ。
消費税も今ほど世知辛いパーセンテージではなかったので、10円あれば口に入れる物を買えていた。

当たり付きの10円ガム
蒲焼さん太郎系
5円チョコ×2

などがメジャーだっただろうか。
僕が好きな10円駄菓子は「おこづかいラーメン」という、ミニゼリーくらいの器に雑な味付けのベビースターのようなスナックが入ったお菓子だった。

普通の駄菓子の当たりは、引けばもう1個もらえるくらいのちゃちな内容だったが、おこづかいラーメンは一味違う。
蓋をめくると、ハズレか当たりかがわかるのだが、当たりの場合は金額が書かれているのだ。店のおばちゃんに渡すと、その金額分の駄菓子をもらえるてしまう。
だいたいは10円だが、30円、50円の時もある。

10円の元手で劣化ベビースターが食えて、さらにあたりを引けば他の駄菓子も手に入るという魅惑のシステムに、僕はすっかりハマっていた。
しかし、射幸心を感じるほどではなかったように思う。

とまぁ、こざかしいクソガキの思考を回想してしまったが、本題はそこではない。

僕の脳を焼いた本当のギャンブルが、隣町の駄菓子屋にあったのだ。

本当のギャンブル【金×駄菓子×SEX】


小学5年生、11歳の頃、幼稚園時代の友人とたまに遊ぶようになった。
その友人は隣町に住んでいたので、自然と町を案内してもらう流れになったのだが、その時にある駄菓子屋と出会った。

駄菓子屋としては微妙なラインナップで、子供心につまらない店と感じた。
近隣の児童に売る上靴や体操服、文房具の販売がメインで、駄菓子販売はついでのついで、といった感じの店だったのだ。
体操服に興奮する児童はいない。

だが、この店にはとんでもないシステムが存在した。
その中枢になっていたのが、店の外に設置されていたオレンジ筐体っぽいゲーム機だった。

10円でプレイできる筐体で、内容は一人ポーカーだった。
10円が1クレジットで、役によっては1クレジット分以上ののメダルが手に入るというシンプルなゲームである。

ポーカーは役を揃えないといけないので、小学生かつアホの子だった僕には難しかった。
しかし、その筐体は僕のようなアホでもできる救済要素があったのだ。

ドラクエのカジノをやった人は覚えがあると思うが、ポーカーは役を揃えた後にダブルアップができる。獲得メダルを賭けて、トランプの数字が上がるか下がるかを予想するあれだ。

しかし、その筐体ゲームは
10円を入れただけ、つまり1クレジット入れただけでダブルアップができた。
ポーカーだがポーカーをする必要がなかったのだ。
クソゲーである。

トランプの数字が大きくなるか小さくなるかの選択程度ならアホでもできる。
つまり、僕にもできてしまったのだ。

10円を入れてダブルアップに成功すればメダルが2枚、さらに成功したら4枚、8枚と獲得枚数が増えていく。
そして何より悪魔的なのはそのメダルの使い道だった。
なんと、メダルは2枚で10円分の駄菓子と交換できてしまうのだ。

トランプゲームで遊んで、あわよくば10円が何倍分もの駄菓子に変化するという夢のゲームに、僕の心は踊った。
もとい、脳を焼かれ始めた。

11歳という微妙に下心を持ち始める少年を依存させる演出も存在した。
ダブルアップゲームの背景がアメリカン風味なバニーガールで、ダブルアップに成功すればするほど服を脱いでいくのである。
というか、駄菓子よりこっちの方に興奮していた記憶がある。

僕たちは口にこそ出さなかったが、どこまで脱げるのかという要素にも期待していた。
どこまで賭けるか、どこまで下心を見せずに脱がすか、そのギリギリの駆け引きの魔力は僕や友人たちの脳みそを見事に焼き切ってしまったのだ。

「甘イカさん太郎!!」
「ビッグカツ!!!」
「ここを通せばブタメンだ!!」
と盛り上がっていたが、みんな内心では駄菓子よりもあられもない姿になっていくバニーガールに興奮していたと思う。少なくとも僕はそうだった。駄菓子代など、自販機の下を漁れば調達できたからである。

そんなこんなで、猿のようにトランプゲームをする日々が始まった。

ちなみに出たメダルは基本的に家に保管していた。
駄菓子にすると価値が下がるからだ。
10円1クレジット
メダル1枚も1クレジット
しかしメダルは駄菓子換算だと2枚で10円

ほどよく駄菓子と交換しつつバニーを脱がすにはこれが最適解。
という結論を、アホなりにはじき出したのである。

今は絶滅危惧種だが、パチンコにも貸玉4円の2~3円交換の店があった。
そういう店で遊ぶ場合は、貯玉したり持ち球でダラダラ遊んだりする方がお得だった。
玉を借りるだけ損をするので、出た玉や店に預けた玉で遊ぶシステムだ。

大人になってパチンコを覚えた後、改めてあの駄菓子屋のシステムに戦慄したのは言うまでもない。

電流が走った日

トランプゲームに魅了されてからは、他の駄菓子屋も筐体ゲームも目に入らなかった。とにかくギャンブルをしてメダルを増やし、ほどほどに駄菓子を味わいながら、目立たないようにバニーを脱がす毎日だった。
(下手に脱がす宣言をするとエロのレッテルを貼られるため、みんなメダルのためを装ってバニーを脱がした)

しかし、ある日僕らに電流が走る。

友人の1人がゲームに夢中になるあまり、手に持っていた紙コップのジュースをこぼしてしまったのだ。こぼれたジュースは筐体のメダル投入口など、明らかに入ってはいけない内部にまで染み込んでしまった。

壊れたらすべてが終わってしまう…。
他人事ながらにゾッとしたが、幸いにも筐体が壊れることはなかった。

しかし、金属部分に触れると感電するようになってしまった。

『その時〇〇に電流走る・・・・っ!』

という有名な吹き出しがあるが、それを地で行くゲームになってしまったのだ。
メダル投入口と払い出し口は金属なので
プレイ=感電
であり、しかもその電流はかなりの痛みを伴った。

だが、それでゲームをやめる人は一人もいなかった。
むしろ感電ゲームと呼んでおもしろがっていた記憶まである。
すでに僕らは脳を焼かれていたのだ。

(今思うと危険だし、その状態で稼働していた店もどうかと思う)

その後もしばらくはのめり込んでいたが、小学生というのは興味の変遷が激しいお年頃である。
きっかけが何だったのかは忘れたが、気づけば感電ゲームをやる事は少なくなっていき、気づけば筐体ごと無くなっていた。
今では店もあるかどうか怪しい。いやたぶんもうないだろう。

今はパチンコを打っている

こうして11歳にして射幸心を刺激され、脳を焼かれてしまった僕は、高校卒業後すぐにパチンコパチスロを覚えてしまった。

20代は仕事や家庭事情で生ける屍状態だったので、なおのことハンドルを握るだけで脳死でき、あわよくば脳汁とお金をもらえるパチンコにのめり込んだ。

今でもたまに打つが、20代で脳汁は出尽くしてしまったようで、今はメーカーの主張する遊戯の範囲内で遊ぶにとどまっている。

今のパチンコパチスロはド派手な演出とか3D映像とか役物とかで煽りに煽ってくる。今でも脳汁が出る演出もある。
しかし、あのゲームのドット絵バニー以上に興奮することはもうないだろう。そう思うと、ジャンキーとしては少し寂しくもある。

ここまで書いても、いったい何が言いたかったのかよくわからない。
まぁただの昔話だ。

にしてもあのゲーム、今考えてもいろいろアウトだと思う。

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