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逃避としてのゲーム

5歳のころだったか、我が家にスーパーファミコンがやってきた。
発売から数年が経っていたが、一部のコアゲーマー以外にとって、スーファミはまだまだ最新のハードだった時代だと記憶している。
最初のソフトはロックマンXだった。

今でもたまにスーファミを掘り出してプレイすることがある。
本体は約30年が経った今でも現役で、ACアダプタが少し接触が悪い以外に不調はない。さすがは任天堂ハードだ。
コントローラーは5代目くらいだが、物の扱いが雑で力任せな子供時代に比べれば、ずいぶん持ちがよくなった。
ロックマンXのソフトも現役で、僕は5歳かそこらで触れたゲームをいまだにやっている。

知り合いは僕がゲームが好きだと思っているし、僕も数年前まではそう思っていた。だが今は、新作ゲームに対してあまり興味がわかなくなってきた。

歳を重ねたせいでエネルギーがなくなったせいとも、ここ数年で悪化した精神疾患のせいともとれる。
しかし、自分にとってゲームがどういう存在だったのか、というのが核のように思えてならない。

なので今回は、自分にとってゲームとはなんだったのかを振り返ってみる。

スーパーファミコン漬けの小学生時代

小学生時代の僕は、まさしくスーファミ漬けの毎日を送っていた。
別に引きこもっていたわけじゃない。
学校にはちゃんと行っていたし、放課後や休日は積極的に外で友達と遊んでいた。

でも、それ以外の家にいる時間はほとんどスーファミをやっていたように思う。
どうにかしてお金を用意して買った、ブラウン管の小さいテレビデオの前で、延々とゲームをしていた記憶はいまだに色濃く残っている。
食事や入浴、寝る時間以外はほとんどゲームに費やしていた。

母子家庭で母親は働きに出ていた。
兄は嫌なグレ方をして家で暴れたりしたが、家にいない夜も多かった。
家に一人でいる時間は、よその子よりも多かったと思う。

平日は学校に行き、放課後は友達と遊び、母親が帰宅する夜遅くまでスーファミ。休日は朝から友達と遊び、帰ってからはスーファミ。熱を出して休んだ日もスーファミ。
という具合で、子供の頃の僕は見事にゲーム漬けだった。

とはいえ小学生なので、おいそれとソフトは買えない。
どうにか集めたお金でワゴンセールのクソゲーを買うこともあったが、だいたいは同じソフトを繰り返しプレイするのだ。
ロックマンXやがんばれゴエモン3、ゼルダの伝説神々のトライフォースの3本は、それこそ数え切れないほど周回した。
大人から見れば、若干危険な感じのする子供だ。

同じゲームを何周もして楽しいか?
と言われると、何とも言えない気持ちになる。
しかし、同じゲームをしていて楽だったかと問われれば確実にイエスだ。

家族が揃っていると問題が起きるので、家にひとりでいられるのはむしろありがたかった。
家族団欒よりもスーファミ、これが僕の価値基準だった。
家族団欒になると、必ず家具が壊され、安全が脅かされるからだ。

あんまり家の状況がよくなかったし、僕は物心つく前から不安感の強い性格だった。
そのせいか、同じ内容が約束されているゲームの世界は現実よりも安心感があり、スーファミのコントローラーを握ると気が楽になった。

スーファミが好きだったというより、家にはスーファミしか精神安定剤がなかった、というほうが正しいよな…と思い至ったのはつい最近のことだ。

無職時代のスーファミ

20代を公僕で無意味に費やした後、僕は30歳を目前にして無職になった。
意味もなく貯めていたお金のおかげで数年間は、無気力に過ごせたわけだが、その期間の僕は再びスーファミ漬けになった。

新作のゲームもプレイはしていたが、やっぱり落ち着くのはスーファミだった。
主に、子供の頃からアホほどプレイしていたロックマンXをプレイしていた。ボスの弱点は当然だが、ステージ中の雑魚敵の位置もだいたい覚えていた。新鮮味はなかったけど、慣れ親しんだ内容をこなしていると、横になっているよりも気が楽になる。
一時期はロックマンXを一日一周していた。もはや習慣である。

当時は無気力・無能・無資格・無職と4拍子揃った、今よりひどい状況だったので、存在するだけでも息苦しかった。
そんな時でも、スーファミの硬い電源スイッチを押し上げると、少しだけ気が軽くなった。
幼少期から変わらないコントローラー操作をしていると、一時的に現実を忘れられた。

自分は本当にゲーム好きなのか、という疑問が湧いたのはこの頃だった。
読んでいる人たちも感じたと思うが、僕はゲームを楽しんでいるというより、ゲームに逃避している。

スーファミは逃避の象徴

思えば昔から、新作のゲームに対する興味も薄かった。
僕の世代はファミコンやスーファミでゲームに目覚め、プレステで発売されたFF最新作の映像美に興奮する、という感じでゲームの急激な進化の中で青春時代を過ごした世代だ。
でも、僕はあまりそういう話に興味を持たなかった。

兄が新しい物をすぐに欲しがるので、ハードやソフトはあったが、僕は依然としてスーファミ人間だった。
バイオハザードは一通りやっていたし、当時は熱かったFFもプレイはしていたが、やっぱりスーファミが一番だった。

兄が最新ハードを独占するおかげでスーファミをしている時間はより一人になれたのだ。
僕の手や脳は、スーファミのコントローラーを握ると安心するようにできている。新しいゲームにも触れるが、やっぱり好きなのは1人で似たようなことを繰り返すゲームだ。

実家を飛び出し、地元からも抜け出したが、スーファミは今もダンボール箱の中に眠っている。
この先、心底から何かに絶望するタイミングに備えてのことだ。
自分一人になれる夢の機械、スーファミを手放せる日は、たぶん一生訪れないだろう。

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