強迫性障害、ほぼ寛解した人の備忘録

!注釈!

  • 長いです。結論はなんだよ!という方は「声に向き合わないこと」をお読みください。

  • ただの備忘録になります。メソッド的な物ではないのでご了承ください。薬名なども記載しておりません。いちばんは主治医の先生との話し合いです!

  • 個人差があります。"私の場合"を記録してます。

はじまり

昔から不安が強い子だった。
特徴的なエピソードは小学校中学年。『連休前に、学校のストーブの上にプリントを置いてきちゃったかも、火事になったらどうしよ〜?』というもの。やや呆れてる母からの「そんなん、学校燃えたら弁償してやるから!」との強いお言葉に、子供ながら安堵した記憶がある。

とうとう発症したか、と思ったきっかけは大学院2年の冬。修士論文提出の時期である。
コロナが流行ったこともあり、ほぼ自宅で1年を過ごし、その大半は修論作成に追われていた。
年明け前には、生活リズムはぐちゃぐちゃ、睡眠時間はとれていたが、いつ寝ていつ起きてるか覚えていない。起きてればずーっと論文作成。動きもしない、息抜きもない。内容の推敲はもちろんのこと、引用は正しくされているか?誤字脱字はないか?正しい分析になっているか?……
修士であればできて当たり前のことだ。今思い返せば、この時点でかなり強迫的になっていたが、そんなことを感じる余裕もなかった。
その後、なんやかんやあり提出したのだが、実は、なんやかんやの中で失敗したことがあり(結果としてはなんとかなったが)、「ちゃんとしておけば」「自分は詰めが甘いんだ」と責め立て、ご飯も喉を通らず、結局ほぼ徹夜でなんとかしたのだった。
提出しても不安はずーっと残っており、修論がなくなれば、不安の矛先は自分であった。今まで無かったような症状が出てきて、どん底へと突き落とされた。気にならなかった事が気になり始める。もう普通の生活ができないのではないかと。

夕食作り中、「なんで私が」と泣いた私に対し、父は「大丈夫、大丈夫」と優しく抱きしめてくれた。
母は夜遅くに話を聞いてくれて「もっと自信をもっていいんだよ」と励まし寄り添ってくれた。

この時の症状を、ざっと下に記してみる。

①運転で人を轢いはないかと不安になり何回も引き返す。酷い時は警察に行って事情を話す。(不審者ですな)
②買い物に行ったら、万引きしたのでは?と不安になり帰ってから商品とレシートを並べにらめっこ。開かれているバッグでは買い物できない(万が一物が入ったら…と不安だった)。
③人とすれ違うと、なにか危害を加えたのではないかと不安になり何回も振り返る。
④側溝や川の傍は誰かを突き落とすのではないかと思い歩けない。
⑤包丁を使った後、しまったにも関わらず、包丁で誰かを刺すのでないかと恐くなり外に出れない。
強迫中は落ち着いてなどいられない。
なんとか気を紛らわせようと、Switchの桃鉄をひたすらプレイした。死んだ顔で土地を買っているその姿に、さくま名人もビビったことだろう。

ちなみに、窓閉め、コンセントなどはもう少し前からあった。こちらは、上に比べたらさほど不安は強くなく、日常にも支障はでなかった。大体①から順に症状が出始め、②あたりでこれはまずい!と思い精神科を受診。最初は抵抗があったものの、先生も良い方で、幸い薬も合い、大分落ち着いた。同等に大きかったのは夫、両親の支えだった。

周りのサポート

両親はよく支えてくれた。強迫観念が出た時は、巻き込まれず、意識をそむけるように語りかけてくれた。運転が怖いけどしたいと言ったら、後ろから着いてきてくれて2台でドライブしたこともあった。私が単独で強迫観念・行動を無視できた時は大いに褒めてくれた。失敗した時も、「徐々に気にならなくなる」といってチャレンジしたことを褒めてくれた。両親なりにたくさんの不安があっただろうけど、私が強迫について悩み考えることを、全力でサポートしてくれた。本当に感謝しかない。
夫(当時は恋人)には頭が上がらない。パニックになってる私に「大丈夫、大丈夫」と言ってくれた。事前に「こうしてくれ」とお願いしていたためか、私が強迫観念でぐるぐるしてると「はいはい行くよー!」とその場から引き剥がしてくれた。実行は難しかっただろうに、嬉しかった。大変肝のすわった男であり、私がパニックになってもどっしりと構えていた。「そんな考えになるなんて、おもしろいねえ」と言われ私もハッとして「ほんとだね〜」となったこともあった。実際、この言葉に結構救われた。
(ここでのおもしろいは茶化している訳でなく、彼なりの表現ですのでご了承ください…)

声に向き合わないこと


強迫になったことがある人ならお分かりかもしれないが、魔の自分からの問いかけがあるのだ。実際に声は聞こえないが、例えば運転中不安になると、「いま轢いたんじゃないか?轢いてたら犯罪者になっちゃうよ、轢いたか分からないなら戻るのが正常な判断だよな」みたいな。それに対して「そうかも…?戻るか…?」と従うことで「なんにもなかった!戻って確認して良かった!」になるのだ。
また、頭にもう1つ層が張ってあるような感じで、見たものが正しいかどうか、正常に判断ができない感覚になる。今見てるこれはリアルなの?と。
安心を求めて確認すればするほど、強迫行為はとまらず、抜け出せなくなる。運良く無視できた時でも、頭の中で何回も反芻したりして、結局確認につながっていることもあった。

しかし、服薬とサポートのおかげもあり、考えが徐々に変わり始めた。変わったというか、現実検討能力が戻ってきた感じだった。スーッと実感出来る感覚があった。最初は「結局なんにもないじゃん」「警察なんて来ないじゃん」からはじまり、その後は『どっちか分からんけど、なってたらそんときはそんとき』と流せるようになってきた。次第に「なんもしてないのに、何に怯えてたんだ?」と頭が働いてくる感じがあった。流せた時には周りに話して、褒めてもらっていたのも大きかった(大の大人だけど笑)。たま〜に確認しちゃった時も「まあ、こういう時もあるよね」で済ます。昔の自分なら「やってしまった、また"1"からだ!」と思っていたはずだ。
一時期は強迫を「モヤモヤくん」と名付け、モヤモヤくんが来たら、とりあえずお茶飲んでゆっくりしようよ、くらいの接し方をした。

ある日ふと、自分の考えを振り返ると「自分で幸せを壊したくない」「自分は弱いことを自覚しているから、せめて周りからダメなやつレッテルを貼られたくない」が強いように感じた。そうか、自分自身が自分を追い詰めていたんだ、と気づきフッと力が抜けたのを覚えている。実際、渦中にいるとこんな単純なことにも気が付かなかった。周りは私を抱きしめてくれるけど、私自身は私に「これくらいできなきゃ」「強くなりなさい」とずーっと厳しい目をしていたんだなと。自分だって色々頑張ってきたんだよねと、そこではじめて自分を抱きしめてあげたような気がする。

完璧を求めると深みにハマりそうだったので、考えが浮かんでも、「まあまあ」と気にしないでいられることを目標とした。ビビりながらも、そんときゃーそんとき、とグレー(曖昧)を許せることが肝だった。

結果として、今現在は、先生からの指示もあり、服薬せずに過ごせている。症状が出てから〜断薬までは約3年半程であった。強迫観念はほぼ出てこなくなり、中には考えすら浮かばなくなった(②〜⑤)ものもある。たまーに強迫が顔を出す時もあるが、気にしないで居られるようになった。数年前の渦中にいる自分が、今の運転も買い物も外出も楽しんでいる自分を見たら、きっと驚くだろうなと思う。
あの時に頑張ってくれて、ありがとう、自分!


追伸
今考えれば自分スゲ〜なのだが、この不安の中でも仕事にはしっかり行っていた。仕事中は集中するため、強迫を忘れている時もあり、私には合っていた。