見出し画像

【短編小説】絶望ごっこ

絶望ごっこ。
この遊びの話は誰にもするつもりがなかった。
今の今までは。どうやら今日は気が触れたらしい。

目は暗く沈み、命の灯も消えかかっている。
絶望ごっこを始める時間だ。

……………………………………………………………………………

私は陸の孤島、ポツンと一軒家に住んでいる、という設定から始まる。

その日、世界で戦争が起き、人類はあっけなく滅びてしまう。まったく阿呆ばかりで他愛もない世界だ。

藁一筋の奇跡で私の家だけがなぜか無事だった。名実ともに、私は人類唯一の生き残りとなったらしい。地球のどこを探しても、もう誰もいない。つまり子孫も残せない。「天涯孤独」という四字熟語が突然、生々しい重力をもって私にのし掛かってくる。

電気、ガス、水道、そして食料、あらゆるものが制限される生活が続いたが、それでも数年の間、私は生き延びることができた。

海や川の魚、森の木々や動物たち、生き延びたその他の生物はみな汚染され、その穢れはあと数十年、あるいは数百年の単位で浄化されることはないだろう。したがってこれは狩猟時代に戻れば済む、という話ではない。

世界は灰色となり、死の灰が降り止むことはけしてなかった。雨水はそのまま死に水となり、末期の水となってしまうだろう。

手作りの防護服をまとい、滅びたコンビニから焼け残った缶詰や溶けていないペットボトルの水などを拾い集め、なんとかここまで生きながらえてきたが、とうとうその日が訪れた。
食料が尽きたのだ。

今、目の前にあるのは非常用のカップヌードル。それが一つきり。及び、カセットコンロ(ガス残量わずか)。そして、アルカリイオンのペットボトルの水が500ml。

私はおよそこれ以上誰も厳かには振る舞えまい、と思えるほど丁寧な手つきで湯を沸かし、カップ麺に熱湯を注いだ。

永遠のように短く、走馬灯のように長い三分が経過する。おもむろに鳴り響くスマホのタイマーを止め、割り箸を合掌した両手の親指と人差し指の間に乗せながら、そっとうつ向く。

「いただきます」

限りなく祈りに近い囁きだった。心が震えているのが自分でもわかった。いつのまにか頬が濡れている。

「…最後に、抱いて欲しい」とうそぶく彼女のシルクの下着を脱がせるようにカップヌードルの蓋を真剣にはがす。確かに君は今、ヌードになった。
余りのくだらなさにかえって笑みがこぼれ、また温かいひと雫が顎を伝った。

えい! と割り箸を勢いよく突っ込み、かき混ぜ、大胆に啜り上げる。地球に取り残された唯一の人類が啜る、正真正銘最後のカップヌードル。
……うまい。
うまさが全身に染み渡ってゆく。
食感がどうの、スープがどうのと、四の五のほざく食レポなんかいらない。

ただ、ひたすらに、うまい。

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、一滴残らず平らげるーーと、ふいに「生きたい……」、という声が聞こえた気がした。辺りを見渡す。無論誰もいない。居るわけがない。私は人類唯一の生き残りなのだ。
では一体誰のーー「生きたい」

今度ははっきりと聞こえた。
声の出所もわかった。
私だ。
私の声だ。
胸の奥からうめくような振り絞った声。
私は「生きたい」、そう叫んでいた。
心の底から、そう思い、そう感じでいた。

生きるということは「感じる」ことだった。もっと感じたい。味でも、喜びでも、痛みでも、孤独でもなんでもいい。とにかくもっと、あらゆるものを感じていたかった。それはもう無理だと分かっている。世界は破壊され、人類は滅びたのだ。これ以上生き続けられる道筋がない。
黙れ。
分かっている。
分かっていても、心がどうしようもなく叫ぶのだ。

生きたい……生きたい……生きたい……生きたい……
生きよう、生きよう、生きよう、生きよう……
生きねば、生きねば、生きねば、生きねば!

生きねばっ!!

その瞬間、私は鏡を見た。
そこに映る男の姿をまじまじと見つめ、凝視した。
あれほど暗くすさみ、完全に生きる光を失っていた男の目に、一周回ってギラギラとした野生の輝きが宿っていた。

果たして、絶望ごっこは正しいエンディングを迎えられたのだろうか。いや、そうに違いないと私は信じている。

絶望ごっこ。
それは精神的に一度死ぬことだ。
真剣に死のゾーンと向き合うとき、脳内意識はそれが現実なのか、架空の話なのかを判断できない。
ある意味これは、迫真の臨死体験なのだ。

もしもあなたが生きることに疲れ果て、孤独に悩み、なんの希望も見出だせず、朽ち果てようとしているなら、一度絶望ごっこを試してみてはいかがだろうか。

青木ケ原の樹海で石のように身動ぎもせず、死んだつもりになって寝っ転がってくるのも悪くないアイディアだが、こっちの方が断然コストが低い。用意するものはカップヌードルが食べられる環境だけだ。

あなたの表層意識が「死にたい」と叫んでいるからと言って、胸の奥にある、本当の心がそう叫んでいるとは限らない。さあ、まずはカップヌードルを買いにコンビニに行こうじゃないか。

【完】

この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,364件

#私の作品紹介

95,473件

水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。