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カリグラバーチャウダー

前回、赤いマンハッタンチャウダーを作ったが、そうなると今度は白いクラムチャウダーも作りたくなってくる。ということで、余っている野菜も入れたクラムチャウダーを作りながら、明治維新の黒幕を妄想した記録。


材料の一部

浅蜊     15、16粒
カリフラワー 半分
玉葱     1/4
人参     1/3
ジャガイモ  小3個
生姜     1欠け
投入     500ml
バター    10グラム
塩      小匙1と少々
胡椒     少々
ピザ用チーズ 一掴み
ローレル   1枚

1838年、スコットランドのフレイザーバラに誕生したトーマス・ブレイク・グラバー、商人としての立身を志して19歳で当時、東アジア最大の商社、ジャデイン・マセソン商会に入社。上海にやってきたのは1859年。そこから長崎へやって来る。日本の年号では安政六年。激動の幕末。
攘夷、開国、尊皇、佐幕と様々なイデオロギーで沸き立っていた時代。
その二年後、21歳のグラバーは自身の商会を設立。
長崎を見下ろす丘の上に要塞と呼ぶべき邸宅。
実際に大砲を備えて、よく銃声も聞こえていた。
長崎奉行所の役人に事情を聞かれても、
「鳥を撃っている」と返答。
実際は攘夷と叫んで刀を振り回す武士への牽制でしょう。


砂抜きした浅蜊をバターで炒める。1,2個、口が開くまで。

20代の若造がどうしてここまで大きな顔を出来たのか。デカいバックがあったと考えるべき。
よく言われるのが、フリーメイソンがグラバーの背後にいたということ。
現在では長崎市の観光名所となっているグラバー園にはフリーメイソンの象徴であるコンパスを刻んだ石柱。これこそグラバーがメイソンだった証拠。と思うのは早計。
これは元々、別の所にあったフリーメイソンのロッジ(集会所)の石柱。昭和四十一年(1966)に移設。
だからといってメイソンではなかったとも言えず。グラバー自身は明言しなかったのでフリーメイソンの一員だったかは?ですが、私は間違いなくグラバーはメイソンに属していたと見る。
石柱が此処に移されたのも、相応しい場所だったからでしょう。


バターが回り、少し口が開いてきた。

グラバーの出身地は古くからフリーメイソンの息がかかっていた町。更に11歳の時にアバディーンに移っていますが、ここもメイソンのロッジが多い。
間違いなくバックアップを受けていたと見るべき。
長崎で開業したグラバー商会、主要な商品は武器。つまり死の商人。
開国したことにより幕藩体制が揺らいでいる日本に商機を見込む。
内戦が起こってくれれば、武器がわんさか売れて儲かる。
また内戦の結果、幕府という政体が揺らげば、規制緩和で更に商売拡大。
そのためにグラバー、或いは背後にいたフリーメイソンは下級武士達に目を付ける。現体制に不満を抱いているであろう彼等に西洋文明の力や豊かさ、フリーメイソンのスローガンである『自由、平等、博愛』という新たな思想を吹き込み、革命勢力を醸成していく。


小房に分けたカリフラワー、摺り下ろした生姜、細かく刻んだ野菜を投入。

その一環として長州から5人、薩摩から17人の若者達のイギリス留学を斡旋。
五代友厚や高杉晋作等、後世、志士と呼ばれる者達も多くグラバーと接触。
グラバーが究極に目指していたのは規制だらけの武家社会を変えて、自由貿易が出来るように日本を変革させること。と書くと司馬遼太郎の『竜馬がゆく』のように思われてきますが、それも道理で坂本龍馬の方がグラバーのやることを見て学んでいたから。
グラバーも自身が直接取引するよりも、日本人の代理人を通した方が幕藩体制下では商売し易いと判断したことから、ダミー会社を設立。それが亀山社中であり、それを纏めていたのが龍馬。


チーズと豆乳を投入。煮込んでいく。

亀山社中が長州から米を買い、慢性的に米不足な薩摩に転売。その利益で武器を買い、幕府と敵対しているので武器が必要な長州に売るという三角貿易で薩摩、長州、社中、裏でコミッションを取るグラバーも利益。
しかし、グラバーと龍馬の思想には決定的な違い。
グラバーは内戦が起こり、出来るだけ長引いてくれればいいという考え。しかし龍馬が進めようとしていたのは大政奉還。つまり将軍に政権を朝廷に返上してもらい、平和的に政体を変える。
グラバーにしてみれば、商売のノウハウも教えて社中も任せたのに重大な裏切り。
そのためにグラバーと手切れになった龍馬は出身の土佐藩に戻り、社中を海援隊に改組。
明治になってグラバーは聞き書きを遺していますが、暗殺という悲劇的な最後を遂げた龍馬を悪し様に述べています。


ローレルも入れて煮込んでいく。

大政奉還が成ったものの、龍馬亡き後、グラバーや死の商人達が望んでいた戊辰戦争が勃発。
ところが思ったようにはいかず。この内戦は一年程で終結。
平和になってしまえば武器商人は用済み。
しかし、グラバーはしたたか。
商売を通じて知り得た維新の秘密で恐らくは政府を脅した。つまり天皇のすり替えとか?
表だって外国人のグラバーを重用する訳にもいかなかったのか、その面倒を引き受けた、或いはさせられたのは岩崎弥太郎。
海援隊の金庫番で、維新後は三菱を創業した実業家。
その援助で高島炭鉱の経営やキリンビールの創業にグラバーは関わる。


カリグラバーチャウダー

浅蜊から出た出汁をまろやかな豆乳が包む。ジャガイモを敢えて水に晒していないので澱粉のトロミがいい感じ。
カリフラワーの食感もよい。食物繊維、カリウム、鉄分、ビタミンCとカリフラワーは栄養の宝庫。
ジャガイモと人参も細かく刻んだので火の通りもよく、柔らかい。

日本に骨を埋めたグラバー、日本人との間に息子。
その息子は倉場富三郎と名乗り、日本人として生きていましたが、大東亜戦争が始まると、イギリス人の血を引く富三郎は何かと監視される。
当時は鬼畜米英がスローガンなので無理もない。
特に住まいとしていたグラバー邸は長崎港を見下ろす位置。
造船所で戦艦武蔵が建造され始めると、情報を漏洩させるのではないかとあらぬスパイ嫌疑をかけられ、父が築いた要塞からの退去を余儀なくされる。
グラバーに脅された維新政府の嫌がらせ?
やがて終戦。富三郎は故郷の長崎が原爆で荒廃したのを嘆いて、首を括りました。富三郎には子がなかったので、グラバーの血脈はこれで絶えた。

幕末維新という時代の転換期に黒幕として存在した商人、その息子を妄想しながらカリグラバーチャウダーをご馳走様でした。

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