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クス楠木正成グラタン

半端に残っているクスクスや野菜を一ひねりして料理しながら、終戦までは日本人なら知っていて当たり前だった人物の生涯や出自、更に自分自身との奇妙な繋がりを妄想した記録。


材料

クスクス   70グラム
新じゃが   1個
パプリカ   半分
新玉葱    半分
大蒜     1欠け
ピザ用チーズ 適量
黒オリーブ  5個
クミン粉   大匙1
オリーブ油  大匙1
塩      小匙1
ガラムマサラ 大匙1

楠木正成については以前にも書いていますが、その時は主に後世の評価について。↓

今回は正成自身の生涯を主に妄想。
そもそも楠木氏の出自がよくわかっていません。
河内の土豪だったという説、駿河出身だったが河内に移った等の説あり。
正成自身は橘氏の後裔を称しています。
正成が後醍醐天皇に仕えることになった経緯も『太平記』によるとスピ系というかミステリアス感。


クスクスに同量のお湯を注いでふやかす。

後醍醐天皇、夢で自分の玉座が木の南に設えているのを見た。
この夢が示しているものを占わせた所、木の南は楠を示している。楠木という苗字の者を頼れという意味と出た。
そこで調べさせたら、楠木正成という武士の存在。
早速、呼び寄せた。
天皇に召された正成もそれに応じて、後醍醐天皇のために働く。


大蒜を摺り下ろす。

正成の親族を手繰ると思わぬ繋がりが出てくる。
正成の妹又は姉は伊賀の服部氏に嫁ぎ、生まれた子が観阿弥。能の大成者、世阿弥の父親です。
能楽との繋がりも意外ですが、それ以上に大事なのは伊賀の服部という苗字。つまり忍者。
考えてみると正成の戦略とか戦術は正規の武士らしからぬものが多い。
正成配下には忍者がいたのではないか。或いは正成自身も忍びの兵法を身に付けていた可能性。
後に徳川家康に仕えた忍びの頭領、服部半蔵の諱は正成(まさなり)読みが違うが同じ名ということも何となく繋がりを感じさせる。


パプリカを微塵切り。

反鎌倉幕府の旗幟を鮮明にした正成は赤坂城に籠って幕府軍を引き付けて戦う。戦国時代には珍しくなかった籠城戦ですが、城に籠って敵を引き付けて戦う籠城戦を日本で初めて行ったのは正成。
戦術も正統派の武士からすれば邪道そのもの。
城壁の側にずらりと案山子を並べて兵の数を多く見せる。
攻め寄せて来た幕府軍に熱湯を浴びせるとか、人糞をかけたり。


玉葱も微塵切り。

しかし援軍が来ない籠城戦は勝ち目なし。正成もそれがわかっていたようで、落城前にちょっとした仕掛けを施す。
敵味方構わず、身元不明の死体を集めて城内に掘った穴へ入れて火を放つ。
城から火が上がったのを見て、幕府軍は城へ突入。その前に正成達はそっと城を抜けていた。
無人の城で大量の焼け焦げた死体。これを見た幕府軍は楠木一族は皆、自害したと信じて赤坂城を占拠。


新じゃがを圧力鍋で煮て柔らかくする。

湯浅宗勝という武士がその後、赤坂城の守備。
赤坂城に兵糧を運び込む者達を襲った正成達はその者達に化けて、米俵に武器を隠してまんまと赤坂城に入り込む。
城に入ると、正体を現して隠し持った武器で湯浅達を捕らえて、赤坂城奪還。
更に驚くのは敵将、湯浅を味方に引き入れた。
戦に勝ったのだから敵将の首を取るのが常道。しかし今は幕府打倒のために少しでも味方が欲しい所。
湯浅も正成に味方したのは幕府の斜陽化を悟ったのか、正成に魅力があったのか。


クスクスに玉葱、パプリカ、輪切りにした黒オリーブ、クミン粉、塩、オリーブ油を混ぜる。

正成の奮戦が鳴り響き、全国で反幕府の狼煙が次々。
足利高氏により都における幕府の出先機関である六波羅探題が、新田義貞により鎌倉が陥落。こうして鎌倉幕府は滅び、後醍醐天皇による建武中興。
しかし公家に厚く、武家に薄い恩賞に不満を抱いた武士達が足利尊氏の元に集い、新たな武家政権を作ろうという機運。
それでも正成はブレずに後醍醐天皇方を貫く。


新じゃがを適当に切って混ぜ込む。

しかし、ここでも正統派な武士らしからぬ提案。
新田義貞を討って尊氏と和睦すべし。
武士から人気がある尊氏と対立するよりも味方に取り込むべき。反対に人気がない義貞を斬るべしという主張。
背いた尊氏と結んで、天皇方についている義貞を討てというのは受け入れられず。
面子より世の平安を重視した提案と言うべきか。


グラタン皿に盛ってチーズを散らす。

九州から攻め上って来る尊氏軍を迎え撃つ秘策を正成は持っていた。
一旦、都を捨てて尊氏軍を引き入れて兵糧攻めにすべし。
しかし都を捨てるなどとんでもないことと、後醍醐天皇というよりも周辺の公家に却下され、湊川にて尊氏軍を迎え撃つ。


オーブンで焼く。

結果は御存知の通り、敗れた正成は弟の正季と刺し違えて自害。
しかしと私は妄想する。
忍びの戦術や戦略を身に付けていた正成。もしかしたら死んだフリ?
赤坂城で死んだフリをした前歴があるので、もしかしたら?
と思ったのですが、楠木正成生存説は見付けられず。
英雄不死伝説はよくあることで源義経、後藤又兵衛、豊臣秀頼、西郷隆盛等々、非業の最後を遂げたとされる人物には密かに生き延びていたという話が付き物ですが正成には見付からず。


クス楠木正成グラタン

程よく火を通したクスクスも水分が飛んで、いい感じ。
溶けたチーズとよく絡む。
赤、黒、白、黄色とカラフルで目も楽しめる。
塩とクミン粉とシンプルな味わいですが、野菜の味が引き立つ。
玉葱の甘味、ジャガイモの滋味、黒オリーブの微かな酸味。

楠木正成は天皇のために忠義を尽くして湊川で死んだ。ということにしないと都合が悪いので、生存伝説は意図的に消されたということはないかと妄想。消したとすれば南朝を正統とした水戸学の信奉者や明治政府の官憲?
あくまでも私の妄想なので、実際に正成は忠義と信念を貫いて湊川で死んだと思うべきでしょうが。

昔、楠木正成をご祭神とする湊川神社を訪れた時、神社に近づくにつれ、それまで晴れていたのに風雨が激しくなり、特に神社の方から私を押し返そうとする向かい風。
何とか神社に辿り着き、参拝後、お手洗いで小用。その時に奇声を上げて入ってきた男性。
文字通り縮みあがりました。
どうやら知的障害がある方だったらしく、外で付き添いのご家族がいらっしゃいました。
念のため書いておきますが、この文に差別的な意図はまったくありません。私自身の臆病を笑うのが趣旨。
来るなと言わんばかりの向かい風ばかりか、人に驚かされること。
私は楠公さんに嫌われている?
どうやら私の先祖は北朝方だったらしいと聞いているので、それが原因か。

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