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金子み鈴廣きんぴら

小田原に老舗蒲鉾屋の鈴廣あり。
旅行業界に身を置いていた頃、よくお客様を鈴廣へとご案内。
ホスピタリティある会社で、その精神は我々、添乗員やガイド、バスの運転手にも及び、非常によくして頂きました。
よく行くスーパーで鈴廣の商品発見。


シーセージ、平たく言えば魚肉ソーセージ。

おかしな添加物もなし。商品も素晴らしい。蒲鉾と言えば昔、住んでいた西日本では山口県の仙崎が有名。ということで仙崎出身の詩人を妄想しながら料理した記録。


材料。

シーセージ 5本
牛蒡    1本
唐辛子   1本
ケチャップ 大匙2
大蒜    1欠け
醤油    大匙1
味醂    大匙1
蜂蜜    大匙半分
酒     小匙1

明治三十六年(1903)山口県仙崎に生まれた金子テルが後の金子みすゞ(筆名)
実は生家の環境が少し複雑。頭でよく整理しながら或いは家系図でも書きながらどうぞ。
父親は書店を経営。テルの下には弟。しかし弟は母の妹つまりテルの叔母の家に養子に出される。
父が死亡、叔母も亡くなっていたことから、母はテルを連れて義弟と再婚して下関に移り住む。
これによりテルは実の弟と義理の姉弟に。
父が亡くなり、行き場なくなった母子が世話になるということから、義父の経営する書店の跡取りである弟を「坊ちゃん」と呼ぶことに。


皮を削ぎ、適当な長さに切った牛蒡を酢水に晒す。5分位。

子供の頃から本に囲まれた環境だったことから読書好き。それが昂じて自分でも詩作。
大正十二年(1923)金子みすゞという筆名で詩の投稿。
四つの雑誌にみすゞが投稿した五編の詩が掲載。脚光を浴びる。
以降、次々に詩を発表。西条八十や野口雨情らが所属する『童謡詩人会』へ入会を認められる。
大正十五年(1926)に結婚するまでの三年が詩人として金子みすゞの一番よい時だった。


叩いてヒビを入れた牛蒡を圧力鍋で煮て柔らかくする。

結婚相手は義父が経営する書店の番頭格とでも言うべき人物。
しかし、これがみすゞの人生の転換点。
店で重用され、義理の娘と結婚ということから、夫はそれなりに仕事は出来る人物だったのかもしれません。しかし悪い癖。それが遊郭遊び。
しかも跡取りであるみすゞの弟とも折り合い悪く、ついに店を追われる。
みすゞも夫に従う。
娘も生まれていたので、そうせざるを得なかった?


シーセージと大蒜を食べやすい大きさに切る。

夫から淋病を移され、理不尽にも夫から詩作やその仲間との交流も禁じられた。
思うに最初から結婚するには価値観が合わない者同士だったのではないか。
商売や仕事での成功を夢見て、女遊びという言わば実の世界に生きている夫から見れば、詩という空想の世界に生きているみすゞは歯がゆく見えたのかもしれない。
詩人、金子みすゞという虚名が高くなっているのも氣に入らない。
地を這う者と空を漂う者の違いのように思えてしまう。どちらがいいとか悪いではなく生き方の違い。


唐辛子を細切り。

昭和五年(1930)二月に離婚。
娘を自分が育てたいという申し出を夫も了解したが、それを翻して親権を主張。この時代、親権は父親にしかなかった。
下関市亀山八幡宮側にあった写真館で肖像写真を撮影した後、夫が娘を迎えに来ると告げていた三月十日に服毒自殺。
遺書には娘をみすゞの母、ミチに養育させて欲しいと記されていた。
享年二十八歳、満年齢だと26歳の短い生涯。


唐辛子、シーセージ、大蒜を油で炒める。

金子みすゞが遺した詩は約500。
優しい目線で綴られた言葉だが、その奥には何処か残酷というか厳しい現実が見え隠れする。
「海の魚は何もしないのにこうして私に食べられる」とか
「豊漁の裏では、海ではたくさんの魚の弔い」とか
彼女の詩を正確に全文引用したい所なのですが、少し憚られる事情。
実は著作権関係が少し複雑。


茹で上がった牛蒡を投入。

著作権の保護期間は70年なので著作権切れですが、みすゞの詩や写真は著作権保護団体が管理。
引用する場合には書面で許可を申請して下さいとなっています。
実際にその規約に法的拘束力があるのか疑問ですが、余計なトラブルになったら面倒。まあ私のnoteなど大した影響力もないし、これでお金儲けする氣もないので問題ないとは思いますが。
それに1980年代まで忘れられた詩人であった金子みすゞを再発掘して世に広めた方々の尽力や思いにも敬意を表したい。
よって此処に金子みすゞの肖像写真や詩をそのまま引用することは控えます。
ネットで探せば出てくるので、そちらでどうぞ。
それよりも、ここからは私見や妄想。


調味料を投入。混ぜ合わせていく。

ある童謡詩人がみすゞの詩に感動し、その足跡を探して、実弟と巡り合い、遺稿や写真を委ねられて全集を刊行。
これがきっかけで再評価され、CMで詩が使われたり、ドラマ化や映画化もされたという経緯がある。
殆どの詩は未発表であり、全集で日の目を見たということから二次著作権が発生しているという主張も理解出来なくはない。
ただ、こうしたことが自由な研究の妨げになっている面もあるのではないか?


金子み鈴廣きんぴら

下茹でした牛蒡が柔らかい。ケチャップの甘味と唐辛子の辛みがうまく交わる。
添加物フリーなシーセージは普通の魚肉ソーセージよりも本来の魚風味が楽しめる。大蒜のアリシンで食欲倍増、シーセージからタンパク質、牛蒡から食物繊維と栄養も十分。
低脂肪、食物繊維、唐辛子のカプサイシンで脂肪燃焼と正にヘルシー食。

みすゞを再発掘した童謡詩人の説や解釈がすべてのように流布されている氣がする。私のこの駄文も多分にその方の説をベースにしてはいますが、色んな人が自身の考えや解釈をすることで研究は進むと思います。「みんな違って、みんないい」それが制限されているように感じることがある。

例えば一般的に夫は酷い人でしかなかったとイメージされるが、それなりに娘のことを考えていたかもしれない。何も氣にしていない人ならば、預けたままで迎えには来なかったでしょう。
自殺についても、命をかけての抗議だったという解釈が一般的ですが、それだけではないのではないかと思う。
病気を移され、子まで奪われようとしていることへの絶望も原因の一つではないか。
なんてことを考えていると、金子みすゞについて書いておられるお方をnote
上にて発見。↓

私の知識や妄想などは浅いので長年、研究されておられる人から見れば噴飯物だろうとは思います。
私も深い考察や研究に感じ入った次第。よって此処にご紹介。

昔、世話になった鈴廣の商品から、更に昔に読み漁った金子みすゞにまで妄想を広げながら、金子み鈴廣きんぴらをご馳走様でした。

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