子供がいじめをする原因は大人〜発達障害、機能不全家族、DV、モラルハラスメント〜

いじめに関する記事を修正し、二つに分けて公開しています。

前回は子供がいじめをする原因は大人にあるという内容の記事でした。
今回もその内容に沿って、さらに、発達障害、DV、モラルハラスメント、機能不全家族などの現代社会にとって身近な問題に触れて、お伝えしていこうと思います。

かなり掘り下げた内容になるので、できれば読まれていない方は前回の記事もご覧くださいね。





前回の記事の最後に、いじめというものは、加害者の精神状態の悪化によって起こるとお伝えしました。


精神状態の悪化が何故起きるのかという部分を、少し視野を広げて別の方向から見ていこうと思います。


加害児童の精神状態の悪化の原因としは、家庭環境や親子関係の悪化、また最近増えている発達障害も関係してくる場合があります。


発達障害について先にお伝えいたします。

近年では発達障害の診断を受けている子供がとても多く、また診断を受けていないグレーゾンの子や、気づかれていない子が多く存在しています。
そもそも人の個性の部分との境界線の線引きが難しい部分も多いため、見逃され対応されていない場合が多いのです。


発達障害が何故いじめ問題に関係して来るかといいますと、これはつまり理解力の欠如や、認知の歪みが原因である事が多いのです。
感受性の強さと共感性の弱さも原因の一つになります。

これは発達障害の人が必ずいじめをするということでは断じてありません。

むしろ発達障害で顕著になるこういった要素は、学習し鍛えなければ誰もが欠如してしまうものなのです。


ただ発達障害の場合はさきにもお伝えしましたが、気付かれないことが多く、適切なケアが行われずに、被害や加害に関係してしまう場合があるのです。

こういった可能性の範囲でのお話となりますから、注意深く読むようにしてください。


発達障害を何故ここで出したかといいますと、例えば発達障害の症状の中に、易刺激性、易怒性という性質があるからです。

一般的に人が気にならないようなほんの少しの外的な刺激や、精神的な変化、体調の変化によって我慢が限界に達してしまい、怒りとして表現してしまったり、癇癪を起こしたり、苦しんでしまう性質のことをいいます。


感覚過敏があるので、認識する処理能力が追いつかず、常に外部から強い刺激を受け続けストレスを感じている状態なのです。


本人は生まれた時からその状態ですから、ストレスや怒りの原因を自覚できないことも多く、目の前の人物や状況に原因があると思い込んで、怒ったりしてしまうことがあるのです。

キレやすい子と表現されることもあります。


この性質を持った子供が、一切ケアを受けずに、そして親からそれを理解されず煙たがられて育つと、強い攻撃性を持つ場合があるのです。

(人間誰しも、長い間酷い扱いを受けると被害者意識から抜けられなかったり、攻撃性が出てしまうということです)


これもまた、そういった人が必ずいじめをするということではありません。

この場合は当人が苦しんでいることが殆どなのです。


正直なところ加害者にも被害者にもなる可能性が高いでしょう。


「アイツいつも怒るからウザイよな」「神経質だよな」「意味わかんないね」といじめられる可能性も高いという事です。



この発達障害からいじめに発展する成り立ちとしては、家庭環境や親子関係の悪化も要因として大きいのです。




親子関係や、家庭環境がしっかりしている場合は、子供とのコミュニケーションが密になります。異変に気づくこともできますし、何よりあらゆる対応が早くでき、子供が家では安心して過ごすことができるのです。

家庭が心の拠り所になり、学生時代が過ぎれば、もしくは学校を変えればどうにか回復できる可能性が高まります。



ですが親子の関係が悪化もしくは希薄になった場合には、心の拠り所を失い、当然子の精神状態がかなり深刻な状態になります。
そして加害者にも被害者にもなり得る状況が発生するということなのです。


そして卵が先か鶏が先かのように、その親子関係、家庭環境の悪化に、発達障害などの原因が潜んでいる場合があるということです。


これは親子双方であったり、どちらかがそうであったり。



この易怒性や易刺激性という特徴を持つ子供(大人もです)というのは正直とても扱いが難しいのです。

他者には理解できない部分に強い反応をし、こだわりも強く、一度癇癪を起こすと手がつけられなくなることが多いからです。

これを親がきちんと知っていないと、親とその子供の関係はとても難しいものになります。


理解をしていても、子育ての場面では親には辛いことが多いかもしれません。

勿論子供側は理解されないという閉塞感を感じます。

常に感覚や価値観を擦り合わせていかないと、親子が互いに相いれなくなってしまうのです。
それをしていたって、厳しい場面は多くあるでしょう。
それは周囲の理解がまだ進んでいないからということに繋がっていきます。




私も、些細なことに強く反応してしまう娘を育てています。彼女の心はとても繊細で、そして人よりも日常生活において苦痛に感じることが多い(光や音)のです。

彼女の場合は心の状態によって表面化される割合が大きく変化します。

調子がなかなかままならない時は、ストレスから癇癪を起こし、最終的にはとても苦しそうにしています。

癇癪を起こしたのは自分ですが、その事に自分の心も傷ついてしまうのです。

私がその心の傷に気付かず、躾と称して叱り続けたらどうなるでしょうか。



親として対応するには、本人の心を受け止めること、そして道理や現実的に不可能なことへの理解を促すこと(理解にはかなりの時間がかかることもあります)、心を落ち着けること、危険から身を守ることなどなど、いくつかの矛盾した対応を同時にとらないといけないので、正直とても苦しい局面ではあるのです。

愛があるから出来ることですが、愛があれば必ずできるということでもありません。
親も人間ですから限界があるのです。


そう言った部分に関しても、育てるには時代に沿った、その子にとって正しい知識や親の心の余裕と経験が必要だと感じます。


子供に「人間には限界があるから、あなたの態度に激怒する人もいるのだよ」と教えながら、心を受け止めるというのは本当に難しく、精神力が必要になってきます。


ですが基本的には、親が子供の性格やそういった性質を理解をしていれば、多くの対応が取れます。

トレーニングや話す内容、本人への自覚を促すことなど、子供のときからサポートが可能なのです。

処理できなかったことを怒りや加虐性として表現しないようなトレーニングをしていけるのです。



問題は、そういった性質に対して知識や情報が無い場合です。


親が「自分の子供はどーしようも無い子」と決め付けてしまい、厳しくしすぎたり、虐待になっていく、もしくはネグレクトになっていくなどの、危険な可能性があるのです。

これが親子関係の悪化です。


こういった環境で育つと、人間はどうしても他者への加虐性や被害者意識が強くなってしまうのです。

成人後に人格障害になってしまう人も居ます。

現在子供への虐待が増えているのは、こういった知識が広がっていない背景もあるのではないかなと考えています。



本人は理由もわからずにむしゃくしゃして、傷つきやすいのに、周囲からはその様子のせいできつく当たられ、自分の中には常に我慢と悲しみと怒りが渦を巻いてしまっている。

自暴自棄でままならない、という状態のまま成長していくことになるのです。


誰かに酷いことをしたいわけではなくとも、理由もわからずに人生が怒りと悲しみで最悪な状態になっている人は、この社会には多く存在しているのです。

対応はされていなくても、自分なりに頑張って攻撃性を抑えて、普通に社会に適応していることも珍しくはありません。

これは本当に苦しみを持って我慢している状況になるのです。

(少しでも救われる何かを見つけていかないといけませんよね)



ですがそういった隠された攻撃性の高い人間が、自分の攻撃性の高さに対して自覚が無いままパートナーを持ったり、親になった場合。


パートナーに対してDV(モラルハラスメント)をしたり、子供に虐待をしてしまう可能性があるのです。

もっと踏み込むと、依存心が強く、相手を怒らせる事が癖づいていて、被害者意識も強く、DVをされる側になる可能性も高いのです。




例えば両者とも親になった場合。

妊娠出産育児は、母親にとって命を揺るがすほどの負担ですし、父親にとっても適応に時間がかかる大変な事です。

互いに余裕が無くなり、間違いなく本質が露呈されていくものです。


ですがここに気付かれていない発達障害や過度な依存心、加虐性が関係してくると、相手の状態や状況を理解する力が欠如していたり、不必要なこだわりを相手に押し付けてしまったり、客観性を持てなかったり、子育てそのものにストレスを強く感じて投げ出してしまったり。

連鎖的に家庭を存続するのが難しい問題が次々と浮上して来るのです。
これが家庭環境の悪化につながります。




そして生まれた子供に発達障害が遺伝している場合も多いです。


その子供がキレたり生きづらそうにしているのに対して「何でそんなこともできないのか」と叱った瞬間、自分が親に言われた事を思い出すかもしれません。


最近はこういった、親が子供の診断を受けてから自分が発達障害だったと気付くパターンがとても多いそうです。

そして自分の生きづらさや、苦しみの原因に気付くということがとても多いのだそうです。


ですが気付いた本人がDV(モラルハラスメント)加害者の場合、例えば発達障害やそれによる影響で相手を傷つけていたとしても、障害という言葉に嫌悪感を抱いてしまっている場合も多くあります。


この場合は拒絶が起こり、適切な対応から遠ざかっていく一方で、自覚も注意も生まれないまま良くない連鎖を生むということに繋がっていくのです。


こうなってしまうと、自分が間違っている事には気付けないですし、気付こうとも出来ませんね。

DVや虐待というのは、性格の範疇を超えた、脳のエラーや経験、思考の偏りによって起こります。

モラルハラスメントも同じです。


(これを性格の範疇として片付けている精神科医やカウンセラーや相談員がいたら、その人の元へ通うのは絶対やめましょう。あまり細かい部分に踏み込んで話をしてくれない可能性が高いです。)


それを見て育った子供は、どうなるでしょうか。

いじめの被害者、もしくは加害者になる確率がぐんと高くなるのです。


それは、いじめの成り立ちを見て無意識のうちに学習し、知っているからなのです。
ここで、このいじめの記事の1本目のテーマにもどるのです。


【子供がいじめをするのは、大人がするのを見て知っているから】


精神的に優位に立つこと

精神的に支配されること


それを身をもって知っているから、起こるのです。

そしてそれを知っているということはつまり、心に大きな傷を抱えながら、対応されていないということ。


この現実を経験しながら「絶対に自分はイジメをする人とは違う人間になる」と、決意できるほど、強い子供ばかりではないということです。


イジメをしない、攻撃性を出さない、被害者意識を強く持たないと決意できるのは当たり前ではないのです。

自分はできていると思っても、できていないことだってあるほどです。



更にはDV(モラルハラスメントもDVです)加害者が罪悪感を持っていない場合、その子供も同じように他者へ責任転嫁したり、罪悪感を感じることを回避しようとする可能性を持つでしょう。



全て可能性として表現しているのは、必ずしもそうではないからです。

ですが、それをここであえて書き記している理由は、子供時代に当たり前に起こっていた事というのは、その子供の生きる人生にとって大きな影響を持つからです。



DVを見て育った子供の人生には、DVという現実が起こり得るものということ。


いじめや嫌がらせを見て育った子供の人生には、いじめという現実が起こり得るものだということです。


自分がするかしないかは関係ありません。
現実に起こることという価値観の中で育つので、犯罪行為に身近であるということなのです。


知らないで育つよりもずっとリアルな現実です。

リアルに知っていることは、想像のつかないことよりずっと簡単に実現できるのです。
その傷は計り知れないのです。


お父さんがお母さんを泣かせる。

お母さんがいつも自分に意地悪。


こういったことに対して「たったそれだけのこと」という認識を私たちは変えていかなくてはいけないのです。


この先の社会や子供たちのためにも、大人はいじめをしてはいけないですし、されてもいけないのです。


たとえそれが上司でも、パートナーでもいけないのです。


社会は、いじめをしている人間に「してはいけないこと」という認識を持たせ、そして精神がそこまで壊れているという自覚を持たせ、原因となる不安や苦しみの緩和を、なるべくできるようにしなくてはいけないのです。


そして人を傷つける人は、自分が傷ついているということに気付かなくてはいけないのです。
自分のことを傷つける人も同じです。


自分が誰かを傷つけたいとき、それは自分のSOSだということに気付かなくてはいけません。


自分が誰かに意図的に傷つけられているとき、断じてそれ以上受け入れてはいけないのです。何が何でも。


人が人を虐げる現実自体を撲滅させなくては、子供たちの未来に安全はやってきません。




今回のこの事件を知った私たちがしなければならないことは。

犯人探しや親への誹謗中傷ではありません。

法律の整備と、教育の見直しと、福祉の徹底です。

少年法についてもですし、性交渉の同意ができる年齢、性暴力の厳罰化など、法律は変えないといけないところばかりでしょう。

性教育は命に対する責任の話です、もっと大事なことを男女共に教えるべきでしょう。

身体と心の問題、他者への認識と自分に対する価値観、犯罪の恐ろしさなど、学校と家や地域、そして大人への教育も大事なことです。


そして発達障害への対応の知識は拡がらなくてはいけません。
発達障害は境界線の曖昧なものですから、誰にでも当てはまる部分があるのです。著しく顕著な人が診断を受けているのが現状です。

つまり誰のためにも、この先の未来は、多様性に富んだ対応と教育が認知されるべきなのです。


そしていじめにあった子どもへの福祉は私が知る限りは少ないと思います。

親の対応も日本では消極的な印象です。

ホームスクーリングはもっと当たり前にあっていいでしょうし、当事者子供への徹底したカウンセリングや、加害者被害者両方の希望者への引越しの補助や自立支援など、私はそういったことへ国がお金を使って欲しいと思うのです。


そして直接の決定権の無い私たちは、声を上げなくてはいけないのだと思います。



旭川の事件の記事を読んだ時に、どうにかして、自分の意見を言いたいと思いました。

こういった事件は後世に残してはいけません。


自分に出来ることはこれを書くことだと思い、書きました。


稚拙で無知ではありますが、それでも私が今できることです。

大人になったら、いじめの構図が理解できるのですから、消していかないといけないのです。


どうか、いじめや犯罪が起こる原因がこの世界から消えていきますように。

それを強く願って。

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