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校長先生との面談、その後のアンサー

今年の4月で小学4年生になる長男は小学校に週1日登校している。
小学2年生の夏休みの終わりに「俺明日から学校行かへんわ」と宣言してから、私の思いと息子の思いを天秤にかけて模索した末、週1日は行ってもらうようになった(それも時々忘れるけど)。

最初、学校側は“けしからん”的なニュアンスだったけど、私が息子の気持ちを尊重したいこと、息子が問題を抱えてるわけじゃなく、ただ「毎日行きたくない」と思ってることを考慮して今ではかなり我が家に寄り添ってくれるようになった。
だから登校した日でも、息子の意思で出たい授業(主に体育)には出て、出たくない授業(国語や算数)は保健室や図書館で過ごしてるらしい。

学期の最初と最後には、学校側(校長先生・教頭先生・担任の先生・時々保健室の先生)と私との四者面談みたいなことが行われてて、校長先生や教頭先生と思いを交わせていい機会をいただいてるなぁととてもありがたく感じていたのだけれど、今学期の最後の話し合いで、この面談の本来の目的は、私の教育的ネグレクトをチェックするために行われていたのだと知りびっくりした。

私はてっきり、息子の家での様子や私の考えを述べる場を与えていただいているのだと思っていたので、(納得するところはあるものの)数日経った今でも思い返してはアラ、そうだったの〜!とインコみたいに口をついて出そうになる。

息子は宿題もしないし、プリントもしてない(最初の方はしてたけど、今は全くしなくなった)。
息子が年齢に応じた集団生活や学習をしてないことに、不安感なんて全くない、と言ったら嘘になるけど、いくつになっても人間は学ぶものだし、この人が必要なタイミングで知識と技術を身につけたらええわと個人的には割と楽観的に考えている。

だから漢字も書けないしカタカナも怪しい(読めるけど)。

去年秋から月1で通い始めたシュタイナークラスの先生が、「彼は最初のクラスで『学校に行ってないから漢字がわからない』と教えてくれました。漢字は学校に行かなくても学べるものです。本来漢字というのは何かを残そう・伝えようとして創り出したものだし、面白いもの・美しいものなので、楽しんで付き合えば良いと僕は伝えました」とおっしゃっていて、とはいえ残っていた心のしこりがやさしく溶けていくようだった。

それで今日。
自治会対抗グランドゴルフ大会が開かれていたのだけど、うちの自治会は世帯が少なく参加者が1名足りなかったため、人数合わせに息子が行くことになっていた。
朝8時半にばあばのおうち集合。
一般的な家庭に比べて朝が遅く、週末は特に遅起きな私と夫は、早く起きて間に合わせてあげなくちゃーと就寝したはずがぐっすり眠り込み、起きたら置き手紙だけが残されていた。

そう言えば、私と娘たちを起こさないよう、ドアを静か〜に開けて忍び足で寝室に置いてる着替え棚をゴソゴソしてたな、と思い出してえっらー!!!!と思った。

みんなが寝静まる家で物音を立てないよう気を遣いながら、ひとりで起きてひとりで準備してひとりで出て行ったんやな〜と思うと心の底からえらいなーと尊敬したし、こうして自分の知ってる文字で必要な情報を(あいさつまで!)伝えてくれて、我が家的には十分だな!と思った。

だから「教育的ネグレクトのチェック」と言われたのはいささかびっくりしたし、多少なりとも傷ついたのだけど、大丈夫じゃないでしょうか?
というのがひとつ。

もうひとつは、前回noteに「次世代の子どもたちが心や体に暴力(広い意味で)を受けた時に、口をつぐみませんように」みたいなことを書いたのだけど

このことを教育の場で広く啓蒙してほしくて、面談の際に校長先生や教頭先生に(システムを変えられないとしても)どうしたら伝えられるのか、を一緒に考えてもらった。

そしたら先生方の答えとしては、最初は私がこういうことに対して意識高い系(そうは言ってなかったけど)だって、ママ友に発信するだけでもいいのでは、とのこと。
性のこと、いじめのこと、誰にも言えないような子どものことで困っている人が、相談できたり一緒に考えたり、専門的な人に繋げたりできる友人がいるということを、蔦の根みたいに親ネットワークでじわじわ這わせるのが良いのでは、とのことだったので、それはいいアイデアですね!とホクホクして帰ってきた。

というわけで大きく看板は掲げませんが、蔦の根に想いをこっそり乗せてみます。

「ヘルジャパンで安心して子どもを育てる方法、一緒に考えへん?」


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