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爆誕

他者と自分。ある出来事と自分に起こったこと。人間関係や物事を二項対立的に捉えると、余計な気持ちが湧き上がる気がする。

例えば、自分よりも仕事ができる後輩と比較して嫉妬したり、残念な結果を見てへこんだり。はたまた、苦しんでいる人を見て「私はここまでつらくない」とホッとしたり。

どれも人間らしい感情で嫌いになれないのだけど、それによって自分が勝手に一喜一憂していてつらいのであれば、「不要」という言葉でまるめて捨てたほうがいいんじゃないかなと思っている。

私は昨年、第二子の妊活をしていた。

何かとお金のかかる街・東京で暮らしていて、仕事はわりと不安定。パートナーは扶養に入れてしまったから自分が働くしかない状況、第一子に軽い発達の遅れがあって......と、不安要素を挙げればキリがなくて、なかなか第二子を考えられなかった。

でも自分の年齢が「40」に近づいていくにつれ、どうしようもない焦りを感じた。今の時代、40歳を超えて出産する女性は増えているけれど、妊娠のしやすさや産後の体力を考えると、やっぱり早いに越したことはないんだろうな、と。

それに子どもは授かりものだから、とりあえずやってみてだめだったら諦めよう!......なーんて、得意のポジティブマインドを発動して妊活を始めたが、なかなか授からない。そこで意を決して、不妊専門クリニックの門を叩いた。

そんな話を友人に話したら「実は私も妊活、始めた!」と言われた。

その子は小学校からの友人で「腐れ縁」としかいいようがない関係性。高校からは完全に別の進路で、仕事内容はまったく違うけれど、好きな本やアニメが一緒で、「見た目サバサバ、中身ウェット」なところが似ていた。

また連絡を取るようになったのは、偶然にも第一子の出産時期が近かったからだ。5年前に品川で再開したとき、お互い臨月と8ヶ月の大きなお腹で、その不思議な巡り合わせに笑ってしまった。

あれから定期的に連絡をとったり遊んだりしながら、お互いに第二子妊活を始める。自然と「情報交換しよう!」となった。妊活はなかなかにセンシティブなことなので、あまり周囲には話せないし、「自分がうまくいっても、もう一方がうまくいかず、仲違い」ということも起こり得る。でもその友人とだったら大丈夫かな、と思った。

友人は普通の婦人科に通っていたが、私が不妊専門クリニックにかかったことを伝えたら、間もなくして友人も病院を変えた。

その後はなんとなく月イチペースで「ダメだった」「うちも」「またがんばろ」を何度か繰り返した。お互いに明らかな「子どもができない原因」はなかったので、とにかく継続。

数ヶ月経って私が「ステップアップしようと思って」と伝えたとき、向こうも「うちもそうしようかと思ってて」となっていて、奇しくも同じタイミングで人工授精にステップアップした。

最終手段の体外受精までいくと費用が桁違いに上がるので、お互い「何度か試してダメだったら、諦めるかねー」という感じだった。

結果として、うまくいかなかったのは私のほうだった。

友人の「成功した!」報告を聞いたとき、本当に嬉しくて、少し泣いた。それに、友人のほうが結婚生活が長いし、治療もあったし、少し早く妊活を始めていたから、順当な結果だと思う。

でもやっぱり「私はどうするんだろう」と悩んだ。当時すでに、結婚を継続することがつらくなっていたから「子どもができたら、何か変わるかもしれない」という、一縷の望みも抱いていた。

少し時が過ぎて。

次に友人と再会したとき、友人は安定期に入った直後、私は離婚直後だった。

私は強がってはいたけれど、結局「あの子は妊娠して、私はしなかった」という考えからなかなか逃れられなくて、しばらく会えなかった。

なんならこっち、離婚してるし(笑)。なんだろう、この「道が分かれた」感は。でもそれはただの結果論で、誰のせいでもない。

友人は離婚したての私を心配してくれたけれど、私は友人の体調のほうが心配だったから、経過が順調そうでホッとした。妊娠はいつだってどこか不安要素がある。

その後は何回か会って、年末には子連れで一緒に遊んだ。友人が産休に入ってからも会いに行こうと思っていたけど、なかなか予定がつかなかった。

そして2月に入り「あれ、そろそろ出産近いじゃん。予定日聞いておかなきゃ」と思って連絡したら、なんと「昨日産んだ!」とタイムリーな返信が来た。

あのとき宿った命が、この世に爆誕していた。

「え、はや!」
「逆子が治らなかったから、ハラキリした」
「まじか!おめでとう!とにかくおめでとう!休んで!!」

という感じで、テンション爆上がりの私、帝王切開直後で疲れているけれど安心した様子の友人。

少しだけ複雑な気持ちが蘇ってきたけれど、赤ちゃんの写真を見てウルウルしたし、本当に心の底から嬉しかった。

というか、あのとき一緒に妊活していなくて、ステップアップなどのタイミングが遅かったら、この子は生まれていなかったかもしれない。そう思うと、なんだか感慨深い。

そうやってちゃんと喜べている自分を感じて、どこか安心できた。「よかった、私そこそこ大丈夫じゃん」って。

妊娠・出産はとにかく奇跡だ。自分ではどうにもならないことが多い。そのなかで、友人と私という狭い狭い関係性で比べるのは愚かだ。それでもつい比較して、余計な感情を抱いてしまうのは、人間の性(さが)なんだろうか。

私はもう「大丈夫」ではあるけれど、そんな気持ちをまるめて捨てられなかった。そんな残念な私に幸あれ。大丈夫、きっといいことあるって。

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