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トリマーになって12年で感じた、別れの寂しさ。

トリマーになって、今年で12年になる。
今勤務中のトリミングサロンに入社してからというと、今年で10年だ。
(ちなみに、3年ほど前から映画ライターの仕事と兼業中。)

最近よく感じるのは、15歳以上のハイシニア(超高齢)のわんこが増えたということだ。
10年勤続していれば、私だけでなく、わんこも年を取るのだから当然のことだ。

【ちなみに、わんこの場合約7歳からシニア期といわれ、人でいう40歳くらい。10〜12歳以降をハイシニア期という。人でいう80歳くらい。】

定期的に通ってくれているわんこに対して愛着が湧くのはもちろんだが、歳を重ねたわんこというのは、また特別な可愛さがある。
守ってあげたい感。あるのかないのか分からなかった母性本能みたいなものが、自分の中で度々炸裂する。

「この子のことは最後まで、私が綺麗にしてあげたい」と思いながら、白髪が増えた背中をなでて、愛しさが増す日々なのだ。

そんな子が何頭かいる中で、ここ数日悲しい出来事が続いた。

1週間前、15歳のわんこが亡くなった。
2014年から通ってくださり、もう9年の付き合いになるヨークシャーテリアミックスの子。

飼い主さんが、お骨を持って挨拶に来てくれた。
少し前から、元気がないと聞いていて、ちょうど一昨日すごく冷え込んだので「○○ちゃん、大丈夫かな」と思い出していたところだった。
今思えば虫の知らせだったのか。たまたまか…。

飼い主さんが一番つらいのに、わざわざ「お世話になりました」と言ってくれて、私も涙が出てしまった…

両手に収まる大きさの、骨壺を抱かせてもらった。
重いようで、軽いような。無機質な温度にまた寂しくなる…
だけど最後に抱けたことが嬉しかった。
飼い主さんに、感謝を伝えて見送った。

そしてその数日後に、13歳のチワワの子が亡くなり、飼い主さんが電話をくれた。
心臓が悪かったものの、先月会ったときは元気だったのに…。電話口で思わず涙が出る。

電話を切って、スタッフルームでとまらない涙をどうにかこらえようとする。
10年以上トリマーをしているのに、悲しむ飼い主さんに対して、きちんと感謝と悼む言葉を伝えられたか不安になった。
でも、涙がこみあげてうまく言葉が出なかったような気がする。

そのチワワは人見知りの子で、9年近く私が担当していた。私に対して完全に心を許しているわけではないだろうけど、昔と比べると表情も体のこわばりもなくなっているのが本当に嬉しかった。
可愛くて仕方なかった。

私が勤めているサロンでは、トリミング後に毎回手作りの撮影ブースで写真を撮っている。
そして、亡くなったときにはその写真をレイアウトし、写真立てに入れて手紙と共に送ることになっている。

飼い主さんと話しているときとは、また違うつらさが込みあげる作業だ。写真を見るとよみがえる、9年分の思い出。

毎月ずっと見てたからあんまり実感してなかったけど、やっぱり年を取ってたんだな…
前は、こんなに毛が多かったのか。
こんなスタイルもしてたっけ。
ぬくもりや、何気ない表情、ちょこちょこ歩く姿が蘇る。。

そして、手紙を書きながら、飼い主さんと9年間育んだ信頼関係を改めて振り返る。

私が勤めているサロンは3年前に移転をした。もとの場所から1.5キロほどの場所への移転なのでものすごく遠いわけではない。
だが、8割以上のお客様が徒歩圏内の方だったので、わんこを連れて歩いて+15分。往復30分は大きな差だ。

それでも、「あなたがいるから」とわざわざ足をのばして毎月来店してくださっていた。
こんなに嬉しいことは他にはない。トリマー冥利に尽きることだ。

「本当に、今までありがとうございました。」
と、仕事中の後輩に隠れて涙をぬぐい、手紙に思いを込めた。

帰り道、まだまだ寂しい気持ちで視界をにじませながら、考える。
当然ながら、ほかのわんことも、いずれは別れの時が来る。

考えたくない。こんなにも悲しいなんて。

だけど、当然飼い主さんの方が悲しいに決まっている。
家族を失った喪失感は、その日限りではない。
不意に物音がした瞬間や、ふとした時に気配を感じるんだ。
私も昔、愛猫を亡くしたからその悲しみは知っている。

トリマーとして私がすべきなのは、1日でも長く、綺麗に心地よく過ごせるようにシャンプーやカットをすること。
自分が持っている経験と知識、愛情をこめて接すること。
仕事の原点に立ち返った。

10年勤続したからこそ感じることができた、寂しさと愛しさ。
この思いをしっかり受け止めて、これからも精いっぱいわんこと飼い主さんに向き合っていきたい。




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