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1:1の教育的関係性~フランスのエデュケーターワークショップより~


フランスではソーシャルワーカーの一種に「エデュケーター」という職業があります。


たとえば在宅で親子を支援をする現場ではエデュケーター1人で約10家族ちょっとを担当しています。
他にも、路上エデュケーターやネットエデュケーターなど様々な現場で様々なケースに対応しています。


安發さんが訳された『ターラの夢見た家族生活~親子をまるごと支えるフランスの在宅教育支援~』では、精神疾患のあるお母さんと暮らすターラちゃん(小学生)と、在宅教育支援エデュケーターとしてターラちゃんに携わるパボさんの日常が漫画で描かれています。


ターラちゃんの発言は、日本で子どもの支援に関わる活動をしていると「あるある」という子ども視点な思考や発言に溢れているのですが(でもちょっといろんな経験をしているので大人より大人なところが多いのもリアル)、

パボさんのターラちゃんやターラちゃんのお母さんに対する関わりに実にナチュラルな愛を感じ、アタッチメントの修復が目的とされていることがよくわかります。

ターラの夢見た家族生活はフランスのソーシャルワーカー専門誌ASHで連載中の人気漫画(パボさんが書いている)で、日本語訳版には第1~第3巻が収録されています。


こちらの制作時のクラウドファンデングに参加させてもらって、その後もご縁をいただけたことからエデュケーターワークショップ等にもおじゃましています。

そのワークショップの2月の会で出た言葉が、今日のこの記事のタイトルである『教育的関係性』です。

教育的関係性はエデュケーターの唯一の道具であり、教育はエデュケーターの唯一の目的とされています。「教育」は社会の中でのあり方や社会の中で生きるノウハウを指すので、学習とか勉強とかとは区別されます。

この教育的関係性は、わたしとあなた、それぞれの物語を分かち合うことです。お互いを「知る」ということでは足りないと仰っていたのが印象的でした。

それぞれの物語とは、「わたしの歴史」であり、「あなたの歴史」のことです。それをお互いが言語化しあうことでその2人の間に絆が生まれます。

1の物語と1の物語が出会って、1+1=2になるのではなく、1+1=3、新たな物語が生まれるという捉え方です。

私たちはみな、AさんとBさんという別の人に対して、それぞれと個別に話すときにはしばしば違う対話をします。それは内容もそうですが、話す順番だったり話し方だったり様々な違いがあります。その時に生まれる感情や新たな発想、そしてその時の自分のあり方もまた別です。

そこを意識してエデュケーターは1:1の教育的関係性を子どもたちと育んでいきます。

しかし多くの場合、この関係性を育もうとするときに、見えない関係性が邪魔をすることがあります。

例えば親の役割をエデュケーターが担おうとするときに、「関係性が壊れた親」のイメージを子どもが持っていると、そのフィルターが入ります。

「大人はみんなひどい人だったから、きっとコイツもそうに違いない」
「この人こそ私の完璧な父親のような存在に違いない」

というエデュケーター側がコントロールできない過度な不信や期待に代表されるものです。

こういうときも、その子がそうでなければならないほどに最初のアタッチメント・関係性がよくなかったことに目を向ける必要があるとパボさんは話されていました。

これに関連して、パボさんは『すべての人間は2回生まれるんだ』という概念について語られていました。

まず1回目は通常イメージする「誕生」であり、この世に生まれることです。この時、人間の赤ちゃんは身体も心も未熟な状態で生まれてくるので、自分の母が自分と一体であるという状態で生きています。

しかし、生まれて8か月を超えてくると鏡の中の自分を理解できるようになったり、少しずつお母さんと自分が別の人間であることを知っていきます。

これが2回目の誕生です。

この2回目の誕生の時に、自分にケアを与えてくれる人との関係性の中にいるかどうか、が健全な育ちに影響を与えます。


その時離されていた例が非常にわかりやすかったのでシェアします。

たとえば外でバイクの音が鳴ったときに、それがバイクの音であるということを知らない子どもは怖がります。
子どもをケアする人は「怖くないよ」と伝えるだけでなく、「バイクが通った音だから怖くないよ」と説明する必要があります。

こうして言葉にして説明をするのが、子どもをケアする人の役割です。それを重ねることにより、子どもは「自分にケアを与えてくれる人の手を放しても大丈夫だ」と感じ、2回目の誕生を完了させるプロセスを踏んで、自立に向かっていくことができます。

まさにこれは、私たちがいうところの浄化ですね。

・常に親がいないと怖いのではなく、自分自身で親の手を放しても大丈夫と思えること
・フラストレーションがあっても我慢できること
・親がいなくても親は自分を愛していると思えること

これらが第二の誕生を後押しするのです。

親に限らずですが、自分にケアを与えてくれる人との関係性が子どもにとって適切でなかったときに、それは今後の関係性全てに影響します。だからこそ、子どもにとってケアをしてくれる人との関係性のモデルは非常に大事です。

それが享受できなかった子には「一度壊れたものは何なのか」を見つけて修復していくことが必要です。

そのカギが教育的関係性の構築です。

我々が日本で担うべき役割もここになってくるのかなと思っています。


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