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父の命日に寄せて

私には父がもういません。
私が23歳の1月9日に、父は49歳で亡くなりました。

子供達は父に会っていませんが、私も私の母もよく父の話をするので、どんな人物だったか、どんな事をしていたのか、分かっています。

娘たち、父のことを『ぶつだんじいちゃん』と呼びます。笑
小さな頃から母の家に行けば『ぶつだんじいちゃん〜きたよ〜』と、お菓子や折り紙、拾ってきた石(笑)を色々置いていくカジュアルな関係。

先日、次女が担任の先生とやり取りしている日記のようなものに父のことを書いたようで、それを個人懇談で、担任の先生から伺いました。

ぶつだんじいちゃんは、ママのお父さんで、わたしが生まれるよりもっと前になくなりました。だから会った事がないのに、すごい好きだなって思うし、まるで会ったことあるみたい。死んでしまっているのに、好きな気持ちになるのはなんでだろうと思います。

これはとても嬉しかったです。泣

自然に生活の中で今でもふと父の話は色々話すのですが、子供達が自然と父の話をする事が、嬉しい。

ケーキを買って母のところへ行く時など、ぶつだんじいちゃん用ね、と小さなクッキーを買ってみたり、娘たちの中に父がちゃんと生きている事が嬉しい。

*  *

ちょっと、父の話を。

父はぶっ飛んだ人ではありましたが、私のことが大好きな(笑)楽しくて頼れる父でした。

父はサーフィンが趣味で、一年中海。
夏はカリフォルニアへ(家族を置いて)行っていました。
鉄工業を営む自営業でしたので、ロングヘアにヒゲスタイル。小学生の頃は、アロハシャツで参観にくる父が恥ずかしくて仕方がありませんでした。

ですが、父とはとても仲良しでした。
18歳くらいになると父と一緒に海へ。
私はボディボードでしたが、私の友達も一緒に連れて行ってくれたこともよくありました。

そんな父ですが、月に数回は着物を着て町内の寄り合いに出たり、我が家にて寄り合いの時は一人一人に御抹茶を点てたり、、

見た目は派手でしたが、近所のお年寄りの人気者でもありました。

父は癌で、発覚から2年ほどで亡くなりました。
病床の父は前向きで、毎日絵を描いたり、映画を観たり、退院してから使う!といきなりTVショッピングで買い物したり、、

急にピアス開けてみる!というので、病床でピアッサーであけたり。笑

たまに、付き添って一晩一緒に過ごしたこともありました。私の誕生日の朝、父が『お誕生日おめでと』と言ってくれた。最後のおめでとう。23歳の誕生日。病院の窓からのオレンジ色の朝日、本当に今でも鮮明、ほんっとに鮮明に声も景色も思い出せます。

父の最期、息を引き取った後すぐ私は父の耳からピアスを抜き取り、形見として保管しています。

湿っぽくならないように、好きだったボブマーリーを通夜告別式の間、流してもらいました。
レゲエナイト。
これは父も満足したと思う。

父の希望は、海への散骨でした。
少し落ち着いた後、母と散骨について調べました。少しお骨を取って海へと思っていましたが、、勝手にやると死体遺棄で罪になるそうです。汗

散骨します!なんていう業者さんが色々あるようですが、何だか嫌で結局海への散骨はしていません。

京都の大谷祖廟へ納骨し、私の実家はお墓が無いので、毎年命日の1月9日に弔いとして父の好きだったメニューにして、家族で思い出話をしています。形式にとらわれない、縛られない、一番の供養かなと勝手に思っています。

*  *

私は23歳でしたが、もっと早くに父や母を亡くした友人もいます。世の中を見渡せば、私は23歳まで父がいてくれた。学校を卒業し、社会人になっていました。まだ、恵まれているかもしれませんね。

私は父が亡くなった時、本当にこんな事が起こるんだ、、と現実が受け止められないというのはこの事かと実感してとても怖かったのを覚えています。

だからなのか、親になった今、ちょっと大袈裟かもしれませんが、いつまで私がこの子たちと一緒にいられるかわからない、何でもない日々がとても幸せであるという事を心に留めています。


*  *

今夜は父が大好きだった本鮪を使ってカルパッチョを。

ぶつだんじいちゃんも、長女により『ぶつじい』と略され、食事時にいろんな話題になりました。

いやー、思い出せば出すほど、変わった父でしたが、、、父の武勇伝に娘たちもゲラゲラとツッコミ入れて、それやばいじゃん!ぶつじい!と笑われて、きっと父も笑ってくれていると思いたいです。笑

*  *

私の年齢、父が亡くなった年齢まで後10年を切りました。父の年齢を追い越す頃どんな気持ちになるんだろう。
私が父から受け継いだものは、好奇心だと思っています。いつまでも、いくつになっても『これだ!』と思ったときには年齢や立場を理由に尻込みする事なく、挑みたいなと思っています。

そして、父がよく言っていた『仲間を大切に』『縁を、友達を大切に』『1人で生きられる人はいない』。

父がくれた熱い想いです。
大切にしながらこれから先も1日1日を大事に生きていこうと思います。


最後まで読んでいただき
ありがとうございました♡

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