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年功序列制の正体

今回は世間一般で賛否両論のある「年功序列制」についての議論となります。


まず、年功序列制とはどういうものなのかについてサクッと調べてみました。

年齢や勤続年数などに応じて、役職や賃金が上がっていく仕組みの「年功序列」。定年まで同じ企業で働く終身雇用を前提とした制度です。

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年功序列制度は「勤務年数や年齢が高くなるほど経験やスキル、ノウハウが蓄積される」という考えに基づいて運用されています。

https://www.dodadsj.com/content/200317_seniority/

多くのサイトや文献でも、上記のような定義付けがなされているかと思います。言葉通りに受け取ると「その仕事の歴が長いと能力が高く、立場や賃金が上がる」ことを前提とした制度のようです。

確かに、その分野に長いこと従事していると、様々なノウハウや知識は蓄積され、それだけエキスパートとして質の高い仕事が可能であるという理屈は理解できます。

しかし、例えば皆さんが会社に従業員として働いていたとして、その現状は何も不満がなく全て納得がいくものでしょうか。

ここで、年功序列制を「無理やり」正当化する手段の1つを提起します。それは「経営者が社内の情報の格差を恣意的に作り出し、自分たちにとって都合の良い環境を作る」手法です。

単純に言えば、上の立場の人間ほど自分達が携わるビジネスに直接関係したり、自分の立場を優位にする情報により多くアクセスできます。

逆に言えば、若輩者は中途半端な情報しか与えられていない状態で仕事をさせられていることになります。少ない情報量でできる仕事しかしないのであれば問題ないのかもしれませんが、上司や先輩と一緒に仕事をすることがある以上、「自分の仕事が、与えられた情報に見合った仕事量や内容ではない」ことが多いのは、皆さんも過去に幾度となく経験されているのではないでしょうか。

何故このようなギャップが生じるのでしょうか。これはおそらく、経営者サイドや上長が、上下関係を明白にすることと、部下の身動きを取れなくする(意思決定は情報に基づくため、情報が少ないと人は動けなくなる)ことが主な目的だと考えられます。

また、これを主体として立ち回る人は、傾向として多くの場合、部下を子供扱いしがちです。(これには、持っている情報の格差を感覚的に正当化させる意図が汲み取れます)

さらに、年功序列制のデメリットの1つとして、「経営者や上司のさじ加減(仲の良い人同士)で情報共有を行ない、好みで立場の格差を付けられる」点です。これがまかり通ってしまうと(現実問題として、ほとんどの組織にこの風習はあると思いますが)意思決定を(情報からではなく)立場の偉い人の気分や欲求に基づいて決められてしまうことになります。

よく言われる「会社で媚びを売る人が優遇される」現象はこれが原因だと考えられます。また、このように情報の格差が激しくなると「知らず知らずのうちに他人から仕事を丸投げされる」リスクも増大します。これは『自身の手持ちの情報が少なく意思決定ができないために、他人に恣意的に正当化された分担を受け入れざるを得ない』からです。

ですが、組織で仕事をすることには大きなメリットがあります。それは「分業をすることで仕事が効率化される」点です。

会社内の多くの部署は、分業することにより仕事をルーティンワークに落とし込めるため、効率化することができます。

それは『慣れ』といえばわかりやすいですが、通常の場合、一人の人間が多くの種類の仕事を担当するよりよっぽど効率的です。

しかし、最近はAIの発達や自動化できる仕事も多くなってきており、その分業による高効率化のメリットも徐々に薄れてきている潮流があります。

年功序列制の大きなメリットの1つがこれらの技術革新により失われることで、いちいち理不尽に上司の「情報の制限」の制約を受けずに、ゆくゆくは自身の判断で意思決定をしてビジネスをしていくことも視野に入れられます。

ですが、もし自分でビジネスを立ち上げるとして、ほぼ必須となる「単独で多くの種類の仕事を行き来する」必要が出てきた場合、どうすればよいのでしょうか。それはやはり『情報を整理する(いつでも欲しい情報がすぐに手に入るようにする)』ことに尽きます。

確かに、分業化することで各担当者が取り扱う情報量は少なくてすみます。しかし、単独(または少数)でビジネスをするとなると、非常に多くの場合で、サラリーマンとして働くより大量の情報を取り扱う必要が出てきます。『慣れ』も効きづらくなります。そう考えると、効率化のメリットがまだまだ健在している今の御時世では組織の中で働くことは何もデメリットだけではないことがわかります。


といった感じで上記のような議論を展開してはきましたが、正直なところ、雇用者として働くか、個人(または明白な上下関係のないコミュニティ)でビジネスを進めるかの選択は、どちらが正しいと断定できるものではないです。どちらにも何らかのメリット・デメリットはあり、科学技術がいくら発展したところでそれらが消え失せることはおそらくないでしょう。

どちらがその人にとって良いのか、これはもうその人の好みや周囲の状況によると思います。

「(実際には多くの場合で、上司から与えられる情報は恣意的に制限されながら)分業をして働く」のか、または「入手可能なありとあらゆる情報を巧みに使いこなし、自分の力でビジネスを始めていく」のか、これの良し悪しについては私達の環境や人間関係に大きく依存する部分であり、その最終決定に関してはもちろん私個人から何か口出しできるものではないです。

ただ、今の世の中を俯瞰してみると、組織の中で働くとなった際、その情報格差が著しく、結果として組織内での搾取の度合いが高すぎる環境が多いように思えます。健全な関係で協力して仕事ができるならとても良いのですが、残念ながらそういう職場環境は世間ではかなりレアリティが高くなっているのが現状です。

最後に、こういった記事を書くと「この記事の編集者は上下関係の全くないフラットな環境だけしか受け入れられない、現実味のない人間だ」と思われかねないため、それに関して私の意見を少しだけ述べて締めとさせていただきます。

実際問題として、私達は他人とコミュニケーションを取るとき、ほぼ必ずと言っていいほど相手と自分を比べる心理が働きます。(そんなつもりはない、と言いたくなる方もいらっしゃるかもしれませんが、相手の「見た目」「話し方」「思想」「クセ」、その他定量化が可能なものなど比較材料は私達の周囲に山程あり、どうしてもそれを人は知覚せざるを得ません)

その延長線上で、一言で言えば「舐められたくない(立場を弱くしたくない)」という心理から、自分を優遇したコミュニティを形成するのは致し方ないところもあります。(年功序列制はまさにその代表的な概念です)

人間社会に生きていれば、前述のようなパラメータで他人に勝手に比較され、理不尽な扱いを受けざるを得ないこともあります。その悔しさをバネにして成り上がろうとする人も出てくるでしょう。残念ながら、格差が存在し続ける以上、そのような意志は人類が存在しなくなるまで消え失せることはないと思います。

一方で、その『マウントの取り合い』のような争い事で、お互いの足を引っ張ったり、略奪の被害に合うようなリスクヘッジを想定すると、損失を極力減らしたいと考えるのも人としての心情でしょう。

私個人の提案としては、以下のことを世の中の方々に意識していただくことで、その損害を最小限に抑えていけるのでは、と考えています。

  • 自分達の各々の人生を『自分で意思決定できる文化』を維持する

  • 「密」にしなくて良い人間関係はなるべく「疎」にできるようにする

  • 各人の感情からくる衝動的な言動は、周囲の人々が勇気と健全な意思決定を持って抑制できる、もしくは別の手段で昇華できる社会を維持する

これらは簡単なことではないと思いますが、私達の暮らしを幸せにし、それを維持するために必要なことだと思います。皆さんはどうお考えでしょうか。是非ご一考いただくとともに、なにかご意見があればコメントなどにご連絡いただけますと幸いです。


人生は100年かそこらで、一度きりです。
皆様にも是非このことについてお考え頂ければと思います。


以上でこの記事は終わりです。お読みいただきありがとうございます。

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