見出し画像

自分が理解できない感情を、思い遣ることができない人もいる

最愛のパートナーも、かけがえのない家族や友人も4割から6割くらいは合っているけど、後は違う感覚を持っている。
違っているところに目を向けると、ズルい、卑怯、したたかと感じるが、
良いところに目を向けると理解し合えるかけがえのない人だったりする。
だから、大切で手放したくない。よって、「あれ?」と思う会話に対しても「そなの?」「分かるよ。」と濁す。悪気はない。自分には共感できない概念の部分を触らないのが一緒にやっていくコツなだけなのだ。
…………………
私には中途の管理職採用で、専門職にいる以上、新入社員研修と同様に、フレックスの利用を控えたり、飲み会に全力参加することは不要と考えていた。知識を共有することで組織の役に立ち、居場所を確保出来れば、それで良いだろうと思っていたのだ。
しかし、同僚は異なる。専門職でも専門的知識を使うことよりも、僕らに気を遣え。飲み会への参加とフレックスの利用禁止が命じられる。
そういっても、私の体は週5日、9時出社にはもう耐え難いため、フレックスのある会社に転職したものだから、9時より遅く出社することもある。
そうすると、「僕を舐めているのか?」と仕事を取り上げられる。

専門職ではなく、タフな同僚にしてみると、若い時を全て勉強に注ぎ知識と教養を人の何倍も積み上げ、法務だから入った人の思いは分からない。だから思い遣れる部分はないものとなり、ただ私の行動が不満で罰を与えようとなるのだろう。
私に至らない点があったことは否定しない。それでも仕事を取り上げられるほどのことをしていないのに、積み上げてきたものを盗られることが「辛い」と言っても、届かない。
「フレックス利用しただろう?」
との回答に終止する。だから、いつの間にか回答は、「そうします。」「分かりました。」に終始するが、結局は実態が伴わず、負のスパイラルに入る。
………………
もっとも同僚の言い分も分かる。気を配れ、お膳立てしろとの指示は、私を同僚ではなく部下にしたいのだろう。私には気配りすることを受け入れたい思いがあったとしても、その能力がない。人に従う能力を持ち合わせていないのだ。だから一所懸命従っても、違うと怒声が飛ぶ。

自分に従順ではない人はいないと思い込まれてしまえば、従順な行動を取れない人の思いは配慮されない。自分にない感情は思い遣れない人もいるのだ。
…………………
他方で自分にない感情を思い遣ろうという人もいる。
親しくしてくれている人たちは、私とは環境が違う。殆どの人は家庭に入り働いていない。
しかし、LINEの頭には「仕事中、ごめんね。」と来るし、
会えば、「帰省してる?りりいのお母さんは寂しがってない?」
と家族を気にかけてくれる。

それはただ、私が仕事や家族を大切だと知ってくれているから、同じ感情がなくとも自然と出る言葉なのだろう。
…………………
例え自分にとって極悪に見えても、相手にとっては論理が成立する。せめてそのことを知っておきたい。そして、知らない感情があっても、そこを思い遣ることは怠らず、相手の感情を自分の意のままにコントロールしようとはなりたくない。

違う人間である以上、自己満足させる要求は取りようもなく、思想統制は一層なし得ないのだから。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)