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悪い人と噂されている人は、噂の主に愛情を注いでいないだけのこともある。善悪は当人の関係次第

「小さい頃、親は仕事ばかりで寂しかった。」
「親は年下のきょうだいの相手ばかりで、自分には酷い扱いだった。」
とある芸能人の幼少期の話しにスタジオが頷く。「分かる。」と。

正直、私には全く理解できなかった。誰を1番可愛がるかは親の自由で、子供が決められるものではない。まして、幼いきょうだいがいてその子を親がより可愛がるなら、一緒に幼いきょうだいを可愛がればよいのに。私はそうしていたよ、と感じた。
無論、誹謗中傷や虐待を肯定しているのではない。誰にどの程度の愛情を注ぐかは、注がれる者が決めることが出来る類のものではない。注ぐ方が決定権を持つのではないかと言うことである。

寧ろ、全国放送で愛情を充分に注がない親として放映されてしまったら、親はもっと当該芸能人に冷めていまうのではないだろうか。親が悪い人のように聞こえる訴えが、親子の仲を悪化させるものになりはしないかと思うと悲しかった。
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高校生の頃、交際した彼は、もっと俺を愛してというタイプだった。私からの愛情が不足すると、携帯の待受を元カノにし、私の粗探しをし、内緒の話まで周囲にまく。
私の秘密情報を沢山の人が知っており、出先を聞いたら当時の彼に行き着いた。噂話が善意解釈されることはない。むしろ善いことも伝聞を通して悪いことにすり替えられる。噂を広めた主たる元彼が満足するほどの愛情を注がなかった彼女→それは、悪い人に変わった。

噂を一々気に留め、
時には立証によって否定し、
内容確認と言い訳に奔走する。
そんな気力はなかったから別れたところ、逆恨みで、「男好き」のレッテルを貼られる。
「男好き」なら元カレに充分な愛情を注いでいるはずだから、矛盾する。
噂を流されたから冷めたのに、
冷めている女だったから噂を流した、
に変わり、それが真になる。
真になると、俺に愛情を注がなかったりりいは、なんて悪い人だとなる。
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愛情や思いやりを出せる量はエネルギーによって決まっている。
それを自分に向けない人が悪い人。自分を好かないなんて酷い。だから先に悪口を言ってやる。
噂というのは、声の大きい悪意者による人格形成。流された人間は噂を流布した人に満足のいく愛情を注がなかっただけで、良い人が悪い人かではないことも充分にある。
このことは、噂の内容が行為への否定ではなく、人格非難であることからも分かる。
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だから、私は噂ではなく自分が見たその人と接したい。そうすると、悪評ある人と接した私も悪い人と言われるのかな?
しかし、評判に乗って共に無視するほうが悪い人ではないか。

何より相手がどんな人間かは、自分の目で見て決めたい。当然ながら、例えば「強盗殺人をした」なんていう具体的行為への批判はこの限りではない。
しかし、単なる人格非難への同調圧力なら、かかる思想統制に巻き込まれる人間こそ悪い人に思う。
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