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布団の思い出✧♡

 布団から思い出すことは、母の準備してくれた重い冬の布団である。

 冬が来ると、母は重い布団を掛けてくれた。それは重いけれど、寒さを防いでくれる頼りになる存在で、私は好きだった。
 だから、今でも、ちょっと、軽い布団は信用できないかもしれない。
 今は羽毛布団の宣伝が四六時中、テレビに入っているし、世の中の主流は、軽くて暖かい羽毛布団なのだろう。
 私のダンナも、キャンプ用品で買った寝袋を布団代わりに掛けて寝ている。確かに、暖かそうだし、ダンナよりスコシ遅く寝る私はそれをはねのけているダンナの姿をよく目撃する。あの寝袋、軽いけれど、暑いらしい。

 冬の布団は、なんとなく冷たさが伴うものであろう。
 軽い羽毛布団はそうでもないのだろうが、きっと母の準備してくれた重い綿の布団は、冬はきっと冷たいものだったはずだ。
 しかし、思い出してみるとそんな記憶は皆無である。
 よくよく考えてみると、あんかという豆炭をいれた暖かいものの記憶がうっすらあるし、母は、必ず電気毛布を使っていたことを思い出した。
 
 そして、時々、母の布団に潜り込むとき、私自身が母のあんかだった。母の寝床に潜り込み、互いの体温で暖かく眠った。

 父は早くに死んでいなかったから、うちは、母と姉と私の、女だけの3人家族だった。
 母の布団に潜り込んでいるのは私だけでなく、時には、母と姉と私の3人で川の字になって寝ていた記憶もある。
 どんなタイミングでそうしたのかはわからないが、とにかく3人は仲が良かった。文字通り川の字になって眠った。
 
 数年前に湯たんぽを買った。固いプラスチックの定番の湯たんぽも持っていたが、その湯たんぽをくるんでいる布が素敵で、つられてインターネットで高価な湯たんぽを買った。その湯たんぽが今までの固いものではなく、お湯を入れても、ぐにゃぐにゃしている柔らかいものだった。
 カバーには可愛い猫の絵も描いてあり、なんとも抱いていると気持ちがいい。数年使うと湯を入れる容器が劣化したので、インターネットで検索してみると、とても安い値段で、その品物と同じ容器が売られていた。
 早速買って、私とダンナの布団に入れてみる。

 寝室が寒くても、湯たんぽがあったら、なんてことない。
 寝室に暖房をつける必要もないなんて凄いなと思いつつ数年使っている。

 今年から短歌の会に所属したのでそれをなんとか詠めないか?と考えた。

手足なき胴体のごとき温み抱き 冬の褥にゆるりと入る

 作ってみたけれど、先生の反応が思わしくない。他人に伝わらない歌だったかな?と思って、みんなの感想を聴いてみたら、湯たんぽだと気が付いてないようだった。でも、みんなでこの歌を鑑賞していたら、後ろの方から、
「湯たんぽ!湯たんぽ!」と囁く人もいる。

 わかる人もいるし、分からない人もいる。
 分からない人は、自分の手足が冷えて胴体の温みだけ抱えて冬の布団に入ったと思っている。それはそれでいいんじゃないか?と思った。
 そんな風に幾通りにも読まれる歌だったら、作者としては嬉しい。

 冬は寒くて憂鬱なものであるけれど、湯たんぽが登場してから、冬の布団は温泉みたいに気持ちいいものに、変化した。

 それにしても、私は冬に母が掛けてくれた津軽の冬の布団が嫌いではない。あの、身動きできない重さがむしろ好きだった。その重さに感じていたのはむしろ寒さを塞いでくれると言う安心感だった。
 そんな話を旦那にしていたら、お前の家に行くと、いつも仏壇の前に寝せられていたと言う答えが返ってきた。旦那は、私の38歳で亡くなった父の仏壇の前に、やたら重い布団をこれでもかとかぶせられていたらしい。

 女3人だけで肩寄せ合って暮らしている小さな家族に、突然やってきた闖入者はそんな仕打ちにあったのだなと思うとそれもなんだか可笑しかった。

 最後に、是非、ここに書きたいことがもう一つある。
 私の故郷が弘前市という桜の名所だったので、県南の八戸市で旦那と出会ったのだが、その友達10数人が、実家に押し掛けたことがあった。
 不思議だったのは、我が母はまるで動じない。そして、ほぼ全員が泊まったのだが、その人数分の布団や枕の数も、全く間に合ってそこにあった。
 女だけのたった3人家族の家に、なぜそんな数の布団や枕があったのか、よく考えると不思議である。
 しかし、四季を通じて、いろいろな布団を私や姉に準備してくれていた母からすると、そんなことは大したことではないことだったのかもしれない。決して裕福な家庭ではなかった。
 しかし、いつも意味不明に、布団だけは潤沢にあった。

 布団から始まるそんな物語を私は持っている。