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親愛なるジュンコへ 8/8話

8 母親になった純子

前回のお話はコチラ↓


純子は5回目の妊娠で母親になった。

出産して暫くは、赤ちゃんの世話についてなど頻繁にメールが来るようになったが、逆に出産をして純子の病気の症状は落ち着いたように見えた。

ある日電話がかかってきた。
私はまだ、純子の病気に対して偏見や恐怖もあったので、恐る恐る電話に出ると、

「アヤP、あの時はびっくりしたでしょう?ごめんね。せっかく来てくれたのにさ、汚くてびっくりしたよね?
でも出産したらなんだか落ち着いたよ。
もう母親になったからさ、頑張らないとね。
部屋の掃除も一生懸命やってるからさ、また遊びに来てよ。」

いつもの純子の調子に戻っていた。
訪問した時の、あの悪夢のような光景は何だったのか?と思う程、この時の口調は昔からの純子だった。
私は、
「せっかくかわいい名前つけたんだからさ、子育て頑張りなよ。何かあったらすぐ連絡していいからね。」
と言った。純子は明るい口調で
「うん。ありがと」
と言って電話を切った。


しかしながら、明るい口調の電話はその日だけだった。
その後、純子からの電話の内容は、

「義理のお姉さんが私の悪口を言ってる」
「私の分の朝食のソーセージが無い」
「旦那が毎日襲ってくる」
「赤ちゃんの世話を私にさせてくれない」

大丈夫だろうかと心配だった。
これが統合失調症の症状である「幻覚」や「幻聴」なのだろうか?
私は不安だった。

そして、その不安が的中したのが純子の子どもが9か月になった頃だった。
携帯が震えたので電話に出てみると、

「アヤP、私、追われてるの。
旦那から、姑から、舅から、義理のお姉さんから、ずっと私追いかけられてるの。
だから私は逃げて来た。
何も持たずに逃げて来た。
どうしよう、どうしよう。
これからお母さんのいる宇都宮に行く。
宇都宮に行ってお母さんに助けてもらう。
アヤPいいよね?私、このまま逃げていいよね?」

純子は走っているのか、ハァハァと息を切らしながらしゃべっているようだった。
私はどうしていいかわからなかったが、一つだけ純子に聞いた。

「子どもは?赤ちゃんはどうしたの?」

すると純子はまるで思い出したかのように、

「え?赤ちゃん?赤ちゃんて何?アヤカのこと?」

「そうだよ。アヤカちゃんも一緒なの?」

「え?アヤカなら置いてきた。だって私には育てられないから」

純子があまりにもハッキリと言い放ったので、私はびっくりした。

「ちょ、ちょっと、何言ってるの?え?ジュンちゃん、あなた何言ってるかわかってる?育てられないって何?」

「だって、だって・・・とにかく逃げなきゃ。逃げなきゃいけないの。アヤP、また電話するから」

ツーツーツーツー

私はしばらく携帯を持ったまま茫然としてしまった。


たった9か月の子どもを置いてくる純子は、やはり正常ではないと思った。
純子の病気は、ちっともよくなっていなかった。



私はもう、純子に関わるのは金輪際やめておこうと思った。
私は私の生活があるから、それを守るためにも、これ以上純子に振り回される訳にはいかないと心に誓った。
純子は病気だから、私は純子の友達をやめようと思った。




純子が9か月の赤ちゃんを置いて、嫁ぎ先の家を出てから11年が経ちました。
あれから純子の病気は、よくなったり、悪くなったりを繰り返しています。
精神病院に数か月入院することもあったり、自宅でお父さんと穏やかに暮らすこともあったり、といった所です。

11年の月日の間に、純子はまた私の地元に帰ってきました。

私は近所に住んでいるので、純子から「旅行に行ったお土産」と言われて、近所のスーパーの値札がついた腐った野菜を渡されたこともありました。
コンビニで店員に絡んでいる純子がいたので、素知らぬふりをして立ち去ろうとしたら、大声で「アヤP~」と叫ばれたこともありました。

なんだかんだ、私は純子とはずっと友達でいます。

最近はLINEのやり取りをしていますが、「おはよう」とか「おやすみ」とかそんな感じです。少し難しい話をすると、ちょっとわからなくなってしまうのか話が途切れます。先日も「アヤカは小学6年生になりました」というメッセージと共に送ってくれた画像は、2年前に送ってくれたものと同じでした。画像のアヤカちゃんは、小学生時代の純子にそっくりでした。


そういえば、昔の仲間と会わなくなる少し前に、かつて純子と付き合っていたイケと2人で話す機会がありました。

私「じゅんちゃん、元気かなぁ?なんで連絡くれないんだろう?」
イケ「たぶん、お前の所にはいつか連絡来ると思うよ。広田ってさー、平山の前ではいつも「いい子」でいたじゃん。
俺とかには金借りたり、すぐ死ぬとか言ったりメンヘラ全開だったけど、お前の前ではそういうこと無かっただろ?だからアイツの中では平山は特別で、唯一まともな友達だと思ってたと思うよ。」


純子から、娘の名前が「アヤカちゃん」だと聞いた時に、私はそんな昔のイケとの会話を思い出しました。まったくもって根拠は無いし、私の自惚れかもしれないけど、純子が「アヤPみたいになって欲しい」と思って付けた名前だとしたら、とても嬉しいことだと思いました。


純子は今、何を考えて、どんな世界で生きているのか、それは私にはわかりません。
この先病気が治ることはないと思うが、そんな病気の世界でいる純子を、そんな友達がいる自分のことを、私は心の底から面白い状況だと思ってしまう。

え?面白ければなんでもありなの?

私はつくづく不謹慎でサイテーな人間だと思う。だってこんな状況を「面白い」って思ってしまうから。

純子、本当にごめんね。
でもね、これが私なんだよ。

まぁ、純子はたぶん、私がこういう人間だということは、当の昔から知っていたと思うけどね・・・





長々とありがとうございました。
最後がイマイチですみません汗

実はこれを書き始めたのが6月初旬で、途中で筆が重くなってしまい、約2か月かかってしまいました。

その間、純子に会いました。

体調はいいそうで、現在はお父さんと2人で暮らしています。私がしゃべる一言一言に昔と変わらず、大きなリアクションで苦しいほど笑っていました。
「アヤP、相変わらずツッコミ厳しいね」


26年前の私と純子


親愛なるジュンコへ

これからもよろしくね


AYA


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