見出し画像

家庭と自己実現の両立のために、自分の可能性を信じて進む

予定がたくさん入っていた土日月が終わり、色々と落ち着いた火曜日。いつもよりも1時間半ほどお寝坊して、ゆっくりスタートした今日。

いつものように娘ちゃんのお散歩したり、スーパーでお買い物をしたり、おもちゃで一緒に遊んだり、新しく届いたこどもちゃれんじの教材を一緒に開封したり、掃除したり料理をしたりして過ごした1日。

日中のワンオペで娘ちゃんと一緒にいる時間は、PC作業はしないというマイルールがある。今日も楽しく過ごせたなぁとは思うものの、頭の片隅でずっと、消化しきれていないタスクのことを考えていた。

・毎日更新用のnoteの記事の執筆
・メンバーシップ内掲示板の更新
・お仕事の原稿の作成
・5/19の文学フリマで出す予定の新刊の執筆
・写真の編集
・ライター塾のレポート作成

これらを「やらなくては……!」と思いつつ、結局何も出来ないまま、気が付けば23時が過ぎた。なかなか切羽詰まっている3月末。わたしの今の生活に、年度末は特に関係ないはずなのに、なんだかとても慌ただしい。

やりたいことよりも、やるべきことの方が多くって。でも、そこに割ける時間は限られていて。色々あるのだけれど、今のわたしの最優先は「家族と過ごす時間」なので、そこだけはどうしても削りたくはない。となると、残された時間をいかにやりくりするのか、ってところが重要だなぁと思う。

そう思うものの、なかなかうまくやりくりすることが出来なくって、今日も23時を過ぎてからこのnoteを書いている。締め切りのギリギリになる、みたいなことは避けたいのに、今日も時間に追われている気分になっている。

どれだけ切羽詰まっていても、「時間がない」「忙しい」という言葉はなるべく使いたくないと思っている。

学生の頃のわたしは「時間がない」が口癖だった。誰に対しても「時間がない」を頻発していたせいで、「あやめしちゃんは忙しそうだから声をかけるのは辞めておこう」と、情報すら回ってこないこともあった。知らないうちにチャンスすら与えられていなかったことに後々気が付き、ひっそりと悔しい思いをしたこと、今でも鮮明に覚えている。

「時間がない」「忙しい」と言っていたら、本当に時間がなくなってしまうような気がする。おまけに、巡ってくるはずだったチャンスまで奪われてしまう。なんともったいない。

だから、なるべくそのような言葉は使いたくない。

大変ではあるけれど、時間がないわけではない。大変ではあるけれど、忙しいわけではない。そんな風なスタンスで日々を過ごしている。もっと工夫すればきっとどうにかなるかもしれない。時間は自分で作るものって言うし。なんて、あれこれ考えながら。

家族の時間は大事にしたい。睡眠時間もしっかり確保したい。自分の仕事も余裕を持ってこなしたいし、自主製作も力を抜きたくない。

やりたいことがたくさんある。1日が30時間くらいあればいいのに、と思う。

そんな風に思えるというのは、きっと今のわたしの人生が充実しているということ。やりたいことがたくさんあって、それをこなそうとするやる気もあって。うまくやり切れないからフラストレーションを抱えることもあるけれど、それを抱えるのは「自分ならもっとうまくやれるはず」という、自らの可能性を信じているから。

わたしは才能があるわけでもなく、スーパーマンなわけでもなく、ただの凡人だ。でも、そんな自分の人生をどの方向に舵取りするのかは、自分次第。舵取り次第で、もっとわくわくする方向に人生を進めることが出来るかもしれないし、凡人だけれど、限りなくスーパーマンに近いところまで行ける可能性だってあるかもしれない。

「時間がない」「忙しい」に逃げずに、目の前の荒波を着実に乗りこなして、わくわくする方向に、人生の歩みを進めていきたい。

そんな風に思いながら、今日も暮らしている。

サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。