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東京は外国やった

社会人1年目、東京本社に配属になったことで20数年過ごした大阪を離れることになった。

「大阪は地方都市ではない。日本の中心地である」と信じて疑わなかったわたしは、大都会東京に足を踏み入れた瞬間、本当の中心地はここだったと観念した。東京は想像を超えるほどのマジでめっちゃ都会だった。
大阪仕様の常識を携えて上京した地方都市民のわたしは、東京でたくさんのギャップやまるで通用しない常識にものすごく驚いた。

その中でも特にギャップを感じたのは「おもろいに対する優先度の違い」だった。

大阪は言わずもがな「おもろい人が勝つ」環境。モテる人は顔がかっこいい人よりも「おもろい人」。おもろい人は口が達者で、幼い頃から英才教育かのように大喜利をたしなんでいる人が多い(気がする)ので、咄嗟に出せる言葉のストックがものすごく多い。だから、わたしの周りのおもろい人たちはみんな軒並み大手の会社に営業として就職していった。おもろい人は営業向き。

土曜のお昼は吉本新喜劇を見ながらお昼ごはんを食べ、学校の休み時間の友人たちとの会話はノリツッコミが当たり前。ボケたのにつっこまないなんてことがあったらそれはもはや大罪なのだ。大阪の民の中でもたいしておもんない部類に入るわたしでも、それくらいの素養は携えていた。

だから、東京でものすごく驚いた。

ちょっとボケてみても、どこからもつっこみが入らない。むしろボケだと認識されず、本気で言っているのだと思われちょっと恥ずかしい思いをする。「え?ここ、つっこむところやん??」って明らかなところだって誰も何も言ってこない。どうして。おかしい。大阪だったらみんなつっこんでくれるのに。

会社の忘年会で総合司会を任された。最初の全体への注意事項を促すアナウンス、普通に言っても面白くないと思ったから、ディズニーのキャストがショー開演前に注意事項をアナウンスする風に言ってみた。

それはそれはもう、はちゃめちゃにウケた。

え?こんなんでここまでウケんの…!?!?東京の人のおもろいのハードル、低ない???と、かなり困惑した。

その忘年会で、新入社員はみんなで何か出し物をするというのが慣習だった。その部署の新入社員はわたしを含めて6人。その6人で何をするのかを考えた結果、コントをすることになった。そのコントの台本は、全てわたしが書いた。

びびるくらいめっっっっっちゃウケた。

これはウケるやろな~と思って書いた台本ではあったけれど、予想をはるかに超えるくらいウケた。びっくりした。「わたし才能あるんちゃう…?」「もしかしてわたしってめっちゃおもろい人間なんちゃう…??」って勘違いしそうになった。危ない。わたしは大阪ではたいしておもんない部類の人間であることを忘れるところだった。

東京は大阪とは全く違う場所だと思った。今までスタンダードだと思っていた「おもろい」の常識や基準はまるで通じない。わたしごときがおもろい部類の人間になってしまいそうになる東京は、大阪人の感覚を狂わせてしまう。なんと危ない場所であろうか。

びっくりしたのはそれだけではない。

たいそう野暮な問いかけだと分かっていながら書くのだけど、M-1グランプリという大会をご存じだろうか。毎年年末ごろに開催され、大阪人なら夕方頃から放送される敗者復活戦からテレビの前で座して見るあの有名な漫才の大会である。友だちと遊んでいたとしても「今日M-1見なあかんから帰るわ~」が通用するあの大会である。

そのM-1グランプリ、東京では、誰も見ていなかった……。

衝撃だった。本当に偶然かもしれない(むしろ偶然であってほしい)けれど、当時わたしが所属していたチームのメンバーは、誰一人としてM-1を見ていなかった。
大阪ではM-1の翌日なんて、学校ではその話題でもちきりで、M-1を見ていないとみんなの話の輪の中に入れないからまるで非国民にでもなったのかのような気持ちになる。わたしはそれがどの地域でもそうなのだと信じて疑わなかった。
社会人1年目の頃は住んでいた会社の寮にテレビがなかった。だけどどうしてもM-1だけは見なければならないという使命感があったので、当日の夜にYouTubeにアップロードされた動画を全コンビ分見た。夜な夜な布団の中で全ての漫才を見て一通り大笑いして、優勝者の漫才は3回くらい再生した。明日会社で誰にどのコンビのネタの話をふられても全て対応できる自信があった。
それが、翌朝会社に行ったら誰も見ていないのだ。あのM-1グランプリを。まじで?嘘やん?ここほんまに日本か?ってなった。日本国民は全員M-1を見ていると信じて疑わなかった。純粋な気持ちでそう思っていた。

東京とは恐ろしい場所だ。東京の人たちはもしかしたら外国人なのかもしれない。おもろいの感覚がまるで合わない。文化がちがう。

そのおもろいの感覚が東京に染まるなんてことは全くなく、その違和感が矯正されることもなく、わたしは数年間の東京生活を終え大阪に戻ってきた。祖国に帰ってきた感じがした。
あの場所は外国だった。ちょっと滞在するには刺激的で楽しいことがいっぱいだけど、住むとなったら大変な場所。細胞レベルで感じる「なんかちゃう」の違和感。でも、人生の早い段階で大都会東京に出て、その違いを感じて帰ってこれたのは良い経験だった。自分が当たり前だと思っていた常識が全く通用しない東京というところは、それはそれで面白い場所だったのかもしれない。それでもわたしは土曜のお昼には吉本新喜劇を見たいし、金曜の夜には探偵ナイトスクープが放送されててほしい。自分の身体の中に流れる大阪人の血には抗えなかった。


もし今後また大阪を離れることがあったら、せめてM-1の話が出来る人たちが住んでいる地域に住みたいと思う。


おつかれさんでした。



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