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2017年 ~次女への連鎖と新しい決意~

(写真は夏に子どもたちと川遊びへ行った時の様子)

長女が進学先に決めた高校は、作文と面接のみの試験だったので、2月初めの受験日までに、少しの時間だけ登校するなどして先生にアドバイスを受け、無事合格しました。

私立高校への進学が決まったので、卒業までの学費をなんとかしなければと思い、私は仕事を探し始めました。


子どもたちが入園する前までは、在宅ワークとして、データ入力やネットショップへの出品のお手伝いなどをしていました。
定期的にある仕事ではありませんでしたが、仕事があるときは、子どもたちのお昼寝中や、納期前は徹夜したりしながら作業をしていました。

長男が入園するときに、外国人留学生が通う専門学校でパソコン講師の助手の仕事を始めました。
講師の先生が授業を行い、私はそのフォローをしていました。
初めて人に教える仕事をして、難しさや楽しさを知り、外国人留学生に出会うことによって、いろいろな影響を受けたような気がします。

専門学校は期間限定だったので、終了後は、派遣社員として事務の仕事をしていました。
長女が不登校になった頃に契約が満了となったため、2017年のはじめ頃は仕事をしていませんでした。

自宅近くの会社で、職業訓練の講師を募集していたので、そこで短時間から働かせてもらえることになりました。
お昼休みに長女の様子を見に戻ることもでき、職場環境は良かったです。


長女が進学したのは通信制の高校でした。週に2日だけ授業を受け、あとは自宅で勉強するコースに入りました。
週2日の登校も、午後からの授業だったので、起立性調節障害でも通いやすい環境でした。
無事に入学式を終え、最初の頃は緊張しながらも登校できていました。


長女が新しい生活をスタートして少し。
今度は次女に変化が・・・
学校へ行きたくないと言い始めたのです。


長女が不登校になった時に、色々本を読んでいたので、不登校の連鎖については少し予想していました。


出来るだけ学校に行くように促し、私の出社のタイミングで一緒に家を出て、学校へ送ったりしていました。
「どうしても行きたくない!」
と言う日がたまにあり、そんなときは、
「今日1日だけね。明日は行くよ。」
と約束させ、1日だけ休ませることもありました。


それぞれが新しい環境に慣れた頃、夏休みが始まりました。
専門学校で働いていた時には、夏休みが同じ期間であったため、家で過ごす事ができましたが、職業訓練中では同じようにはいきません。

自宅から職場は近かったのですが、お昼の食事の用意までは難しかったので、朝は子どもたちの分もお弁当を作り、子どもたちは家で、私は職場で食べていました。

子どもたちは最初、お弁当に喜んでいましたが、だんだんと昼間過ごす時間にルーズになってきているようでした。
夏休みの宿題も、手を付けているのかどうか・・・
聞いてみても、あいまいな返事ばかり・・・

そして夏休みが終わりました。


秋に入り、家族それぞれに疲れが出たのでしょうか。
長女は登校できない日が増え、
次女は相変わらず学校へ行きたくないと言い、
長男は宿題をしなくなったり、忘れ物が増えていく・・・

そんな日常になってきていました。
私はというと、最初は短時間だった仕事が、フルタイムくらいの時間になっていたので、帰ってからも余裕がなく、子どもたちとの会話も減っていたような気がします。

話す内容が、宿題のこと、学校のこと、忘れ物のこと・・・
お互いに楽しい話題もなく過ぎていました・・・


夫は、子どもたちに対して怒らなくなりました。
態度は変わりましたが、それ以外はそのまま。
私がフルタイムで働いていても、家事などはする様子もなく、私も自分でしたほうが早いと思い、イライラしながらも全部こなしていました。
休みの日には、次女と長男を遊園地や趣味の釣りなどに連れて行ってくれることも増えましたが、1人で過ごしたいと言う事も多く、騒ぐと怒られる雰囲気になるため、私がどこかへ連れて出かけることのほうが多かったです。

『家事を手伝う』とか
『子どもたちを連れて出かけるから、その間に掃除したら?』とか
(連れて出かけても1時間ほど)
夫が体調を崩したときは、私が病院へ連れて行くのに、私が体調を崩したときは、自分で病院へ行き、寝ていても「ご飯の支度は?」と言われたりとか・・・

なにか違うんじゃないかな?と思い始めていました。

両親が亡くなって、これからの人生について考え始めたのもこの頃です。
長男が高校を卒業するまで10年弱、ずっとこの生活を続けていくのか。
今までやってみたくて、でも、夫から『無理だよ』と反対されてきたこと。

悩むことも増え、色々と手につかなくなることも多くなりました。

このままではダメだ・・・
何かを変えよう・・・


前に読んだ本に、書いてあった言葉が頭をよぎりました。
『環境を変える』


仕事の職業訓練が一区切りつき、次の訓練までに期間があったため、私は離婚を視野に入れ、動き始めました。
市の相談窓口へ行き、離婚やひとり親支援について聞きました。
働く女性を支援している相談窓口へも行きました。


長女にとっては、今の場所を離れることが最善策でした。
どこまで離れるか・・・
両親が亡くなってから空き家になっている実家に引っ越すことも考えました。
でも、次女と長男にとっては、今の校区を離れると、不登校につながる要素が多く、同じ校区内で住む場所を探し始めました。


そして、子どもたちとも1対1で話す時間を増やし始めました。
長女とはSNSがほとんど。家の中でもSNSで会話することも多く、SNSのほうが素直に気持ちを伝え合うことができました。
次女と長男は車の中でした。
向かい合って話すより、顔が見えない状態で話すほうが、このときは話しやすかったです。

次女はこの頃、私との会話がぶつかってばかりでした・・・
すぐにキレることも多く、小5なのに思春期真っ只中な感じでした。
それでも車の中では、お互いの思いを比較的落ち着いて話すことができました。


私は、子どもたちそれぞれに、今までのこと、そしてこれからのことを話しました。子どもたちは私の話を聞き、時にはお互い泣きながら、自分たちが思っていることを話してくれました。


そして、気持ちが固まった12月、とうとう夫へ離婚したいと話しました。
夫からすれば、青天の霹靂。
何度も話し合い、離婚ではなく、別居という形でまとまりました。
私からすれば、ひとり親として生活していくことのほうが、金銭的に有り難かったのですが、夫は多分、親への顔向けができなかったのではないかと思います。
夫は、一人で実家へ行き、話してきたようです。


こうして2017年は終わっていきました。






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