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2016年~起立性調節障害と進路決定の話~

(写真は柴犬を飼い始めたころの様子)

普段から私は、周りの人に相談する事が多く、PTA活動の合間などに両親や子どもたちのことを話し、いろいろな意見を聞き、参考になるところは取り入れるなどしています。

自分の性格的に、嘘をつくとか内緒にするのは苦手で、誰かに色々聞いてもらうことによって、ココロの安定も保っている気がしています。(もちろん、本当に内緒にしなければならないことは絶対に言いません!)

子どもたちに対しては、幼いころは話してもわからないかなと思って話していませんでしたが、母が亡くなってすぐに、小1だった長男がショックで高熱を出したとき、
「ばあちゃんがもうすぐ死んじゃうって知らなかった・・・」
と言われたのを機に、子どもたちにも色々話すようになりました。


長女が学校へ行けなくなったことを周りにも話してみると、「私も学生時代、朝起きるのが苦手で大変だった」とか、「知り合いのお子さんが不登校で・・・」など、いろいろな方のお話を聞くことができて、自分だけじゃないと感じることもありました。


2016年、年明けのある日、PTA繋がりの友人から『起立性調節障害』という病気があるらしいよ。と聞き、チェックリストを見せてもらいました。
項目がたくさんあり、あてはまる項目が多いほどその可能性が高いと書いてありました。
そのほとんどが当てはまったため、これだ!!と思った私は、さっそく図書館へ行き、起立性調節障害や不登校など、関連しそうな書籍を数冊借りて読むことにしました。そしてネットでも情報を集め始めました。


どの情報にも、『病院(心療内科など)で診てもらうこと』『大きなストレスが原因となっているので、そのストレスを緩和することが良い方向に向かう一歩になる』という感じのことが書いてありました。


長女にも伝えると、
「診療内科とか行ったことがないし、初めての病院はこわいかも・・・」
と言われたので、かかりつけの病院(内科)へ受診することにしました。
その病院の先生は『起立性調節障害』についての理解のある先生だったので、いくつかの検査を行い、『起立性調節障害』と診断され、薬を処方していただきました。


薬は長期間飲む必要があり、数カ月かけて緩やかに改善するものだと聞いていました。薬を飲み始めた長女でしたが、自分は病気じゃないと言うようになり、次第に薬を飲まなくなり、だんだんベッドで過ごす時間が増えていきました。

薬を飲まないのなら、薬に頼らず改善出来る方法はないのか・・・
私は次に、ストレスの緩和に向けて、動き始めました。


まず思いついたのが、学校生活でのストレス(担任の先生、クラス内のいじめなど)の緩和でした。
診断を受けてすぐに、中学校へは連絡をしていましたが、長女は、担任の先生と話し合うこと、そして教室に入ること自体を拒絶したので、不登校のまま進級する時期になってしまいました。

学年主任の先生を通じて、いじめに関係した生徒と同じクラスにならないように配慮をお願いし、中3に進級しましたが、クラス替えがあったからといって体調が急激に良くなることもなく、朝から登校できる日は少なかったです。


学生だから学校へ行くのは当たり前。
そう思って暮らしてきたけど、行かなきゃいけないと分かっていても身体が動かない長女を目の当たりにし、当たり前って思っていたことが色々変わってきました。
家で過ごしている時は、あまり学校のことは話題にしないようにしました。
でも、親としては・・・ものすごく気になっていました。言いたくても言えないのは、かなりもどかしかったです。


そして、情報を集めていて気になったことが、もう1点。
それは家庭内でのストレスの緩和でした。

長女が不登校になった事を、私は夫に相談していませんでした。
本来なら、家族の一大事はまず、夫婦で相談するものなのかもしれません。
それなのに相談できなかった・・・


もともと夫は、専門学校のクラスメイトで、友人関係を経て結婚。
結婚してから長女が産まれるまでは、色々と相談をしていましたが、長女を産む前に私が仕事を辞めた辺りから、少しずつ立場が変わってきたように思います。


男は外で働き、女は家を守る。
外で働いているほうが立場が上、女子供は黙って俺に従えば良い。
そんな雰囲気になっていました。

もちろん、最初からこうだったわけではありません。
長女が産まれた時は、それは嬉しそうに接していました。抱っこしたり、一緒に昼寝したり・・・
でも、基本的なお世話は母である私が全て行っていました。
そして、子育ては任せたといい、幼稚園や学校行事に参加することは、仕事が休みでもほどんどありませんでした。
私がPTA役員やパートで帰りが遅くなることがあっても、一切の家事をすることはありません。そして常に夕食の時間を守れと言われていました。


たまに休日に子どもを連れて動物園に行こうか。
と出かけることになると、開園の時間に駐車場に入り、動物を夫のペースで見て回り、お昼には駐車場を出る。
行き帰りの車では小言を言われ、子どもたちが喋っても、夫の機嫌が悪ければ怒られる・・・


私が子どもたちを連れて大きめの公園に連れて行くと言うと、お昼には食事を出すために帰るように言われる・・・など、今思えば一番手のかかる息子が家にいるようでした。


小言を言われるのは、基本的に私の方が多かったですが、長女は幼いころから、言う事を聞かなければ、おもちゃを目の前で捨てられ・・・ランドセルがリビングに置きっぱなしになっていれば、外に投げ捨てられ・・・決まった時間に帰らなければ、玄関の鍵を閉められる・・・ということもありました。


夫が帰った時に、長女と私が学校であったことなどの話を楽しそうに話していると、
「友達じゃないんだから、言葉遣いに気をつけろ」
と内容も聞かずにいきなり怒られることもありました。


長女がテストでいい点数を取ってきたときも、褒めなかった。
次もこの調子で頑張れとは言っていたかな。
中学に入るころには、クラスで常に上位の成績でいろと言っていたような気がします。

言い方がちょっと・・・と思った私は、「父さんはこういう事を言いたかったんだよ」とフォローを入れることもありました。
ただ、夫本人に言い方を気をつけるように言う事はなかったです。
話そうとすると、「すぐにヒステリーになる」と言われ、最後まで話すことが出来なかったからです。


家庭環境が違うもの同士が一緒に暮らしていくと、こういった違いが目に付くようになります。
夫側からすれば、ここまで思っていないのかもしれませんし、小言を言われてきた私のココロの状態も、あまりよくなかったのかもしれません。



今はそう思えますが、当時の私は、怒られる長女を見るのが辛かったので、夫が帰る前に片付けさせ、出来るだけ怒られないように気を遣っていました。

朝は夫が一番早く仕事に行き、帰るのも一番遅く、帰って色々話そうとすると、「疲れているから一人にしてくれ」と言われる・・・
そんな日々を過ごしていました。


長女が年中の時に次女が産まれ、小1の時に長男が産まれました。
長女との少し歳が離れていた、その数年の間に、夫は少しずつ変わりました。
あんなに長女に厳しくしていたのに、次女と長男が同じ事をしても怒らないのです。

私は、子どもたちそれぞれの年齢に合わせ、出来るだけ不公平感が出ないように接していました。良い時には褒め、悪い時には叱っていました。


どうして自分だけ何をしても怒られる?
長女から見ても、私から見てもおかしいこと。
なのに、言葉にすると子供が余計なことを言うなと怒られる・・・

次第に長女は、夫が帰ってくるのを察知すると、部屋に閉じこもるようになりました。 


長女と夫(父親)の関係性を何とかすれば、長女の状態が良くなるのではないかと、本やネットで色々調べていくうちに、モラルハラスメントと言うキーワードが、私の心の中で引っかかり始めました。
モラハラに当てはまる項目に、夫との関係性がピッタリと当てはまりました。


不登校のことを伝えると、どうしてこうなったんだと怒られる・・・
そう思っていた私は、病気なんだと伝えれば、頭ごなしに怒ることはないかも。と思い始めました。
でも、言い方を間違えれば怒られるかも。
今までは手は出なかったけど、話し方によっては手が出るかもしれない。
かなりのプレッシャーでしたが、すごく悩んで、相手がイライラしにくいように話す順番をしっかり決めてから、夫に伝えました。


その時に、

・不登校の原因は学校でのいじめ、そしてあなた(夫)にもある
・プレッシャーになるから、長女と話すのをやめてほしい
・何かあれば私から長女へ伝える

と話しました。


急に深刻な状態を伝えたので、夫はしばらく何も考えられなかったのではないでしょうか。でも、思ったよりすんなりと受け入れ、それから子どもたちとの接し方は更に変わったと思います。


でも、長女から見たら、夫(父親)が変わったことで、次女と長男への接し方の格差が増してしまった・・・


夫がいない時間に、長女は私と話すことは増えていましたが、夫と長女の関係性は変わりませんでした。


学校には夕方に少しだけ顔を出すようになりましたが、放課後なので、授業には出られません。学校へ行けない日が続くと、担任の先生やサポートの先生が来てくれることもありました。

そんな日が続き、とうとう進路選択の時期が・・・
夏休みに自宅から近い公立高へ見学に行きましたが、中学校側からは、公立高校は受験が難しいと、通信制高校を勧められました。

このころは、公立の全日制高校へ入学してほしいと思っていました。
高校生になれば、良い方向に変わるんじゃないかと期待していました。
でも現実は・・・ 

長女と数校の通信制高校を見学し、話し合って、私立の通信制高校へ進学することを決めました。


そしてこの年のクリスマスに、子どもたちの念願だった犬を飼い始めました。
動物が好きで、幼いころからずっと飼いたいと言っていたのに、夫に常に反対されていたので、長女は欲しいと泣きながら訴えかけ、やっと実現したのです。
散歩に連れていくようになれば、そのうち学校にも行くようになるんじゃないかという期待があったのも事実です。
実際には、私が多く散歩に行くことになるのですが・・・




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