選ばれなかったnote達へ
明後日の文学フリマ東京に出陣を前に、今
選ばれなかったnoteの説明をします。
ちなみに本にまとめたnoteは、ほぼ無料で読めます。
スマホやパソコンが、ストライキを起こさない限り、無料で読めます。
私が急にアカウントとさようならをしない限り、好きな時にここにあります。
それをあえて、紙におこして、印刷して、本にしました。
私の決意の背骨になったのはこのnoteです。
ハチロウとドリルさんのこのnoteが、私をずっと鼓舞してくれました。
本を作ることが夢でした。最初はもちろん、小学館とか幻冬舎とか、ロッキングオンとかね、そういうところから、流通させる本をイメージしていましたよ。
ただ、時を重ねて、自分で作って、自分で背負うことに魅力を感じるようになりました。
1000本書いたところで、私は成長の自覚がありませんでした。
なんなら、段々馴れ合いになり、スキを稼ぐことも足踏みだしな。と思っていました。
10本目ぐらいや、52本目ぐらいの方が、文章として優秀かもな。とも思いました。
ただ、紙媒体に落とし込みの作業で、自分の文章に向き合い、人からの指摘や助言を受け入れ、手直しを行ううちに、ああ、1000本書いたらってこういうことか。と思いました。
いろいろ受け入れることに抵抗はなくなりました。この言い回しがないと、私じゃない!としがみつくこともなくなりました。
個性は自ずと滲み出て、読みやすさに、優先席を譲る余裕ができました。
今回、本にする中で、あえて外した作品があります。
どちらも、私の書いたものの中で、ビュー数も反響も大きいものでした。
この二つを載せずに、この二つを選びました。
一つ目は義母、二つ目はターミナルケアという主題が重複しています。
義母に関しては、いつかこの本がセピア色になった時に、葛藤よりも可愛らしさを残しておきたかった。という理由で選択しました。
ターミナルケアに関しては、くまさんとの出会いは、必ず本に載せたかったにつきます。
わからないから教えて欲しいは、西先生からスキをいただいたことだけで、飛び上がるほど嬉しい記憶もあります。
選ばれなかったnoteは、いつでもここにある。
それは、私にとってアドバンテージでした。
誰にでも読める場所に置くことができるから、
選ばなくても問題ありません。
選ばれなかったnote達へ。
あなたたちは、お直しなしでここにあり続けようね。
無料ほどの無敵はないから。
私のnoteは、みんな私のかわいこちゃんです。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。