モンテッソーリ園に務めて①🌷😌

モンテッソーリ教育を取り入れている園に務めて、私が感じた正直な思いを今回は綴ってみようと思います。


この記事で伝えたいこと

短大を卒業後、7年間勤めた園と次の転職先の園で2年間、2箇所の園で合計9年間モンテッソーリ教育を取り入れた園に務めていました。

この記事で私が一番伝えたいことは

「モンテッソーリ教育を取り入れている園でも様々な方針があり、本来のモンテッソーリ教育とは大きな差があった」

ということです。

もちろん、全ての園がこれに当てはまることはないと思います。マリア・モンテッソーリが行った「子どもの家」のように子どもたちが自立に向けて個々に自由に、いきいきと生活できるように大変な努力をされ真摯に向き合っている園もあります。

しかし2つの園で実際に働いてみて、
モンテッソーリ園といっても本当に方針は様々で、本来の子どもの家のようなモンテッソーリ教育を行おうとしている園とモンテッソーリ教育を園の方針の中の一部として取り入れているという園…様々にあり、そこには大きな差があると感じました。


私が勤めた園について

先ほども述べたように、私が勤めた園はモンテッソーリ園と全面的に謳っている一方で中身としては「モンテッソーリ教育を一部、取りいれた園」でした。

保育室内には、モンテッソーリ教育でよく扱われる教具が一式揃っていて、クラスに3.4.5歳が混ざった異年齢保育が行われていました。

他にも様々なことを取り入れており、季節の制作物、体育指導の時間、音楽指導、英語の指導…運動会、カトリック園でしたのでクリスマスの発表会にも力を入れ入れていました。

一見、様々な方面から細かくカリキュラムが設定されていて、色々なことを、経験できるように思えるのですが、実際には真のモンテッソーリ教育とはかけ離れたものになってしまっていました。

私自身、そのことに気づいたのはきちんとモンテッソーリ教師の資格の勉強を始めた時でした。



なぜ本来のモンテッソーリ教育とかけ離れたものになってしまったのか

それは一言で言えば
「子どもたちの自由が保証されていなかったから」
です。

子どもたちが自分で好きなことを選ぶ自由、そして選んだことをじっくりと心ゆくまで取り組めることができる自由な時間が無かったんです。

カリキュラムや、行事を沢山抱えて子どもたちのすることが増え、モンテッソーリで最も大切にされることの一つである「自由」が無くなってしまっていたんです。

実際、じっくりと自分が選んだものに取り組む時間がないことで教具にも十分に触れられていない、といった事態にもなっていました。

モンテッソーリ教師資格の勉強のために講義を受けていた中で先生が「そういった園(子どもたちの自由な時間がない園)は本当のモンテッソーリ教育をしているとは言えない」と諭すように仰っていて、深く考えさせられました。


モンテッソーリ教育を打ち出しているのに、教具も沢山あるのに…
本来のモンテッソーリ教育と一番離れたものになってしまっていることに憤りました。


しかしだからといって、そういった園を全て否定したいわけではないのです。
カリキュラムが沢山あって、色々なことが経験でき、行事にも力を入れていることで高いレベルのことができるようになる。そういった園に合っている子どもたちも沢山いると思います。

そこで、その子が生き生きと過ごせればそれでいいのです。

でも、私はモンテッソーリ教育を学び、その考え方や環境に深く感銘を受けたからこそ、本当のモンテッソーリ教育を現場でしたかった。
子どもたちの自由が保証された、全ての一人ひとりの子どもたちが輝けるような環境に憧れ、実現したかった。

実際に現場で、その沢山のカリキュラムや教育方針についていくのが負担になっている子どもたちを見ていて、その輝き、個性が失われていくような気がして辛くなってしまったのです。

モンテッソーリ教育の魅力は沢山あるのに、現場で活かせない…その狭間でどんどん苦しくなってしまい、私はモンテッソーリ園の現場を離れました。


次回に続きます…🌱

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?